もう一冊図書館で借りた本⇒東京我が残像(1948-1964)田沼武能写真集。
なぜか妙に惹かれて眺めてみた。1948年といえば終戦後3年、戦災に翻弄された、特に子供が街にあふれていた。その写真はまさに小生の子供時代とドンピシャ重なる。惹かれたのはそのせいかもしれない。
まず街にあふれる戦災児童の数々。
人形のミルキーを眺める孤児 銀座1950年
孤児たちの服装。小生の小学校入学時の集合写真を見るとまさにこんな感じだった。目に見えて改善されてきたのは高学年ごろからだったろうか。こういう時代小生の田舎愛知知多半島の片田舎の小学校で、ヴァイオリンを買わせて教えていた教師がいた。この先生はほどなく岡山の高校数学教師として転任、私はなぜかこの風変わりな先生が好きで晩年まではがきのお付き合いを続けていた。私のサラリーマン退職時には岡山まで報告に行ったことがある。この先生に褒められたことがなぜか今も鮮明に残っている。その1、空の色を紫に塗ったとき。このときは激賞された。しかし紫を好むということは、心の病に関係することを大分後で知ってあまりいい感じはしなかった。その2、歌が歌えなくて、仕方がないので口パクでみんなに合わせていた時。声がみんなに溶け込んでいて非常によろしい!とにかく変わった感性の先生だった。
子守の少女 1950年
上野公園1951年
有楽町日劇ビル狭間1951年
初詣賽銭箱欲しがる子供たち
紙芝居1955年佃島
国会議事堂界隈のバラックに住む子供1956年
路地裏の縁台将棋佃島1958年
少し服装が小ぎれいになっているのが分かります。
時代が下って1964年駒込
もはや戦後ではない、のフレーズで舞い上がってオリンピックを招致。すっかり余裕しゃくしゃくの雰囲気が見て取れる。
まだ雨漏りのする小学校荒川区1964年
・雨上がり弥生の雲の白さかな
・蓮華田のさざ波臥して童唄