忖度

●ジャムの変化球、青トマトジャム、はてな村に上陸。

・驚きのジャムの香甘し青トマト

●泥沼のごとき世界にも御仏の眼は浄土を見る。

・千年の泥沼浄め蓮開く

●忖度(そんたく)

悪い意味の流行語になりそうだが、本来は日本情緒豊かなとても上品な言葉である。そのことを茶道家元千宗屋氏のコラムで知った。(朝日新聞7月7日朝)記事によれば、茶道の振る舞いは忖度の連続だそうである。「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」これがお茶の極意であり、まさに究極の忖度である、の言葉に眼を開かれる思いがした。

それがなぜおかしなことになってしまったのか。結局ご機嫌取りの迎合に成り下がった結果であろう。とくに、一強への平目のごとき忖度が一番危ない。

森友、加計は正に進行中の弊害だが、それほど遠くない過去にも庶民が大変な被害を蒙った事例が存在することを知ってたまげた。(NHKTV、なんという番組か忘れた。)

脚気という病気をご存知だろうか。ビタミンB1欠乏症でひどいと死んでしまう。今では精米が元凶であることは誰でも知ってるが、日清、日露戦争の頃は誰も知らないなぞの病気だった。

不思議なことに、白米主食(おかずほとんどなし)の陸軍兵士は脚気でばたばた死ぬのに、パンと肉食の海軍ではほとんどゼロだった。このことに気づいた高木兼寛という学者が、陸軍も白米偏重を改めるよう提言したのだが、これに強硬に反対した学者がいた。森林太郎(鴎外)である。

彼は当時のエリート中のエリートで。陸軍医学部に鉄塔の如く君臨していた。根っからの愛国者である森は、白米だけ食していれば栄養は足りるという強固な信念を変えなかった。その結果どうなったか。日清、日露戦争の陸軍では、戦闘による死者を上回る脚気患者と死者を出してしまった。それでも尚森は方針を変えることはなかった。さすがに犠牲兵士の家族から抗議の声が上がったとのことである。

ここで不思議な疑問が起こる。当時の国家機関にもきわめて優秀な各分野の官僚がいただろうに、だれひとり、食事内容の変更の試行を進言しなかったのか、ということである。今となっては実態はわからない。一つ明らかなことは森という人は、ものすごく弁の立つ人で、論争すると相手が立ち直れないほどのダメージを与えるのが常であったことである。TVのコメンテーターも論じていたが、結局保身のために親分の機嫌を損じないように、お説ご尤も、つまりイエスマンに徹していた結果であろうことが推測される。これを忖度というかどうかは別にして、平目で黙すことがときに国家、庶民に対して甚大な被害をもたらすということを肝に銘じていなければならない。

ちなみに陸軍の食事変更は、森林太郎氏の死去でようやく実現した。

学校の歴史でもう少し近代現代史に重点を置いた教育をしてくれていたら、こういうことも習っていたかもしれない。少なくとも私は今回TVで初めて知った。

●この花の名教えてくだされ

f:id:recoca1940:20170709142204j:plain