皆さんこんにちは。本日は、本場の名士、苺・花博士に成り代わりまして、不肖recocaが長崎の町をご案内いたします。
先導役は長崎育ちのさだまさしさん、元ネタはNHKTV世界街歩き長崎スペシャルです。なお以下の画像はいずれもTVの静止画面のデジカメ撮影という荒業によるものなので、きわめて見苦しい画像であることをご了解下さい。DVD静止画のPCへの取り込み技術未熟のためです。
港から出発して、まず明治時代外国人居留地だったところを歩きます。赤レンガの特徴ある長い塀は孔子廟。塀に沿ってレトロなお風呂屋さん、石造りの長崎教会。塀が途切れたその先にはオランダ坂。
長崎では西洋人のことを親しみを込めてオランダさんと呼んでいました。オランダさんが行き来する坂なのでオランダ坂。左の小径を登ります。
坂の途中に韓国の国旗のある建物が。ここは、外交施設ではなく、東山手地球館という民間の国際交流の場。日替わりで外国の料理が振舞われます。今日は韓国料理の日。これまで70ヶ国の在留外国人が料理に訪れたそうです。ビビンバがおいしそう。一般のお客もウエルカム。
さらに坂を登ると正面にどっかりと大浦天主堂。現存最古の教会で国宝です。そして左手にあの名門文明堂総本店。
この少し先は、坂の頂上のグラバー邸とそこから見下ろす海の絶景ですが、ポピュラーなので省略。さて、グラバー邸から坂を下りて街の中心地へ。するとやがて長崎新地中華街の赤門が現れる。さだまさしさんいわくここのちゃんぽんは絶品とのこと。対面の立派な大門をくぐってしばらく歩くと、思案橋とかかれたアーケードが見える。
これをくぐって左に行くと江戸時代の花街丸山町です。その昔庶民はここまで来て、行こか戻ろか思案したのだそうです。正面の風格ある建物は伝統の美味カステラ屋さん。
さて、丸山町に今も芸妓さんがいます。三味線、踊りの稽古場が現存する。
さて、ちょっとコーヒーブレイク。長崎には出島を通してハイカラな文化が流入しました。そのひとつが砂糖、ガラス製品、そしてビリヤード。当時のビリヤードはこんな様子だったそうです。
眼鏡橋を過ぎると寺町へ。ここに竜馬が闊歩したという坂があります。「竜馬通り」
この急坂の途中は住宅が密集、毎日の上り下りを想像すると気が遠くなりそう。途中に「この坂で竜馬も見たか青春の夢」の看板。頂上は草原で、凧揚げのおじさんが二人。凧のことを「旗」というそうです。
坂を下りて、竜馬縁の場所を見学。その①、日本最初のカンパニー亀山社中。
その②花街にある竜馬が通った料亭「花月」
座敷には、白熱した議論の最中に興奮のあまり竜馬が付けた刀傷のある床柱が現存しています。
今度は、街を北へ歩いていくと爆心地至近の浦上天主堂が見えてきます。
・闇深く花の怨みや天主堂
・この春の全ての許し天主堂
その近くの住宅街の道路沿いに背の高い渋柿の植わっている界隈があり、住民のおばさんが竹ざおで収穫していた。干し柿にするそうです。
この柿の木はただの柿の木ではありません。「被爆柿の木」とよばれていて、爆心地から900m、実際に被爆して今も生き続けている記念すべき柿の木。黒く焼け焦げた部分は削り取って修復され幹は金具で補強されているのだそうです。肌色の部分が黒焦げになっていた箇所。
もう一箇所、原爆に関係する場所。浦上川の川辺。花を手入れしているおじさんがいた。去年から植え始めているそうである。
じつはこの場所は、水を求めた原爆被害者の死体が累々と折り重なっていたところ。なぜかというと川辺に下りる場所がここしかなかったからです。このおじさんも幼少のとき目にしているとのことで、暇になった今、鎮魂の意味で花を植え手入れを始めたとのことです。
さて、お腹がすいてきたので、長崎のめずらしいおやつを紹介します。
①ミルクセーキ 長崎では飲み物ではなく食べるものなのだそうです。
②ハトシ(中国伝来、海老のすり身を揚げて食ぱんでくるんだもの)
③びわゼリー(長崎はびわ全国一の産地)
吹きガラスの工房(長崎のガラス製作は400年の歴史がある。)
明治の代表的建造物「香港上海銀行」
以上で終りです。博士、テリトリーの侵害、失礼致しました。