♪船頭小唄

改元や新元号のことを考えていたら、どういうわけか枯れすすきのイメージが浮かんできたので、急いで船頭小唄を録音してアップしました。

改元や心に巣食ふ枯れすすき

改元の風清らかに聖五月

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先日、たまたま所沢えきのホームにいたら、西武池袋線を走るニューフエイスの特急電車が停車していました。初めて見ましたが、側面いっぱいに窓をしつらえた斬新な特急電車です。池袋、秩父間を走行します。

秩父路に青葉若葉の車窓かな

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♪翼をください⇒追伸

翼をください、のバック動画はこれにすべきでした。

 

こういう時代、もしかしたらあとわずかの年数で実現するかもしれない。

 

ひょっとしたら私の生きている間に。

 

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「令和」、第一感どんな印象をお持ちでしたか。私は?!¥・・。慣れるんだろうか。

 

元号については、私はこれを機に積極的には使わないと決めたのでもはやなんでもよいが。

 

ところでほかの候補語も紹介されていたが、こちらの方はもっと限りなくださかった。

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♪翼をください

今朝の曲は、翼をください。赤い鳥というフォークグループの歌ですからもう50年くらいになりますか。もう懐メロの部類ですね。最近老人施設でやったら大勢口ずさむ人がいてびっくりしました。

まずは、RECOCAのオカリナでご視聴ください。

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今日なぜこの歌にこだわったかというと、卒業式にうたわれる歌だからです。明日は新元号の発表、つまり実質的に平成の卒業の日になります。朝日新聞Be版読者1543名のアンケート心に残る卒業式ソングランキングが載っていました。ただし、正確には「卒業式や卒業シーズンに学校で歌われる歌」ランキングです。それによるとこんな結果になるそうです。

1.仰げば尊し、2、蛍の光、3.贈る言葉、4.卒業写真、5.なごり雪、6.翼をください、7.旅立ちの日に、8.卒業、9.さくら、10.時代、11.手紙、12.YELL,13.卒業(尾崎豊)、14.想い出がいっぱい、15.制服、16.夢をあきらめないで、17.栄光の架橋、18.3月9日、19.空も飛べるはず、20.BELIVE

何曲ご存知でしたか。RECOCAの年代は確実に1と2だけでしたね。それもそのはずで、こういう歌はフォーク台頭と期を一にしていますから、昭和40年頃以降に小中卒業の方々中心でしょうね、これらの歌が卒業シーズンの思い出として結びつくのは。そこでRECOCAがこの中からピックアップした曲は、翼をくださいなごり雪、BELIEVEです。順番にやっていきますが今日はまず翼をください、でした。

翼があったら何がしたいですか。RECOCAの出来もしない模範解答は「翼があれば、東に行って病気の子供を看病し、西に行って疲れた母を助け、南に行って死にそうな人に怖がらなくてもいいといい、北に行ってけんかや訴訟はつまらないからやめろといいたい。」

●俳句の妄想

元号が出てくるといよいよ昭和が遠くなりますね。言ってみればかつて昭和生まれの我々が明治に抱いていたノスタルジックなイメージのようにです。明治を懐かしむ有名な句がありますね。

・降る雪や明治は遠くなりにけり

これをたとえば

・散る花や明治は遠くなりにけり

としたらどうでしょう。(花とは俳句では桜のこと)両者の違いわかりますか。後者の句の上句には花つまり桜がありますが、桜には、名句(さまざまのこと思い出す桜かな)に見るように、過去を懐かしく思い出すというイメージが定着しています。ということは後者の句の上句と下句は同じようなイメージの語だということになります。こういう状態を「付きすぎ」といって俳句では嫌われるのです。これにたいして、降る雪と明治を懐かしむことは語句の上で何の関連もありません。しかし、俳句として鑑賞するとあたかも化学反応を起こしたかのように望郷の念が生じてくるのです。これが不思議なところで、俳句の醍醐味といわれています。多分「や」の効果が大きいのでしょうね。この辺のところを芭蕉はうまいこと言っています。「○○やと言ったら、○○のことは忘れなさい」、という言い方で教えています。つまり無関係のことを持ってきたほうが名句になる可能性があるわけです。ただし、たいていはあまりにも無関係すぎて支離滅裂な句になりますが。(この状態を「離れすぎ」といいます。)

散る花や昭和は遠くなりにけり、はだめだが、菜の花や昭和は遠くなりにけり、は一応OK。

付きすぎ離れすぎに関する冗談でこういうのがあります。どんな季語でもよいから、そのあとに「それにつけても金の欲しさよ」とすれば、あら不思議心打つ俳句になる。本当?嘘?皆様も試してみてください。

・菜の花やそれにつけても金の欲しさよ

・花咲くやそれにつけても金の欲しさよ

冗談はこのくらいでまじめな話、こういうのはどうでしょう、いちおう「付きすぎでない」という条件は満たしています。

・菜の花や香る味噌汁具沢山

・菜の花や今日は天むす名古屋飯

♪いつも何度でも

ジブリのアニメ、千と千尋の神隠しのテーマ曲です。メロディもいいし詞が素晴らしいです。この曲の発売の時聞いてすぐにシングル盤CDを買い何十回となく再生しました。はじめのうちは歌詞をほとんど気にせず、メロディと木村弓の歌(ハンドリングハープの弾き語り)に魅かれていたのですが、よく歌詞を見るとこれまた詩的で素晴らしいと思いました。中心のメッセージは、いつも何度でも夢を描こう、です。メロディが、詞の内容に引きずられてべたべたせずにシャンとしているところがとてもいい。

このメロディからRECOCAは天国をイメージしたので、動画バックのの絵は「天国」で検索して引っかかった画像を借用しました。

いつも何度でも

呼んでいる 胸のどこか奥で

いつも心躍る夢を見たい

悲しみは数えきれないけれど

その向こうできっとあなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび人は

ただ青空の青さを知る

果てしなく道は続いてみえるけれど

このっ両手は光を抱ける

さよならのときの静かな胸

ゼロになるからだが耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街もみんな同じ

呼んでいる 胸のどこか奥で

いつも何度でも夢を描こう

かなしみの数を言い尽くすより

同じ唇でそっと歌おう

閉じていく思い出の そのなかにいつも

忘れたくないささやきを聞く

こなごなに砕かれた鏡の上にも

新しい景色が映される

はじまりの朝の 静かな窓

ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方はもう探さない

輝くものはいつもここに

わたしの中に見つけられるから

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RECOCAのオカリナ

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歌、弾き語り

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百兆円の妄想

●百兆円予算が決まったとの報道。

最高額だそうである。ほとんどの家計は火の車にちかいのにいい気なものというのがRECOCAの第一感。国の借金は日本国民が背負ってるから国が破産することはないというが、国民だって限度を超えて撃たれ続ければ造反することだってある。怒って皆がタンス預金に決めたといって国債を売り、銀行から引き揚げればあっというまに破産する。

ところで百兆円ってどのくらいの重さだろう。1万円札は1gだから数えやすい。ゼロの数を数え違えてなければ、百兆円はちょうど1tonの重さ。一トントラックに積める嵩かどうかわからないが、少なくもトラック数台で運べるだろう。国の命運がかかっているにしては案外大したことはない。大事に使ってね。

・散り急ぐ膨張予算花の如

上記は俳句だが、これに七七を追加すると短歌になる。

・散り急ぐ膨張予算花の如

   消費増税糊塗するごとくに

●うちの庭に咲いている花

クイズ:何の花でしょう

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●花にちなんで3か月前にアップした曲、百万本のバラ。RECOCAのオカリナで。

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余情・余韻ーー久しぶりに俳句について

何年振りかに俳句について書いてみます。

俳句は世界最短の、形式を有する短詩です。その本質を一言で要約すれば、余情・余韻だと思います。石寒太著・現代俳句の基礎用語から少し長いですが抄録します。

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「言い切ってしまって、一体そこに何が残るだろうか。」これは芭蕉の有名な言葉。これこそ俳句の特質を見事に言い当てたもの。また、こうも言っている。「十のものを省略して七八分にしてもまだ目立ってしまう。五六分に留めあとは言外にのこしてこそ余情余韻が生まれ、鑑賞に堪える句になる。」余情とは、物事が終わった後も、心から消えない深い味わい、また言語芸術では直接に表現されず言外に漂う豊かな情趣をいう。さらに余韻とは、音のかすかに残って続く響き、音が消えた後もいつまでも耳に残っているかすかな音を指している。巨匠高浜虚子は次のように述べている。「俳句は簡単なる文芸であるゆえに簡単なる叙述を必要とする。多く語らずして多くの意を運ぶことを目的とする。多弁饒舌なる文芸は他にある。」として俳句の多弁を強く戒めた。俳句は沈黙の文芸である。表現を極力抑えて、心を内に秘め、あらわに感情を外にあらわさずに余情余韻を漂わせる手法こそ最短詩型である俳句の美学であり、他の文芸に拮抗する最大の武器である。例句。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏

秋なのに風鈴が鳴った、というだけの内容の句であるが、このような韻文の形で書かれてみると、外し忘れられた鉄さびた風鈴の音が客観化されて読者にしみじみと伝わってくる。それが余情余韻につながってくる。

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如何でしょうか、俳句では喜怒哀楽の文字を直接あらわさないこと、という初心者への教えは上記に基づいているわけです。春が来て楽しい、とか秋が来て寂しいとなぜ言ってはいけないのか、俳人とはなんと偏屈な人種と思ったものでしたが、詠み手の喜怒哀楽を押しつけるのでなく、余情余韻から読者に自ずから感じ取ってもらうということなのです。これは寡黙な武士の心情に通じるものがあり、古来日本人のコミニュケーションの特色であるともいえます。男は黙ってサッポロビールというCMがありましたが、あれです。

ところで、突然ですが昔のTVCMを特集した動画がアップされていましたが実にいいです。皆さんもしばしお楽しみください。

・平成の永久に三十路や五月来る

・武者人形眼に映る時千里

・オカリナや眼瞑れば春の風

・深呼吸新芽膨らむ春の風

・よみがえる剪定の木々若葉風

           RECOCA

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♬いちご白書をもう一度

この不思議な名前の曲、いつか手掛けてみたいと思っていましたが、そのときがやってまいりました。中北音研のピアノの伴奏が素晴らしかったのも理由の一つです。

初めてこの題名を見たとき、いちご農家の経済白書の歌かと思いました。そうではなくて、いちご白書というのは米国の学園闘争の映画です。それがなぜいちごというのかはややこしくなるので省きます。興味あれば、電子百科事典(ウイキペディア)で検索を。

歌詞の要旨はこんな感じです。

ある恋人同士が学生時代にいちご白書という映画を一緒に見て共に感銘を受けていろいろ語り合った。その後二人は別れて別々の人生を歩んでいる。そんなとき、雨に濡れて破れたあの映画ポスターを見つけ、当時の思い出が強くよみがえった。あの人も同じように懐かしく思い出してくれているだろうか。この映画、もう一度どこかで一緒に見たいものだ。

こんな感じですが、結局映画はいちご白書でなくても何でもいいわけです。さらに、映画でなくても、お月さんでもいい。あの時のお月さんをもう一度一緒に見たいものだ。この方が我々にはピンとくるのですが・・。

作詞作曲はあのユーミンさん。ご自身の体験が込められていると書いてありました。ある売れない歌手に懇願されて提供した曲とのことですが、乾坤一擲大ヒットの名曲になりました。

まずRECOCAのオカリナ。

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歌で。

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