宝くじ

各種宝くじやロト、ナンバーズなど8割の人が買っているというアンケーえト結果が出ていた。8割というとほとんどの人が買っているというイメージだ。してみると買ったことがないRECOCAはかなりの少数派であることが分かった。買わない理由は、ずばり「くじ運がない」。買ってみなけりゃわからないではないかといわれると思うが、分かるのである。ささやかに試した株、投資信託でプラスになったためしがないし、商店街のくじでもティッシュペーパーが関の山なので後はやらなくてもわかる。まさしく「買わなきゃ当たらないされど買っても当たらない」の代表選手である。

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このアンケート表を眺めていて気が付いたこと。
・以外に大勢が買っている
・買う理由は「夢がある」
・その割には、当たったときの使い道が「老後の資金」とはしょぼくて「夢がない」
それだけ日本の社会福祉が歪んでいるということだろう。今も未来も老人が稼ぐには働くしかなくなった。昔は、終身雇用の退職金がそこそこ出て、それを利息5%くらいの銀行に預けておけば年金と合わせて最低限の生活位なんとかなったのに銀行はだめだし他も怪しい、という現実を表している。
 ところで、5億円ジャンボ宝くじの当選確率は一千万分の一だそうである。つまり、全国で当選者はよくて数人ということである。こんな低確率なのに「自分」は例外で当たるかもしれないと思って買うわけですね~。では、同じ低確率でも宝くじ当選などの「幸運」の反対、「不運」の事象の場合はどうでしょう。例えば、隕石に当たる、飛行機事故にあう、もっと極端なことでは健康なのに明日の朝息をしていない・・。これらは宝くじ当選確率と同等あるいはそれ以下の低確率であろう。こんな稀な事象だが、宝籤の時と同じように、自分は例外でこれら不幸に当たるかもしれないと心配する人はどのくらいいるだろう。つまり、言いたいのは人間は自分の都合の良いように考え判断するということである。すなわち、幸運は自分に到来し、不幸は避けて通るものと潜在意識の奥底で硬く信じているのが人間であるということである。
宝くじのアンケートからなぜこんなことまで連想したかというと、RECOCAにはそれを想起せざるを得ない大事件が8年前に起こったからである。それは逆縁の死別。カナダカルガリー在住の長男の水死事故である。逆縁死別自体が低確率の事象であるのに加えて、水死の状況がそれに輪をかけて低確率、さらに外国で生起したとということも低確率、つまり低確率の3乗ともいえる極超低確率の事象が普通の顔をして我が家に到来したからである。ある哲学者の本に「確率ってあなた本人にとってなんでしょう」という意味のことが書いてあった。雨の確率5%と聞いて、なぜ君は傘なしで安心できる?明日が君にとっての5%でない保証がありますか・・と問い詰められると恐れ入りましたというしかない。
そこで堂々巡りのようだが、再度宝くじなどの「幸運事例」に戻る。世の中に起こることは幸不幸の区別なくある確率に従って起こる。
「いくら低確率だからといって、あなたにとってはそんなことは関係ない、起こる時はすぐに起こる。」これが8年前の不幸事件から得たRECOCAの定理である。これを適用すれば宝くじを買うことは一定の理にかなった行為といえる。なぜならあなたにも幸運が簡単に訪れる可能性があるから。不幸が普通の顔をして訪れるのなら幸運だって同じだろう。
ただし、この「定理」には付け足すべき文言がある。それは、「いくら高確率だからといって、あなたにとってそんなことは関係ない。起こらない時は決して起こらない。」だからいくら買い続けても当たらない人には決して当たらない。当たり前のことだが、そういうこと。

・久しぶりに花クイズです。垣根の花。出題者は正解を知りません。

朝顔みたいだが今でも朝顔咲くのだろうか

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