唱歌童謡

9月に入り、東久留米は今秋やっと30度前後の人間らしい活動のできる日和になった。さて、ではブログなど放り出してウオーキング、サイクリングに外出しようと思ったら昨日から久方ぶりのぎっくり腰になった。昨日は構わず歩いたり自転車をこいで録音に行ったらあまり良くないようだ。

さて、これを見てください。何だと思いますか。

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これは、小・中教科書から消えた唱歌、童謡です。ただし、これは16年前の2002年現在なので、今はこの中からもっと消滅しているのではと危惧します。青少中年の方は、そんなもの消えるのがなぜ不満?と思われるかもしれないが、困るのです。老年になってから、往年の昔を回想するよすがが消えてしまうことに繋がるからです。ボランティアで老人施設へ行ってみるとよく分かる。昔を回想することは、精神の安定剤、音楽療法の基礎でもあります。オカリナと童謡唱歌を歌った午後はとても穏やかな雰囲気になるということを随所で聞いています。では、童謡唱歌が消えた音楽教育を受けている現在の生徒、学生が同じ立場の老人になったときどんな歌をよすがに往年を回想するのでしょうか。心配なのはそんな歌があるのかということです。以下の本にその分析が載っています。

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例えば、目につくのはジブリのアニメソング。消えた童謡唱歌の重要な後釜にみえる。なかでももののけ姫の優遇ぶりがめにつく。こういうものが未来の老人ホームでは、みんなが涙して歌う歌になるのだろうか。アニメの好きな人は思い入れがあるかもしれないがそうでない人も大勢いるのではないでしょうか。

さて、前掲、消えた唱歌童謡の表に戻ります。

一発目にリストアップされている、この道と待ちぼうけなのでですがいずれも山田耕筰の代表曲です。山田耕筰といえば日本における西洋音楽の開拓者で非常に重要な存在で、その歌曲は非常に芸術性の高い内容です。ところがこの純粋な芸術性ゆえに、教科書からの削除の危機に見舞われるという皮肉なことになったと上記の本は述べています。どういうことかというと、削除対象になると国民からの残留陳情がきて、その熱意の多少によって結果が決ますが、芸術性が高い=地方の土着性が少ないという理由で残留陳情の熱意が弱いのだとか。こんなところにもポピュリズムの悪しき弊害がみてとれます。それから唖然としたのが、桃太郎などの昔話。削除の理由は内容が軍国調だということだそうです。歌詞4番「そりゃ進めそりゃ進め、一度に攻めて攻め破り、つぶしてしまえ鬼ヶ島」鬼ヶ島=韓国、中国などかつて侵略した場所を連想するからだそうです。韓国のある文化人はこんな論文を書いているとのことです。「桃太郎の団子と剣は、すなわち日本人の姦計と武力主義を象徴するものであり、小人が九尺を超す鬼を攻撃するということは、小さな島国(日本)とはいえ大陸を蔑視し、進出を企画する侵略主義の根性を暗示するものである。」こういう阿保らしい反日論調に恐れをなし忖度している日本の情けない状況がここにもあります。

タブー、差別語?のために削除

赤い靴:異人さんにつれられて=外国人にさらわれる

テルテル坊主:雨が降れば首を切る→残酷という意見が現場教師から。バカな教師がいるものだ。文部省、教科書会社はもっと筋を通して毅然と。

赤とんぼ:姐やは15で嫁に行く→現在の婚姻年齢に合わない、が理由とは教養のなさにあきれるしかない。「姐や」は差別用語

言葉刈り→「ぼく」と男子を主人公にした歌が多いのは男女差別という抗議書が来るそうだ。アホか。いわれなき圧力には毅然と対処してもらいたい。

追伸

上記の消えた唱歌童謡の中に、最近まで私の知らない曲が一つありました。それは「野菊」。それをたまたま耳にする機会があり非常に感動した記憶があります。多分、この20曲の中でRECOCA一番の推奨曲。これを知らないということは、戦後まもなく教育現場から外されたということ。作曲は昭和17年だから戦争真っ只中。老人施設の入居者も知らないだろうと思って、いい歌だから覚えましょう、と紹介したら古手の人は大体ご存じだった。ということは戦時中と戦後しばらくは教科書に載っていたらしいことが分かった。削除するセンスが分かりません、文部省殿。まー、聞いてみてください。

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