俳句

ここのコメント欄、そろそろ句会が出来そうに賑やかになってきましたね。

何人かの方の俳句を始めての感想、短すぎる、これでは何もいえない、ですよね。私もそうです。2年やってみて、それについてうすうす感じるところは出てきたのですが、先週図書館で借りた俳句の本に、明確にその回答が書いてありましたので参考のためにご紹介します。

 

端的にいうと、俳句では言いたいことを言わない、です。

「俳句を作る上での大敵は、言いたい、述べたいという欲求です。あるいは、もっと述べないと自分の言いたいことが伝わらないのではないかという不安です。~しかし、述べようとした瞬間に俳句は散文化します。それはもはや詩ではなく、17音分の意味伝えるだけの短文に過ぎなくなる。俳句ほどの短い詩が成り立つのは、それが何かを述べるものではないからです。5・7・5のわずかな言葉から読者の連想が広がる。その作用に助けられてはじめて俳句は字数の制約を超えた内容を表現できるようになります。述べることが目的ならば、制約のない散文で述べればよいのです。」

句からどんな情景を想像するかは読者に委ねればよい。そういう余地を残すために「述べない」でおくということでしょう。そのとき、作者と読者の連想の方向性を共有するのが季語だといえます。

俳句入門 小川軽舟 (株)KADOKAWAより

さ~、どんどん、俳句をコメント欄に書き込んで下さい。テーマ自由題。

はじめのうちは、季語とかルールとか固く考える必要ありません。

・紅梅のひと雨匂う二人連れ

花クイズ

咲いてる花のストックが尽きて久しくなりましたので、気は心で、雑誌の写真からピックアップしてみました、どなたでもどうぞ。

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猫・他

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                 ↑

              今月のカレンダーの猫

私は絶対に猫派。しかし、何年か前に死んでしまって今は居ませんが・・。

今世の中猫ブームだそうですね。お店で買う人が多くて、ペットショップの猫の売値が犬に比べると大分上昇していると今朝の朝日新聞に書いてありました。2015年度は前年に比べ販売数が11%増。年代が若い層ほど、もらったり拾ったりでなく買う傾向が高いそうです。

 

記事には子猫一匹20万円半ばから30万円台と書いてあったので、ためしに近所のスーパーのペットショップに行ってみたら、とてもそんな価格では買えません。

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お猫様ですね。毎日のメンテナンスが大変そうだ。

●俳句

師匠めの俳句歴。なんとたったの2年。振り返ってみれば、2015年1月15日に記念すべき第一作を発してから間もなくまる2年になる勘定です。

この間、新聞、雑誌の俳句欄を眼光背紙を貫く如くに熟読玩味する以外は何の勉強も指導も受けなかった報いがそろそろ来て、なんかマンネリモードに陥ってきたのを感じていました。

 

高校の同級生になんと俳句の先生になっている元お嬢様がいるのを最近知ったので、あつかましいのを承知の上で去年の初夏ごろ詠んだ20句を、どんなもんでしょうと郵送してみたら、親切にも丁寧な赤ペン添削が入って帰ってきました。

これを見ると無傷なのは6句のみ、あとは言葉使いの添削と、俳句のルール違反の指摘。言葉使いは、ちょっとしたことですがなるほどです。結局初心者はいろんなことを言い過ぎる、といわれますが今回の私の場合もそれが当てはまることを教えられました。

 

ルール違反は何かというと「季重なり」。つまり、一句に季語を2個入れないというルールがあり、これの違反を「季重なり」といいます。こんな語が季語とは露知らず、という感じでの季重なりなので経験不足が原因です。

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ということで、何か手を打たないと師匠廃業になってしまうので色々考えましたが、公民館の俳句サークルは曜日が合わないので、通信教育を受講してみることにしました。候補NHK学園とユーキャン。受講料はNHKが約2万円、ユーキャンが約3万5千円だがユーキャンは2900円の月賦が効くのでユーキャンにした。年金生活者には断然これですよ。

毎月3句ずつ18句の添削指導だから、一句あたり1900円と考えればそんなに目玉が飛び出るほどではないです。

これを今年の決意第2弾としました。ちなみに第一弾「高笑い」はまだ3日坊主になっていません。気のせいか、体の芯がしゃんとして体調良くなってきたみたいです

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ちえてとらさんが、数学者岡潔のエッセイについて書いておられたので、何十年ぶりかで春宵十話を読み直してみたら、岡氏は芭蕉ファンでもあったのですね。俳句は理科系の人に好まれるといわれるがその一例です。

この本の中に、芭蕉のお弟子さんの句、

「春風や麦の中行く水の音」を芭蕉が最大限に褒めたという一節が出てくる。この句には春風と水の音という語のみで、色や形というものは何も出ていない。

しかし芭蕉は、名人でも容易に詠めるものではないと賛辞を呈したとのことであるが、私にはこれがそんなに名句であるとはとんと理解不能です。

俳句では根本だけ述べて、あとは読者の想像力に委ねる、いわば余白の部分をいかに旨く配するかが重要ということに関係するであろうことは朧気ながら分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

人工知能(AI)・2

BS世界のドキュメンタリーの中でのナレーションは非常に印象的でした。

 

「AI(人工知能)の進化によって機械の性能は上がる一方で、従来人間にしか出来ないことが機械で出来るようになりました。その限界は見えてきません。近い将来、機械でも出来る仕事をしている人は生計を立てるのが難しくなるでしょう。自動化で一番得する人は誰でしょう。労働者への保障は?自動化は緩やかに進むのか、急速に進むのか。」

 

まず、どんな職種が自動化され消滅するのか。

ここ20年以内に、ホワイトカラーを含め約半数の職種が機械に取って代わられると予測されています。具体的にどんな職種か、朝日新聞付録Globeによると次のように記されています。

 

なくなる仕事=(一般事務員、受付係、警備員、建設作業員、自動車組立工、スーパー店員、測量士、タクシー運転手、宅配便配達員、ホテル客室係り・・)、

残る仕事=(医師、映画監督、観光バスガイド、ソムリエ、美容師、保育士、教員、音楽家、理学療法士、画家など芸術家・・)。会計士や弁護士も多くの部分が機械で肩代わりされるといわれています。要するに、人との係わりや創造性の希薄な職種は全て機械に取って代わられるということです。

上記TV番組では、AI機械化先進国米国の生々しい状況を紹介していました。かつては製造業の拠点として栄えていた街が、今では空きビルだらけで貧しい失業者の巣窟になっている。人件費の安い国への移転やロボット導入による自動化が原因です。

その結果会社勤めのサラリーマン的な働き口が減少した結果、米国民の働き方が個人企業の形態(フリーランスの形態)に大きく様変わりしてきています。フリーランスの割合は全労働ものの3割にも達している。間もなく4割になる勢いだそうです。

 

このようにうまく起業できる人、つまり企業家精神の才能ある人はいいのですが、問題は落ちこぼれた人(正規の会社勤めの口もなく、企業も出来ない)が大勢出てくることです。

AIによる自動化で間違いなく社会は裕福になります。

しかし、ほうっておくとその富は1%の富裕層に沈殿したままになる。これをいかにして広く国民に分け与えるシステムを構築するかが国を安定的に保つ条件であると番組では強調していました。

 

米国で起こっていることはいずれ日本でも起こると思わなければなりません。心して迎え撃つ準備が必要です。

グリーントマトジャム他

・昨日は、今年一回目のオカリナのボランティア訪問でした。

演奏曲目

高原列車は行く・冬景色・冬の夜・琵琶湖周航の歌・叱られて・とりゃんせ・荒城の月・愛燦燦。ふるさと

 

ここの方々は高原列車がとくにお好きで、行くたびに開幕の印にまず歌ってもらいます。だいぶカラオケとリズムが合うようになってきました。

 

ちなみに、オリジナルは岡本敦朗さん昭和29年の大ヒット曲で、白い花の咲くころ、憧れの郵便馬車、と並ぶ三大ヒット曲となりました。

当時私は小学生でしたが、藤山一郎、岡本敦朗などの唄を盛んに歌っていました。歌詞・曲共に詩情豊かでしたね。

30年代に入ると急速に世俗化され、正統派歌手は個性派歌手に駆逐されてしまった。40年代のフォークを経て、ドロドロ演歌の台頭を迎えるが平成に入って飽きられてJPOPになった。

 

JPOPは日本色を一切取り払った世界で成り立っています。これはどろどろ演歌の反動だと思います。同じ反動なら、もう一度昭和20年代の清純歌謡を復権させる道も探るべきだと思っています。これはレコード会社の仕事ですが。

高原列車は行く 岡本敦郎 - YouTube

あこがれの郵便馬車 岡本敦郎 - YouTube

www.youtube.com

●グリーントマトジャム

ネットでも出てますが、微妙に違うようです。

このレシピはさるヨーロッパの自給自足修道院の秘伝です。

料理名「CONFITURE DE TOMATES VERTS」

トマト1Kg(青い未熟性トマト。赤くてもできるが青い方がよい。)

砂糖 600g

レモン2個

・トマトを洗う。水気を切って、ごく薄い輪切りにする。

・砂糖をかけて、冷所に24時間おいておく。

・染み出した汁、レモンの皮をすりおろしたもの、レモン汁と共にトマトを鍋に入れる。(ジャム用鍋または銅製の鍋、厚手のステンレス鍋、ホーロー鍋)

・弱火にかけてゆっくり煮たせ、沸騰してから2~2.5時間ほど煮る。(冷たい

皿に煮汁を一滴落として、こんもりと盛り上がるくらいの固さになるまで)

・瓶に入れ、蓋をする。

●金柑の甘辛煮はネットにたくさん出ています。

うちではよくホットジュースにしています。

・出来立てのマーマレードや風光る

自家製マーマレード山積

今、我が家に存在している柑橘類一式です。

昨夜、大きな鍋から甘い匂いがしているなと思ったら、マーマレードが出現していた。

小分けにして贈呈するのと、教会員に販売、売り上げは全て教会収入。

添加物フリーであることが取り得のマーマレードでした。甘さ控え目でなかなか美味しいです。

・雨粒の蜜柑に光る朝(あした)かな

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人工知能(AI)・1

ちえてとらさんの書かれた人工知能(AI)についての対談記事(将棋の羽生三冠と茂木脳学者)興味深く拝見しました。

人間は目的達成の手段にその人の個性が発揮されるが(これを羽生さんは美意識と表現されている。)、AIにはそれが全くない。そしてAIに決定的にないもの、そして当分付与されることは難しいもの、それは人格であるとの指摘であった。

 

まさに、この人格のAIへの付与が実現するか否かが、将来的にAIが人類にとって友人となるのか敵になるのかの分かれ目であると思いました。

 

さて、この暮れから正月にかけてAIについての記事が堰を切ったように色々なメディアに登場しました。例えば、朝日6日の1、3面、朝日Globe1月号、BS世界のドキュメンタリーなど。

さらには、衝撃的な表題の単行本も出版されています。「人工知能・人類最悪にして最後の発明」つまり、超AIの発達によって、百年以内に人類はAIに駆逐されて滅亡する。だから「最後の発明」、といっている。滅亡のシナリオが具体的に描かれているので、どこかのステップでこの流れをとめなくてはなりません。

 

さてそれはともかく、なぜ今急にAIが一般の興味の対象になってきたのでしょう。それは今までは水面下で指数関数的に飛躍してきたAIが、ついに水上に姿を現して目に見える形で進化を始めたからでしょう。例えば、数年前にはチェスのAIが無敵になり、昨年は何倍も困難とされた囲碁でもAIが無敵になり、進化のスピードにショックを受けました。また、自動運転の車の実用化も目の前になりました。

 

このような技術革新の加速化を可能にしたのは「ディープ・ラーニング」と呼ぶコンピューターアルゴリズムの発明によります。これにより、コンピューターに手取り足取り教えなくても、自学自習を爆発的スピードで行い、爆発的スピードで賢くなることが出来ます。

グーグルの翻訳でもディープ・ラーニングの適用によって翻訳文が飛躍的に日本語らしくなったそうです。同時通訳もAIに任せられそうな勢いです。

これにより、例えば今のパソコンマニュアルのものすごい可笑しげな翻訳日本語が改善してくれれば日本人は大きな恩恵になります。しかし一方で、AIの進化は私たちにとってプラスの側面ばかりではありません。(続く)

花クイズです。

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「高齢者』の定義変更

来ましたね。定義が一気に10年高齢にシフトしそうです。

それもそのはず、現在の定義65歳から高齢者、は1965年に定められたものだそうですから、50年前の65歳と現在の65歳を比べてみれば一目瞭然です。

 

日本老年医学会はこのほど従来の高齢者定義を改めて75歳以上とすべきだとの提言をしたそうです。(朝日新聞1月6日)理由として、生物学的年齢が10~20年前に比べて5~10歳若返っていること、そして知的機能においても10歳若返っているとの検査結果を挙げている。

 

ま~、さもありなんだが、傑作なのは65~74歳は高齢期の準備期間として「准高齢者」と名づけたこと。高齢者になるのもなかなか大変で準備が入用と判断されたみたいだ。なんか准教授に似た位置づけみたいで面白い。

 

これによれば、私はれっきとした「教授」クラスですので、念のため。これは威張っていいのか、がっかりすべきなのか・・。

 

ただし、これが最高位ではありません。まだ上がある。90以上=「超高齢者」。

なので、及ばずながらこの「最高位」に一太刀浴びせるべく一層精進努力することとします。これを今年の決意第2弾としよう。

第1弾は前回の記事を見てください。今日3日目ですが、まだ続いていますよ。

 

さて、じつは今日言いたいのはここからが本題。

現在の基礎年金支給開始年齢、ご存知ですか。これは原則65歳。さらに、介護保険でサービスが受けられるのも65歳以上です。

 

これを、今回の定義変更に連動させて年金支給開始年齢引き上げを図るのではないか、という憶測が普通浮かびませんか。厚労省の役人の立場だったら絶対にそう思いますよね。

つまりせっせと年金払っても75以上生きないと元が取れなくなるのです。当然定年延長でこき使われます。

 

老人学会の座長は、高齢者の定義を変えることで、社会福祉などがネガティブな方向に動いてほしくない、といちおうもっともらしいコメントを出していますが、それはありえないでしょう。高齢者予備軍の皆様は今から覚悟しておいたほうが良いと思います。

・白無垢の雲輝くや初景色

花クイズです。

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