私的俳句考

俳句というものをつまみ始めて2ヵ月が経ったのでその感想。

まずお断りしなければならないのはぶろぐ最後の句は、パソコンに座ったときのほぼ直感であって、推敲添削前のいわゆる原句であること。

したがって、他人が見てはいけないものであるが、この欄は私的備忘録を兼ねているので、めんどうなので構わず人目にさらしている。なので、お目に留まったら、笑読するか、無視願いたい。

さて、感想であるが、俳句とは数学、哲学、文学の総合芸術であるということにつきる。なんかの拍子で足を突っ込んだ人は泥沼状態で足抜きが不可能なほどのめりこむ、とよく聞くが、なるほど底知れぬ魅力にあふれている。

 

俳句とは引き算の芸術、との解説をどこかで読んだ。つまり、あれも言いたい、これも言いたいの諸々をいかにうまく捨て去って本質のみを残すかである。これが分からないと、名句の名句たるゆえんが分からないだろう。

つぎに、俳句では喜怒哀楽、感想を作者が述べてはいけないということ。これには驚いた。俳句をかじる前とは180度見方が変わった。

つまり事実のみを述べて、そのなかに喜怒哀楽、感想を「読者」に想起させるのである。時間の経過さえも、時間の断面で表現しなければならない。したがって、表現は底深く哲学的にならざるを得ない。

ところで現代俳句では、単なる連想のとっぴな飛躍や早口言葉のような言葉遊びの句がはやっているようだがどうかと思う。とくに子供の句におもねるような風潮はいただけない。最近のNHK俳句にも散見されるのには驚き。10年前に見たときはもっと重厚な番組だったが。

もう一つの感想はオカリナやリコーダーに似ているということ。どういうことかというと、ど素人でも勝負出来る領域があるのではということ。

オカリナ、リコーダーは原始的楽器であるがゆえにその音色で勝負する余地がある。プロは音色+名人芸で勝負するが、後者のないアマでも音色ゆえに感動してくれるお客は少なくないのである。

俳句についてはどうか。高段者の句はなるほど語彙も豊富、言い回もはっとさせる新鮮さがある。しかし稚拙な語彙でもけっこうさまになるという雰囲気が高段者の句にも散見される、といったら怒られるだろうか。この辺をうまくついていけば、難しくて取り付く島もないということにはならないという気がしている

・リコーダーほっと一息風薫る