家族

今月の猫。今月は私の誕生月。猫のようにやり過ごしたいものだ。

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さて、日本の家族について。

昔は普通だった、三世代同居の是非の議論がなぜか今いろんな形でなされている。安倍総理も三世代同居をお好みのようなコメントをどこかでみた記憶がある。最近、朝日の「声」欄でも賛否両論の投書を取り上げていて、結局どっちがいいとか悪いとか他人に決めてもらうような問題ではなく、好みに合わせて自由に選べる環境が大事という印象を持った。

具体的に、介護を見てみよう。日本古来の家族主義の心情は依然根強く、心理的に家族第一主義に違和感を覚える人は多いとはいえない。しかしこれを逆手にとって、介護を家族に押し付けてしまうような福祉政策(つまり、予算の削減)だったとしたら大いに問題である。

さらに、生活保護の場合。申請しても認めてくれなくて自殺に追い込まれたなどというニュースを時々耳にする。ひとつの理由が家族の存在である。つまり、保護費の申請の前に、同居、別居を問わず家族に頼れというわけである。しかし、不安定な非正規雇用の横行、リストラがいとも簡単に行われる現状では、実の兄弟姉妹といえども助けたくてもその余裕がないのがほとんどではないだろうか。心情として家族の絆を大切にすることは結構なことだが、家族第一主義を税制や福祉の基本にすえることは、せっかくのセーフティネットの破壊につながることを強調したい。

なぜこんなことを危惧するかというと、自民党の唱える新憲法案に、唐突とも思える「家族主義」が登場しているからである。

安倍首相が改憲論者であることはよく知られた事実であるが、どこをどう改めるかについては一切伏せたままである。しかし、自民党の野党時代に作成された草案のあることをご存知だろうか。

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改訂点は主に3点、前文および9条の改訂、24条(家族)の新設である。いまここで問題にするのは、「家族」条項の新設。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」精神条項として誠にその通り。しかしそれに留まるはずはなく、全ての政策の基本となり、福祉もセーフティネット憲法の錦の御旗のもとに一層家族第一種主義がはっきりするだろう。

しかし、家族のあり方は多種多様であるべきで、一番天辺の憲法などで縛る性質のものではないことを声を大にしていいたい。

・子や孫の後姿や花は咲く

・春秋の塵も芥も花の下

・老いゆけば雪ひとひらの未来かな

・天からの雪の数だけ子の未来

・春の花徳利に挿して郷土館