老人考

100歳の祝いに政府が銀杯を贈呈する風習があるそうだが、金がかかるのでやめたいそうだ。もともと1963年に150人いた絶滅危惧種を顕彰する意味で始めたらしいが、いまや絶滅どころか3万人に増殖して、経費が3億円になるからだと。だったら、150人になるまで銀杯授与の年齢を引き上げたらどうか。105歳?、110歳??。

経費のことは別として、とり合えず長寿は目出度いが、浮かれていると庶民はひどい目にあう。

「高齢者の9割が貧困化」:朝日新書、週間朝日。

すでに今年3月時点で、生活保護需給世帯の半数は65歳以上!

大企業経験者で2億円の資産もちが、見る間に一文無しになるケースもあったとか。土地が売れなくて、貯金が底をつくのに、社長気が抜けなかった結果だそうだ。

資産もちでなくても、生きていくためには年金以外の貯蓄を食っていくわけだから、長生きすればするほど、「下流老人」に限りなく近づく。今後100歳にでもなろうという人は余ほど蓄えがないと大変だ。

私見だが、この傾向は孫子の代にはもっと深刻化する。なぜなら、寄りかかるべき親の大樹がその頃には枯れてしまっているからである。

ニューヨークではすごいことが起こっているらしい。貧困層の子供の脳の体積が富裕層に較べて6%も小さい、つまり発育不全になっている。なぜなら、彼の地では読み書きそろばんの訓練には金がかかる環境になってしまったから。スタート時点でこれだから、青、荘、老年にいたる過程で追いつくのは難しいだろう。いわゆる負の連鎖である。日本でもいずれこうなる。

株価が2万円を越えたなどと浮かれている場合ではない。

・衣更えオカリナ吹いて風になる