在宅介護・死など

●詐欺

ご近所で最近詐欺に引っかかった高齢(多分女性)の話をお隣さんからかみさんが聞いてきた。こういう近所のコミニュケーションは大事だね。自分は苦手だけど。

認知症でもなく教育も普通にあるのになぜそう簡単に引っかかるのだろうか、こういう話を聞いてるほうが情けなくなる。一人暮らしで、隣の人からの「絶対詐欺だからやめなさい」とのアドバイスを無視して払ってしまったらしい。これはオレオレ詐欺ではなく、未払い金裁判の被告になっているから月末までに失効手続き着手金を払えばチャラにしてあげる、という最近はやりのやつだ。うちにも来たが、聞いてみると隣近所にも来ている。宛先をランダムに選ぶのでなく地域を選んでいるようだ。一回払うと次々来て身ぐるみはがれるまで続くから覚悟しなさい。

●在宅~

数日前の拙記事で終末在宅介護云々というけれど、どこで(スペースの問題)、誰が(介護者の問題)、往診する医者は居る?など問題山積で無理だ、ということを書いた。

その後図書館でその手の書籍を探してみたら結構ありますね。やっぱり喫緊の重要課題なんだということが分かった。(あたりまえだが)その中で目を引いた本⇒「家で天寿を全うする方法」太田秀樹著。この中に興味あることが書いてあった。

①医療が崩壊すると住民はハッピーである。

北海道夕張市で起こっていることだそうである。ここでいう住民とは主に「フレイルエルダリー」のお年寄り。フレイルエルダリーとは、高齢で必然的に虚弱化しているが健康寿命を全う中の住民のこと。ご存知のように、夕張市では市の財政が破綻した。必然的に医療も破綻状態にある。夕張で地域医療に従事されてる医師は講演で次のように話しておられる。「医療が破綻して病院はなくなったけど、それで夕張の人が不幸になったかというと、そうじゃないんだ、ハッピーになったんだよ。」

実際、彼らは、命の終わりのあることを受け入れて、最後まで自宅での生活を望んでいるから、いざという時に呼ぶのは訪問看護師で、死亡診断は在宅医療が担っているとのことである。

「亡くなる前の晩まで好きなものを食べて、地域の人に囲まれて生活することを選んだのです。その結果、高齢化はさらに進み続けているにもかかわらず、一人当たりの医療費単価は下がり続けています。」

大変結構なことだが、ぜひとも知りたいことがある。残念ながらここには記述がなかった。たとえば、

・家族の介護者のいない一人暮らしの在宅介護は具体的にどうしているのか。このような人は、好物を自由に食べることはできないし、近所の人との交流もないであろう。

・まだ動けて身の回りのことができるうちは良いが、そのあと寝たきりになってから死ぬまでの間の介護(終末介護)には十分手があるのか。

②北欧、とくにデンマークでは

まず、国民の税金についての認識が根本的に違う。日本では、「税金とは取られる(盗られる?)もの。」デンマークでは「預けるもの」。つまり「預けた」税金で国が終生面倒を見てくれるのである。だから、50~60%の高率でも不満はない。(中には不満の人もいるだろうけど)。高齢者はどんな状態になっても衣食住に不自由することなく人間的生活を保障される。この人間的生活、というのが重要である。ただ、ベッドに寝かせておくだけというのとは違うのである。これが実現できるということは実は大変な長期ビジョンに基づいた政策が必要だということである。その基本は少子化対策に端を発する。いわれてみればその通りで、子供を産み、育てやすい環境を整備して常時若年層の数が十分ならそもそも老人問題のほとんどは起こらないだろう。次に障害者対策。これにはちょっと意表を突かれたが、これも言われてみればなるほどごもっともだ。なぜなら、老人の身体機能や知能の減退は必然で、老人になるとは、いわば徐々に障害者の仲間入りをしていくことであるから。だから、国や社会において障害者対策がしっかりしていれば老人問題などと取り立てて騒ぐ必要などないことになる。まさにデンマークで起こっていることはこの流れで、少子化対策⇒障害者対策がしっかり解決済なので、高齢者も障害者と同様人間らしい余生が送れるのだそうである。

我が国のように前段の二つがなく、急に高齢者増加、さぁ困った、となるとベッドに縛り付けておく対策しか思いつかないのも致し方ないかな、と思った