何事も「科学的」でないと信じない性格?
それは危険だ。それは「科学者=公明正大」という幻想に毒された危険な信仰だ。
・「大陸は(水平に)動く(移動する)」。この命題は今では子供でも知っている常識だ。しかし、100年前この説(大陸移動説)を唱えたウェゲナーという気候学者は、狂ちがい扱いされ、徹底的に蔑まれた。膨大な資料提出したにもかかわらず。地質学の門外漢に、自分の地位を脅かされるような新説で君臨されたくないからだ。
・昔の手術はたいそう危険だった。関門は二つある。手術の技量と術後措置。手術の技術は上がったにもかかわらず、患者はどんどん死んだ。術後措置、つまり消毒の知識がなかったからである。診療に汚い血まみれの手足、衣服は医者のシンボルでもあった。これに気づいたある医者が、清潔、とくに手洗いと消毒をしたら、術死が劇的に減った。こういう事実を目の前にしても、決して清潔の重要性を受け入れなかった。常識になるのに何十年も要した。
ほかにも似たような例はごまんとある。
現在「科学的」などと「科学者」が高慢に喧伝している「御説」はよく疑ってかからなければならない。
松江のTVを見て。
・日盛りの橋すれすれに堀めぐり
・宍道湖の涼を残して夕日入る
・白壁に武士(もののふ)の影西日さす
今朝は久しぶりの夏の雨
・明け易き目覚めの朝の雨の音