オカリナ愛好家のための雑誌に「Ocarina」というのがあります。そのVOL25に載っていた記事「~日本のOcarinaヒストリー」がとても興味深かったので紹介いたします。オカリナに興味ない方はスルーしてください。
雑誌の表紙はこんな形です。
さて現代のオカリナといわれる楽器の発祥の地は19世紀後半のイタリアです。意外と近代ですね。いまも中世の面影が残っているブードリオという町です。それを記念して、世界で唯一のオカリナ専門音楽学校がこの地に設立され、その卒業生の合奏団は世界最高峰の評価が高いです。後で演奏を視聴してください、びっくりしますよ。
その後、オカリナはヨーロッパ各地、アメリカを経てついに日本に上陸しました。明治の文明開化華やかなころ、文明開化の道具と一つとしてどのように受け入れられたのでしょうか。
日本で初めてオカリナという文字が公にされたのは、明治30年12月1日発行の読売新聞だそうです。内容は、本郷中央会堂(現本郷中央教会)で開催された演奏会の評。
本郷中央会堂のスケッチはこんな感じです。モダンで豪華な建物ですね。こういうところで西洋音楽会が頻繁に行われていたものと思われます。
さて、演奏会の中にオカリナが使われていた回があり、そのオカリナ評にはかなりけしからんことが書かれています。
「評者(すなわちこれを書いている人)は未だオカリナのいかなる楽器かをしらざりき。これを一見するに及んではじめてその機械のあまりに簡単なるにまず一驚を喫したり。形は人間の胃のごとく、そも外国の大人の手遊びなるべきか、小児の手遊びなるべきか、はたまたかかる盛大なる音楽会に携え出、これを弾ずるの価値あるものなりや、吾輩これを解せず。」「曲は有名なるヘンデル氏作ラルゴなり。オカリナクラブ諸氏は大胆にもこの大曲を、かかる簡単なる楽器をもって合奏し終えたるには、吾輩再び一驚を喫したり。」
よく言うよ~。知識未熟な阿呆がみるとオカリナとかリコーダーは子供のおもちゃ、と必ず言う。これは現代においても同じ。人間は進歩しない、の一例。それに、胃の形とはなんじゃ、ロマンチシズムのかけらもないね。こんなのの音楽評論ははどうせ一見の価値もない紙屑同然。当のイタリア人はオカリナの形から何を連想したと思います?→「かわいいガチョウの子」。胃の腑とガチョウ、どっちがセンスある?
・オカリナや阿呆の耳に梅雨の鬱
ところで、演奏されたヘンデルのラルゴとははオペラのアリアで、こんな曲です。このユーチューブはオルガンです。説明書きを読むと、お葬式の最後に演奏する曲として採用したと書かれている。そういわれればそんな感じにも聞こえる。
ラジオが伝えたオカリナ
1926年(大正15年7月7日)初めてオカリナが電波に乗りました。オカリナ愛好家によるギターとのデユエットで、この放送を予告した新聞記事も出ました。記事内容。
「オカリナは太古ギリシャで愛好された原始的な土焼の笛。音は十音しか出ないが口笛に似たそしてもっと柔らかい音が出る」「なごやかな音に哀調をそそるドイツ農民楽器。音が十音しかなく単純なものではあるが、鳩笛のごとくふんわりと柔らかな音が、吹きこなされては他の近代楽器からは味わうことのできない面白い音色を発する。」この記者は、先の音楽評論家の阿呆よりははるかに音楽的センスがある。
絵画に描かれたオカリナ。
・南薫造(1883~1950)のオカリーナ(1926年、大正15年作)
帆船、果物かごウイスキーボトルと共にオカリナが描かれている。この画家はさまざまの楽器愛好家でオカリナも吹いたかもしれない。
・伊藤久三郎(1906~1977)1930年(昭和5年)作の「手袋とオカリナ」
明治半ば、驚きと戸惑いをもって迎えられた舶来楽器オカリナは、昭和初期には文明開化の象徴銀座の楽器店やデパートに現れ、徐々に教本も出て普及への準備が整いつあるように見えたが、この後戦況の悪化が災いし、再度登場するのは戦後しばらくたってからになる。そのことは次回に続くとある。(3か月後)
さて、先に紹介したオカリナ発祥の地ブードリオ音楽学校卒業生による世界最高峰のアンサンブルです。これを聞いてもおもちゃの楽器というだろうか。プロのオカリナ奏者の中にはフルートトランペットなどからの転向者が少なくありません。理由は楽器が原始的なことを逆手に取って、自分好みの音楽表現がモダン楽器に比べてより自由にできるから、とおっしゃっています。
ではお楽しみください。