認知症事故裁判

2007年に認知症老人の引き起こした事故をめぐる裁判は記憶に新しい。電車の線路に誤って侵入したために、会社(JR東海)から損害賠償を求められた事件。監督義務者の妻と長男に720万円の請求。大会社が貧乏な個人から賠償金を取ろうという、およそ社会正義に反する裁判として注目された。

地裁と高裁の判決は、ご存知の通り、請求どおり認めてしまった。(ただし、一部減額 )これは民法の法則どおりの判決で誤審でもなんでもない。しかし社会正義を無視した、大岡裁きや遠山の金さんとは無縁な冷酷な判決である。

さすがは最高裁、これではまずいと感じて大岡裁きに乗り出した。

すなわち、第1の監督責任者である認知症老人の妻は自身要介護、加えて長男は別居中のため被告の行動の四六時中の監督は不可能と認定して無罪にしてしまった。

これでひとまず全国の良民市民はほっと胸をなでおろしたわけであるが、この判決で完全に安心できるかというと実はそうでもない。仮に、壮年の健常者が同居していて、この人が監督責任者だったらどうだろう。同じ事故だったら今回でも有罪の可能性が高い。つまり、献身的な介護者であればあるほど有罪の可能性が高いという、これまた社会正義に全く反する結果のでる可能性が排除できない。認知症介護者は依然枕を高くして安眠というわけにはいかないのである。

この状況を一気に解決するには、被告個人でなく、社会全体で支える以外にない。つまり適切な保険の創設である。

一番簡単なのは介護保険に保障内容を追加することだが、線路侵入以外にも物品破損、歩行者追突、高速道路侵入、逆走などをカバーする必要があるので慎重な検討が必要。政府機関で早くやってくれ。

JRも大会社なんだから、貧乏人から請求などとみっともないことせずに損害保険かなにかで手を回しておくことは出来ないだろうか。

結局、大岡裁きまでに8年もかかった。その間被告は気が気じゃなかったはずである。

下級審の裁判官とはいえ、会社の中間管理職とは違うはずだから、社会正義とのバランスなどという高度な判断はお上にまかせて、とりあえず稟議書に捺印しておこう的な安易な判決でお茶を濁してほしくなかったことを一言付言しておきたい。

・しゃぼん玉ふっと飛ばして夏の顔

・さざめきや合いの手いれる鹿おどし

・聞きなれぬ鳥の声して春惜しむ

・空き店の窓移ろうや秋の月

・禅僧の声朗々と紅葉寺