俳句考(4)

・引き算の芸術続き→省略すべきもの。主語、動詞、場所、感情、時間。つまり、何も言うな、に等しい。これに照らすと前回表にした自句には動詞(2つもあるのがある)が一杯あるので、別の語に置き換える必要がある。場所を言ってもいけないので、水戸の梅の句は異端である。

・10年以上前にアマチュアながら俳号所有のアマ高段者2名から句集をもらっていた。それらと小生の50句(以後迷人の句とよぶ)を比較すると語彙言い回し全てにおいて一目瞭然大人と子供の差が分かる。

・何がそうさせているのか探る手はないのか。

試みに一病息災をテーマにした句を比較してみた。

迷人の句 年行けば一病息災春の空

プロの句 一病は浮世の習い山笑う    (的場)

省略理論によると「年行けば」という時間経過が不要ということか。下5句はいずれも自然を視点にしているが、迷人の場合は適切な語が浮かばなかったので春の空という平凡語で逃げている。なお山笑うとは俳句用語で山が急に緑づく(活気づく)ことを言うらしい。

・両者の違いをなにか客観的に表す指標がないかと思って一つ思いついたのが50音の頻度分布。

これを、名句俳句かるた50句と小生の50句について50音頻度分布を作って違いがあるか調べてみた。

ここでは前者を名人の句、後者を迷人の句と呼称する。

50音頻度分布とは以下のように作成する。即ち各俳句の各音(あいうえお~)の出現回数をひたすら数えて、グラフにするのである。ただそれだけ。両者の50音図でパターンにどんな違いがあるのかないのかが関心事である。次にそのグラフを示す。

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まず、名人の頻度分布。俳句特有の音、か、き、な、のや、り、る等に頻度のピークがある。特にやわらかい響きの「の」が多く使われているのが目立つ。

次に迷人の場合の頻度分布を見てみよう。

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驚くことに両者のパターンはほとんど同じだ。同一のグラフにすると以下になる。

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赤、黒のパターンはほとんど同じだ。つまり、名人と迷人の句を比較したとき、一句、一句を個別にみるとその言葉使いに雲泥の差があるが、音の使われる頻度は統計的に差はないということ。ということは、俳句の芸術性については、このような頻度分布表で名人と迷人の違いを表すことはできないということ。当然といえば当然だが、しかし、形式的に迷人は名人をよく模倣できているといえるのではないか。

さて、上記の議論にはまだ足りない視点がある。それは、散文との比較である。そこで、ある俳句に無関係な本の一節を抜き出して、同じ手法で頻度分布をつくり、前2者にオーバーラップしてみた。

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薄い黒線が散文の場合の50音頻度分布である。散文のパターンは俳句の場合と明らかな相違が見えるのが分かると思う。

本当は芸術性の相違が頻度分布に現れるのではないかと期待して始めたのだったが残念。