チェルノブイリ

原発事故が1986年4月26日だから丁度30年前。この年は、私が5月にカルガリーに赴任した年だからよく覚えている。世界最悪の事故にもかかわらず、当初赴任先では殆ど話題にも上らなかった。当事者は国の威信や原発反対に拍車がかかるのを恐れてなかなか本当のことを言わないからである。民主国家米国のスリーマイル事故の時でさえ公表は3日後だったそうである。この傾向は今後も変わらないと思っておいたほうがよい。勿論日本もである。

チェルノブイリ原発周囲30kmは現在も立ち入り禁止である。福島と違って除染もされていない。なぜだか分からないが、金がないということと、国土が広いから少々土地を捨てても大勢に影響ないと判断されたのかもしれない。しかしここには当然多数の住民が居たはずだから、突然故郷を墓場にされた怒りとやりきれなさは計り知れない。しかも彼らの避難は事故から1昼夜後だった。丸一日強烈な放射線にさらされたわけで、影響は後の世代にも及ぶ可能性がある。事故前の発電所周辺の平均寿命は75歳だったが、事故後65歳に急減、特に高齢者の死亡が多かったが、放射線はもとより、避難生活長期化のストレスが原因と言われている。

1000台のバスが調達されて強制移住は混乱もなく数時間で終わったとされているが、そのときなぜパニックもなかったかというと、人々は数日で帰還出来るといわれていたからで、その実千年は人の住めない土地にされてしまった。

爆発した原子炉は強烈な放射線のため人が近づくことが出来ず、廃炉の作業が全く出来ない。そのため直後分厚いコンクリートの石棺で炉を覆って放射能漏れを緩和する処置を施した。ところがこの石棺の耐用年数は30年で、最近ひび割れ腐食が目立つようになってきた。そこで、今年さらに石棺を分厚い鉄製のカバーで覆った。では鉄覆いの耐用年数は⇒100年です。⇒では、半減期が過ぎ危険がなくなるまで、今後何回鉄覆いの覆いをしなおさければならない?!

端から見ていても背筋が凍る思いがする。仮に1000年としても、そんな長期間安定して存続する国家はまずないでしょう。次の国家はこんな負の遺産まできちんと継承して適切に管理してくれるだろうか。

実際チェルノブイリの場合、事故当時の国家はソ連だった。ところが崩壊後ロシアになるとともに、チェルノブイリウクライナ共和国に管理義務が移った。幸いなことに、ウクライナはこれを受け入れ、一国で手におえない部分は、現在は多くの国際支援の享受が可能になっている。ウクライナの次の国、そのまた次の国・・・、放射能がなくなるまでこの幸運が続くことを祈るばかりだ。

事故後30年 記者が見たチェルノブイリ : 読売新聞