名古屋の経営学

朝日新聞コラム「折々の言葉」7月31日。

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国の経済は常に成長続けなければ滅んでしまうのだろうか。折々の言葉コラム子はノーという。「ちょうどいいサイズに直すような縮小なら別に問題ありません。」別の言葉でいえば「成熟」だと思う。さらに換言すれば、お宝の「再配分」。グローバリズム非正規雇用も「成熟」、「再配分」の敵だと思う。AIの普及とお友達になって、経済の成熟を目指さなければ日本に未来はない、と東久留米の隠居は思考します。(いつの間に隠居した?)

さて、またまた突然で恐縮ですが、ここで「岩中・名古屋学」の続きに転換します。今日は「名古屋の経営学」です。名古屋式経営の基本は少なくとも浮ついた成長ではないことは確かで、それよりは「成熟」でよしとする石橋叩き戦術を旨としています。例えば先のバブル崩壊で被害を受けた会社は非常に少なかった。バブルの誘惑に踊らされていい加減な投資に手を下さないからである。これに対する批判→「名古屋人はケチ、排他的、ただ黙ってコツコツ働くばかりで遊び心がない等々」本当にそうだろうか。本当に面白みのない狭量なだけの人種なのだろうか。答えははっきりとノーです。単にそれだけでは不況に強い企業経営を実現することはできない、と岩中名古屋学は述べています。「実は名古屋の経営者は、単に商人の王道を歩んでいるだけなのだ。商人の王道とは、コストをできるだけ落とし、利幅をより大きくすることに尽きる。また、他の流行に安易に乗ることもなく、その趨勢をじっくり見極める。できれば借金をせずにすべて自己資金で賄う・・。これらの一つ一つを着実に実行しているのが名古屋の経営者なのである。他人からどういわれようが、評判がどうのといった余計なことに似は一切関心を示さない。」これを端的にまとめると次のようになります。①かけた元手は何が何でも取り返す。②浮かれない、騒がない、踊らされないが鉄則③無借金経営④飛躍的成長は望めないが、絶対に生き残る。

さて②浮かれない、の例を見てみましょう。1990年代初頭日本中がバブル経済に浮かれていたのをご記憶と思いますが中でも土地、不動産バブルによる高騰はすごかった。これを三大都市圏、つまり東京、名古屋、大阪で比べたのが次の図です。

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このグラフで一目瞭然、首都圏や大阪に比べ、名古屋の上昇カーブは極めて緩やかだったのが分かります。ピーク値も3~4分の1程度だった。つまり、名古屋の経営者は不慣れな土地投機などにうつつを抜かすような不経済なことはしなかったわけです。

なかでもRECOCAが感銘を受けたのが③の無借金経営です。一般に、事業資金といえば借金して賄うのが普通ですよね。ところが名古屋では事業は自己資金でやるもの、借金など己が首を絞める邪道の経営、となるのです。「企業の財務経理担当者は、銀行の覚えをめでたくするために、銀行をゴルフや高級クラブに接待したり常に気を使っている。だが、名古屋の企業については、そうした常識は全く通用しない。そのため泣いているのが都市銀行の名古屋支店である。どんなエリート行員を差し向けてもお金を借りてくれないのだ。だから名古屋の経営者は「なーんで銀行を接待せにゃあかんの。銀行から接待されるゆーんなら分かるけどよー」と言って憚らない。」

そこで、実際に無借金の企業がどれだけあるかリストアップされたのが次の一覧です。ただし、本の初版年、1994年時点。

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大小主だった企業がほとんど網羅されているのが分かると思います。なお、この一覧で◎は正真正銘の無借金、つまり1円も借金なしの強者、無印は付き合いのため借金しているがそれ以上に預金している(つまり借金などなくても経営できる)企業です。今回はこのくらいでーーつづくーー

これを見ていて思ったのですが、名古屋に倣って日本国もそろそろ借金を減らす方向にもっていくべきではないかということ。もっとも国民からの借金ですからすぐにどうこう言うことはないですが、赤字財政は気持ち悪いですよね。