沖縄に避暑に行きたき酷暑かな

・昨日は東京都心で短時間大雨雷警報が出るすごいことになっていたが、その端くれである東久留米でもそのおこぼれを被った。一瞬の停電も。そのあと急に涼しくなったので、被害なければ大雷雨大歓迎だ。おまけに、窓を開けていたら夜冷え込んで布団を引っ張り出す騒ぎになった。今朝の温度計を見たら26度。これから暑くなる。しかし午後は昨日と同じ予報みたいだから涼しい夜が楽しみである。

9月が近づくと、また俳句の投稿時期なので、今朝の涼しい時間を狙って予行演習を行った。成果は次の通り。

・海鳴りやつるべ落としの無人

・名月や携帯電話切りにけり

・夏雲や悲しみ浮かべ湧きにけり

第1句。郷里、知多半島の情景です。第3句。夏は年配者にとって悲しみの多い季節でもあります。

これだけだとなんか頼りない記事なのでおまけに、「ZENGO」から人との会合に関する禅語を三つ。秋にかけて、人恋しい時期でもあるので。

①相逢不相識共語知名(あいおうてあいしらずともにかたりてなをしらず)

「お互いのことを何も知らないまま出合い、肩書や名前もしらないままで語り合う。」禅ではこういう会合を理想としてるか奨励してるのだろうか。確かに、知識をひけらかすだけの会話や、損得ずくの情報交換などの会合などは心に残らない。では何のために語るのか。何の為でもない対話、これほど心弾むことはない、と禅は教えている。

これを読んで、はてなのコメントの対話がピッタリではないかと思った。互いに名も性別も素性もなしに感想を交わす、現代的禅の具現。

②一期一会

もっとも有名な禅語。千利休の言葉。幾度同じ相手と茶会で交わろうとも、今日この時の会に戻ることはできない、の意。

③喫茶去(きっさこ)

これは難しい語だ。「まあ、お茶でも飲んでいらっしゃい」あるいは「喫茶(お茶を飲みに)行きなさい」という意味。ある高僧は、新参の僧がくるといつも、ここに来たことはあるかと問う。これに「はいあります」「いいえはじめてです」いずれの答えに対しても「喫茶去」とだけ答えた。それをきいていた僧がなぜ同じ答えをするのかと尋ねたらやっぱり「喫茶去」とだけ答えた。さてこれは何だと思いますか。禅問答ですから素人にわかる明快な答えはない。ヒントとして次のような記載がある。

「座禅は一人修行だが、茶を飲むということは二人でする修行だ。私たちは日々日々変化する生き物。今この瞬間の自分と同じ自分にはもう二度と会えない。だから、人と会うということはもう二度と繰り返されない、たった一度の機縁なのだ。そんな特別な時空でただ一度だけできる修行が喫茶なのだ。これほど緊張感に満ちた修業があるだろうか。」

上記から、結局高僧は「もっと修行を積むように諭した」と解されるのではないかと思う。

さて、RECOCAもここらでコーヒーでもいれようか。