雑記事(2)

今日のRECOCAの世の中に対する苦情・いちゃもん・はてなの一押しはこれ。

①裁判官の常識?

これを読んでください。この裁判判決おかしいと思いません?

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バトミントンのダブルス試合中、パートナーの振ったラケットが眼に当たってけがをしたことに対する損害賠償訴訟です。判決は1300万円の有罪!この裁判官、スポーツをやったことないのではないか。まさかわざと目をひっぱたいたわけでもないでしょう。これでは安んじて庶民はスポーツに興じることはできません。高齢者のサークルなんかでは、動きの鈍い人と俊敏な人がペアになることは日常茶飯事です。そうするとぶつかって、卓球だと隣の台に頭をぶつけて最悪脳出血で半身不随、なんてことも起こりうる。そんな故意でもないことにいちいち訴訟沙汰にする方も狂っていると思うが、有罪判決を出す方はもっと狂っている。むしろ、そんなことをいちいち訴訟に持ち込むな、とたしなめてしかるべきだと思うのですが。世間の常識で裁くために裁判員制度が導入されたのではなかったのか。この裁判、裁判員の判断はどうだった?

②中国でゲノム操作の赤ちゃん

世界中から倫理と技術の面で非難されている。まず技術面。まだ全然確立されていない。明らかにフライングだ。やっぱり中国、という感じ。失敗して奇形にしたらだれがどのように責任を取るのか。

それから、倫理面。今回の中国での操作の目的はエイズウイルスに免疫を生まれつき持たせることだった。しかし、エイズとはなんぞや。RECOCAには、エイズとは人間の性的倫理の乱れを正す天の配剤のように思える。そんなに簡単に天の配剤を無にしていいのか。なので宗教家などを交えた倫理面での協議なしにはゲノムの技術開発を進めるべきではないと思う。このことはAIの技術開発についてもいえることだろう。技術者は先を急ぐ功名心の塊なので、強力なブレーキ役がぜひとも必要である。

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今日は天気がよくて寒くなくて、何もすることがなく、非常に暇だったので、何気なく雑誌を見ていたら、(RECOCAが)読めない名前の花の写真が載っていた。

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これ、なんでしょう。花博士はすぐお分かりですよね。漢字で「吾亦紅」と書きます。さてなんと読むでしょう。正解は「われもこう」。なんと、非常に有名な花のようで、その証拠に季語辞典に秋の季語として◎が付いている重要季語だそうです。すっかり感心して、ネットで関係事項をみていたら、同名のとても素晴らしい歌があるんですね。すぎもとまさとという方が「吾亦紅」という題名の曲を作って歌っておられる画像があり、その迫力に心底魅せられてしまいました。オカリナの演奏には向かない音符の並びの曲ですが、ぜひやってみたくなり、譜面と伴奏をネットで探していたら、親切な方がいらっしゃいました。ご自身が作成された伴奏カラオケの画面上に、メロディに合わせて譜面を貼りつけて下さっています。ただし、画面に出てくるのは1行づつなので、PCのプリントスクリーン機能を使って1行づつ取込み、最後に全体を切り貼りするというめんどくさい作業で完成させました。ただし、原曲はオカリナの音域を外れているので、切り貼りした楽譜をもとにキー変更の楽譜を手書きし、またカラオケ音源の方はPCソフトで上げ下げするという作業を一日がかりで終えました。以上、いかに暇人であったかを示すためにくだくだと書いてみました。

道具はそろいましたが、オカリナには難しい曲なので完成には時間はかかると思います。歌詞の内容は、亡き母の墓前で今後の生き方の決意を述べるというものです。歌詞にヒントを得て一句認めてみました。

・吾亦紅墓前の決意届けけり

・笑む人の遺影に添えて吾亦紅

さらに暇だったので本棚を漁ったら、以前図書館が払い下げた本で、平凡社の「日本人の大疑問」というのが出てきたので見ていたらなかなか面白いことが書いてありました。例えば、審判が一番大変な競技は何、力士はなぜひげをはやさないのか、マラソンの先導者が道を間違えたらどうなる、もし銀行が倒産したらどうなる、20世紀最大の愚行とは何、救世軍は普段何してる、歩道橋が最近作られなくなったわけ、本籍って何のため必要等々々・・・・。

ブログは1記事1テーマが読者に親切らしいので、これらについて今日ここで書くのはやめて、別の日の非常に暇な時を見繕って書くことにします。今回はひとまずこれにて失礼します。

オカリナライブ@東久留米市文化祭2018.11.24

今日、東久留米市文化祭一芸会のプログラムの中で一曲オカリナの演奏を行った。

曲は、街の灯り。堺正章氏のデビュ曲である。

出番は午後の4時半ごろ。対して集合打ち合わせは2時だったので、出番まで相当間があるので自転車で5分の自宅で待機することにした。それでなんとなくTVを付けながらうとうとしていたら本格的に寝込んで、気が付いたら4時ちょっと前。大慌てに起き上がってぎりぎり準備を間に合わせた。とりあえずこんな感じの演奏でした。尚、映像の前半は居候の光さんのブログからお借りしています。曲と映像には何の脈絡もないことお断りしておきます。

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港が見える丘

1947年(昭和22年)の歌。当時の新人歌手、平野愛子のデヴィユ曲である。

歌詞に具体的地名は登場しないが、後に横浜市がこの歌に因んで、「港が見える丘」公園を指定した。なので、横浜の歌として親しまれているが、作詞作曲者の東辰三の出身地である神戸の歌としても親しまれている。(ウイキペディア)

ご子息の話によると、横浜と神戸の印象をダブらせて作ったのでは、とのことである。

作詞・作曲:東辰三、唄:平野愛子

1 あなたと二人で来た丘は
  港が見える丘
  色あせた桜唯一つ
  淋しく咲いていた
  船の汽笛咽(むせ)び泣けば
  チラリホラリと花片(はなびら)
  あなたと私に降りかかる
  春の午後でした

2 あなたと別れたあの夜は
  港が暗い夜
  青白い灯り唯一つ
  桜を照らしてた
  船の汽笛消えて行けば
  チラリホラリと花片
  涙の雫にきらめいた
  霧の夜でした

3 あなたを想うて来る丘は
  港がみえる丘
  葉桜をソヨロ訪れる
  しお風 浜の風
  船の汽笛遠く聞いて
  うつらとろりと見る夢
  あなたの口許 あの笑顔
  淡い夢でした

それでは、RECOCAのオカリナで、港が見える丘。

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元祖のうたで〆ます。

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頭を’ゴーン’

50億円とはスケールが違い過ぎて世界が想像できない。

・欲望の果てしなき世や秋の風

・英雄の没落早し秋刀魚焼く

他、今朝の雑詠

・懐かしやふるさと歌うそのたびに

・行く秋の別れぞ友の訃の便り

・小春日やオナガの鳥のけたたまし

句会

郷里の市の句大会に投函した2句が入選した。ここでいう入選の意味は、市長賞などの入賞候補として選者が採ってくれたということである。(入賞はしなかった。)

・早起きの妻の濡れ手に初茄子

上の句は6人のうち2人の選者が採ってくれた。

・清貧を生きてほおずき鳴らしけり

この句は1人の選者の採用。

ところで、先週東久留米の文化祭で市民飛び入り句会という催しがあったので覗いてみた。目的は上記の句がどのくらいのものかを確かめるためである。というのは、俳句というのは選者によって選考基準が全く異なるからである。ほんとうは未発表句の投句であることが厳正なルールであるのだが、初心者の無知ということにしてそっとだしてみた。季語の指定が秋、冬だったので、初茄子を秋茄子に替えて。結果は指導の先生特選句のひとつにになった。

これらの句会や俳句の書籍で最近感じたこと。

・俳句はフィクションである。

俳句は作者の経験を述べるものという理解が多いが、これは間違い。経験をベースにするにしてもそこから連想を無限に発展させていくから、経験値とは無関係なところに落ち着く。俳句は詩や小説と同じく文芸であることを想起すればこれは当然のことといえるが。

・類句、類想

俳句の体裁はなしていると仮定して、最も神経を使うのは類句、類想句でないことの確認である。特に選者の先生が最も慎重を期する点であるように思う。類句とは似たような言葉使いの句、類想句とは似たような発想の句という意味。ということは、過去に発表された句をすべて記憶していなければならないということである。もちろんそんなことは不可能なので、選者になるような人はそれなりの嗅覚が必要だということである。つまりこれは句のオリジナリティの根幹にかかわることで、高々17文字の中に厳密なオリジナリティが求められるという厳しい世界なのである。

コンピューターの活用が生かせる分野かも知れない。

雨の慕情

東久留米界隈は秋晴れの快晴が続いています。この陽気には相応しくないですが、今朝の曲は、八代亜紀の歌った「雨の慕情」です。

この歌のサビは、「あめあめふれふれもっと降れ、~」ですから、雨乞いの演歌とRECOCAは呼んでいます。一週間雨が降ってないですから、雨乞いもいいのではと思ってこの曲をアップしました。

ところで、この曲の詞は阿久悠氏。表現は非常に直接的で、いわゆる「ど演歌」のジャンルです。嫌いな人は嫌いでしょうね。私も特別好みというわけではないですが、カラオケCDが手に入ったのでやってみました。オカリナにはとても難しいのでかなりほころびがありますが、ご容赦ください。

この曲は、1980年。音楽賞総なめの前人未踏9冠王に輝きました。阿久悠八代亜紀の女心をイメージした詞だそうです。八代亜紀はそろそろ70歳、本人曰く80歳までコンサートを続けたいそうです。

それでは、RECOCAのオカリナで、雨の慕情。

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つづいて、八代亜紀

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名古屋

朝日新聞読者投書欄「声」に、昨日こんな投書が載った。

例の「最も魅力ない都市ランキング」に名古屋市が堂々の2回連続1位になったことについてである。こんな企画がはやること自体日本人があほになっている証拠だが、こんなものを天下の河村名古屋市長が気にされていることが一番の心外事項である。もっと自信をもって泰然としてもらいたい。

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この投書子の質問にRECOCAがお答えしよう。

①まずこのアンケートでいう「魅力ない都市」の意味、定義は、「観光の魅力」なし、つまり観光の目玉に欠けるという意味である。住むのに魅力あるかないかは問うてない。

②だれが何のために決めたのか

誰が⇒知らないが、どこかのアホである。何のために⇒これが最も知りたいところだが不明。忖度すればこんなところか。つまり、観光魅力上位の場所へさらに観光客を引き寄せたい。日本人の付和雷同性を勘案すると、これは効果あるかもしれない。

次にこの投書子の述べている意見について。

①観光の魅力以前に、住民の暮らしがある。

その通りである。都市の魅力は住民が住みやすいかどうかの一点にかかっている。観光など関係ない。観光客の財布を当てにするほど、財政がひっ迫していれば別だが。名古屋は、日本一水道水が美味、濃尾平野で米は豊作(飢饉の経験がない)、トヨタや製造業のおかげで税収は十分。企業の経営は堅実、倒産に無関係。地価は安い。よって、日本一の住宅面積。つまり、名古屋市内で暮らしていれば何の問題もないのである。その証拠に他市、他県への移住が日本一少ない。過疎の心配など無縁ということ。名古屋市東部のある新興市は、移住したい町NO.1のアンケート結果がある。さらに付け加えれば、住民が観光したければ、トヨタの自家用車で隣接都市へ一時間も走れば用が足りる。だから無理して名古屋市内に観光目玉を整備するなど必要ないのである。

②河村市長は、観光の政策に力を入れはじめているようだが、私は疑念を抱く。

全くその通り。天下の河村市長ともある方が、このうろたえようでは次の選挙は危ない。観光政策など無駄遣いはやめて、さらなる住民福祉に財源を投入してもらいたい。

③観光に特化した結果、住みづらい環境を生む皮肉な結果につながる。

これを一番恐れているのである。

結論。河村市長、しっかりして。自信をもって下さい。