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墓参り他

今日はお天気がいいので墓参りに行って来た。場所は、西武池袋線飯能駅から霊園バスで10分、山の斜面を切り開いた近代的な霊園である。お墓は、キリスト教会の共同墓地なので、墓石が超立派である。

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まわりは、別の教会の共同墓地が並んでいる。

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立派な礼拝堂も完備している。

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山の下から見上げると、

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話は変わりますが、墓参の目的は何でしょう。まさか、墓石の下に故人が眠っているとは思いませよね。わたしは、「千の風」派、「安らかにお眠り下さい。」という言葉が大嫌いです。

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さて私の家族環境はキリスト教徒だが、私自身といえば、いわゆる既存三大宗教(宗教組織)には信をおいていない派。

その理由①2000年の間人類の平和共存を実現できていない、排他的傾向は未開文明のままである。 

②霊の世界(換言すれば死後)の記述があまりに荒唐無稽で、並みの理性ではとうてい受け入れられない。

25年前、これに代わる教えを発見し、長年の疑問が氷解して文字通り目から鱗だった。⇒心霊主義(または、心霊科学)、スピリチュアリズム

これは、今でこそ、例えば池袋のジュンク堂の書棚一杯に席巻するスペースが与えられるほど情報にあふれているが、一般には日本ではまだ目新しいかもしれない。しかし、英国中心に既に2百年の歴史があり、以来名だたる学者の検証の洗礼を通過している。つまり、その説く内容は信仰ではなくて知識(つまり理性の検証を経て)として受け入れることが可能であるところが既存宗教と異なる点である。

最近、その内容はネットでも閲覧できるようになったので、ぜひ覗いて見られることをお勧めします。再言するが、これは宗教ではなく、「知識」です。

www5a.biglobe.ne.jp

その教えのエッセンスは実に簡単明快、「人間の本質は身体ではなく霊の存在であり、死後の霊としての生活こそ本分である。そのために現世での行動、思想、思いを律しなければならない。それを実現する最高の行いは、他者愛、他者を助けること。」

「人間は考える葦である。」で有名なパスカルは、このことを直感的に分かっていた。しかし、当時懐疑的な大衆はたくさん居たと思われる。そのような圧倒的懐疑論に対して、当時はまだ、大哲学者といえども体系的に説く基盤がなかったので次のようなたとえ話をした。

「死後生の存在の確証はない。存在の有無の確率はいわば50%としよう。さてこの状況で、どちらに賭けてこの世の生活を送ったら得か考えてみよう。①有に賭ける⇒それなりの正しい生活を送れる。⇒そして勝ったとき(死んでみて、死後生があったとき)、死後生も正しく送れる。負けたとき(死後生が不在だったとき)はそれはそれまでのこと、何の不利益もない。

②無に賭ける⇒現世の生活が乱れる。⇒勝ったとき(死後生不在)、それまでのこと。問題は負けたとき。死後生を送る上で大変な不利益を蒙ることがある。さてどちらに賭けたほうが得か」

上のたとえ話は、現代にも広く通用する。スピリチュアリズムなどとこ難しいことを勉強したくない人は、「死後生あり」に賭けて生活を律すれば、とりあえず死んでも大して不利益は蒙らない。(と思っているが、本当のところは分からない。)

・さざめきのふと途切れるや鹿おどし(ししおどし)

・山鳩の声何処より夏木立

・彼岸西風(ひがんかぜ)涅槃図仰ぐ目に涙

・門前に涅槃図ありて彼岸西風