老人的超越仮説

最近中国の話題で新聞をにぎわしている話題があります。周主席の任期撤廃。これで無制限に権力の座を確保できるようになる。このニュースが目につき始めて思ったのですが、同じ権力が長期化することは世の習いに逆らうことではないか。水の淀みが生ずるのは世の習いではないかと思うのですがどうでしょう。

一方、不易流行という概念があります。これは、俳人芭蕉の到達した思想で、簡単に言うと、宇宙は絶えず変化(流行)しながら実は不変(不易)であるという宇宙観です。人の世が出会いと別れを繰り返しながら、その実何一つ変わることはない。だから細かいことに一喜一憂するのでなく、不易に立って流行を楽しみながら生きてゆく、芭蕉の教えてくれる人生の極意だと思います。

権力の問題に戻ると、権力などというのは典型的な「流行」だと思います、決して不易などという普遍的なものではない。それを勘違いすると、権力の永続願望が不老長寿願望に変わって失意のうちに世を去ることになり兼ねないと思うのです。

今朝の朝日新聞に興味ある言葉が載っていました。「老年的超越仮説」。これは大いに気に入りました。老人の「幸せ感」の調査から出た概念ですが、幸せ感は男女とも80~90歳でいったん下がるが、100歳になるとまた上がる。老人的超越仮説はこのことを説明する仮説です。「お金持ちや偉い人になりたい」という考え方から「自分は宇宙の中の一員、先祖代々つながってきて子孫につながっていく」という世界観に変わることで、幸せ感が高くなる。これが「老人的~」の仮説です。この「超越」とは「日常の些末」からの超越と言い換えることができるのではないでしょうか。新聞を毎日熟読して一喜一憂することから徐々に遠ざかることからはじめてみては如何でしょう。