♪千の風になって

今朝の曲は、千の風になって。

その前に令和です。間もなく令和の年に切り替わりますが、「令」の解釈についていろいろあるようです。国民の直感的受け取り方は、「命令」の令からの連想で冷たい印象を抱く人が多いですが、安倍首相はじめ令和推進者はこれを払しょくするのに大変のようです。そして令和の心とは⇒「beautiful harmony」とか、とってつけたような解釈を示しています。

一昨日の新聞に令和発案者のコメントが出ていました。それによると、「令」の本心は「善い」であるとのこと。しかしこれは万葉集を睨んだら出てくるのかな~。ちなみに素人が突然万葉集の原本を開いてもお経と同じで何もわからないからやめたほうがいいですが、一応これを採用して句にしました。

・令和来て天善し地善し聖5月

・天と地の声麗らかに令和の日

・聖5月令和元年初日記

        RECOCA

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千の風になって

この曲には思い出があります。2001年新潟赴任時に同僚の身内の方が突然亡くなりました。その時期にちょうど千の風の詩の初版が書店に出たのでこれを送ったところ、とても慰めになったと喜ばれたことがあります。そのうちに曲も付いて一気に全国区の曲になりました。

元詩は米国人の作。複数の人が日本語訳をしていますが、新井満氏のが知れ渡りました。おまけに作曲までされています。詩のメッセージはよくご存じのように、「私はお墓の中になどいない。風や鳥のように自由である。」という内容です。これは私がライフワークとして研究している「霊的世界」を詩的に表現したものに思え、初版を見た瞬間に共感を覚えました。

ところで、この「お墓の中にいない」という表現は一部の人に不満というか物議をかもしたようです。とくに仏教でお寺に信心している一部の人たちに。先祖はみなお墓の中で実際に眠っていると思って墓参りに来るのに、そこにいないんでは墓参りの意味がないじゃないかというクレームがお坊さんに向けられることがままあったようです。それに対するあるお坊さんの回答がネットに出ていましたので興味ある方は後ろのURLをご覧ください。ちなみに、キリスト教も仏教も死後霊が墓の中に閉じ込められているなんてことは一言も説いていないので念のため。キリスト教では、すぐ天界へ行くし、仏教では49日後輪廻転生することになっています。それなのに墓参りを頻繁にするのはなぜか。これは古来から蓄積されているの日本人の先祖崇拝の強いメンタリティに起因していますから、さすがのキリスト教も日本においては先祖崇拝に多少は妥協せざるを得ないのです。

ということで、昨日は女房が在籍しているキリスト教会共同墓地での墓前礼拝が例年の如く行われ参列してきました。なぜ参列したかというと長男が葬られているからです。今年は珍しく桜の中での礼拝となりました。先日それを予想して、「はらはらと降る桜かな子の墓前」という句を作っておきましたが、予想が的中しました。千の風のスライドショーのなかに一部入れておきました。それから、導入部に居候の光さんの美しいコハクチョーの画像をお借りしています。さらに、近所の公園花壇のビオラも。これは、東久留米市役所から公園美化のため提供された花をうちのかみさんが主宰する公園ボランティアが管理育成した花壇です。

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