東京の今日から土曜までの気温予報⇒(30・31・32・31・32)これを見ると昨日までの35,37の羅列に比べて急に天国が来たように感じる。
天国といえば、東京都の自称天国東久留米について先日TV放映されていた。その少し前には隣町花小金井の自転車道や広大な都立公園が別の番組で紹介されていたし、この界隈はますます東京のオアシスの感が強くなった。ただし、TVの影響は切り取り方でいかようにも違った印象がばらまかれるから要注意。だから、天国、オアシスなどを言葉通りに受け取らないでください。醜い面もそれ以上にあります。
TVはこんな名前の番組
東久留米の現在の一番の売りは湧水、清水、清流。
湧水箇所は流域80か所。中でもこの南沢湧水群は湧水日量1万トンの最大規模のところである。これら湧水が合流して小川(落合川)の清流になっている。夏ともなれば子供たちの絶好の遊び場。
スイカを冷やすほどの冷水。
こんな遊びも。こんな小川でも子供たちにとってはちょっとした冒険。
清流にしか住まない希少動植物の宝庫でもある。
特筆すべきは、特別絶滅危惧種で関東では落合川の清流にしか生息しない魚、ほとけどじょう。10年くらい前の河川改修で生き延びられるか心配されたがどうやら生き残ったようである。
・秋立つやほとけどぜうの澄まし顔 recoca
また、清流の宝石かわせみの生息地でもあり、夜明けの目覚めをとらえるため巨大な望遠レンズ付きカメラを携えたプロ級の腕自慢が夜中から位置取りに大勢押しかけてくる。
このように今はどこに出しても遜色ない清流の小川であるが、これは官民あげての非常な努力の賜物である。40年前の落合川といえば近隣流域の宅地開発の余波を急激に受けてどぶ川そのものだった。長男の幼少期には絶対にこの川に近づかないよう言いくるめたものである。実際この川にちょっと触れて破傷風になった人もいた。それが屎尿処理が進み、さらに住民の意識改革が進んで生活排水を垂れ流さないことが徹底されると水質は見る間に浄化されて清流が蘇った。定期的に河川を清掃する市民ボランティアの活動も活発で、そのことが平成の名水(東京都でただ一か所)に選定される大きな要因の一つであったと聞いている。また、一時期南沢湧水群一帯の湧水をつぶしたマンション開発計画が持ち上がり、計画道路の線引きも行われたが強烈な住民の反対運動の結果からくも湧水群は生き残った。このような経緯を考えると、環境保全に果たす地域住民の意識と熱意がいかに決定的要素であるかが分かる。規模は異なるが中国大河川の混濁もひとたび住民の意識改革がおこれば、国と工場を動かして清流を取り戻すことは可能であろう。ただし住民の意識を国が抑え込まないという一種の民主化が進んでからの話だが。
さて、湧水の清流がもたらすものは他にもある。
・花農家
花栽培を行う花農家が市内に12軒ある。いずれも素晴らしい花を栽培しているのは間接的に清流のせいであろうか。
平成27年:プリムラジュリアで農林水産大臣賞、平成24年ビオラで5年連続農林水産大臣賞。
さらには、世界で初めて黄色いサクラソウの品種改良に成功して、10年に一度行われる花のオリンピック(フロリアード2012)で金メダル(一等)受賞と得筆すべき成果を上げている。
野菜、果物農家も数多く操業しており、面白いのは軒先販売や無人販売が盛んなことでなんと市内80か所もある。
直接湧水の元をくみ上げて温泉利用するスパが今年オープンした。地下1500mからくみ上げる源泉掛け流し温泉で水は落合川湧水と同じもの。スパジアムジャポンと銘打つ関東一の規模を誇る温泉銭湯である。まず建物がすごい。これが銭湯とは、と度肝を抜かれる規模。
5階建ての広々とした空間に4種の岩盤浴、風呂、サウナ15種類、フードコートや3万冊のアニメ無料読書室などユニークな設備もある。
少し視点を変えると、東久留米は冬至にダイヤモンド富士となる位置にある。これを生かすため、駅西口開発に際して富士山に向けて広い直線道路を造成し、東久留米駅のテラスから常に富士山が一望できるようにした。これが東久留米の名所として現在息づいている。
まぼろしのブランド小麦というのもある。柳窪小麦という品種で、一時絶滅したが保存してあった種から復活させた。実際に17件の農家が栽培しており、うどんやかりんとうの地元ならではの名産品となっている。このうどんは市役所のカフェで提供されている。腰が固い。
歴史的建造物にはこんなのがある。
①村野家住宅
国の登録有形文化財に指定。大きな屋敷林に囲まれたかつての豪農の邸宅で天保9年(1838年)建築。現在も居住生活しているのがすごい。
②自由学園
全寮制小~大一貫教育(キリスト教系)で人間性、しつけを重んじた教育で知られる。自由学園の5つの建物が東京都歴史的建造物に指定されている。昭和9年(1934年)フランク・ロイドの弟子の日本人によって設計された。
最後に東久留米に住んだ有名人は?⇒手塚治虫さん。手塚治虫邸はrecoca邸から徒歩10分くらいのところにある。手塚夫人の著書からの言葉。