今朝のRECOCAの句
・横文字の溢れし銀座晩夏光
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朝日新聞に毎朝AI関連の「授業」が連載されている。今朝のを見て、ますます50年後の世界を体験して見たくなった。
朝日新聞は中国寄りに偏向していると思うので、記事には眉に唾を付けて見ているが、ニュース以外の記事に時々こういう好奇心をくすぐる面白い企画があるので捨てがたいものを感じている。
さて、今朝のAI応用編→「機械に私の喜怒哀楽が宿る」
これはいよいよAIが人間と同化しようというものである。そんなことはできるはずないと思っていたら、渡辺正峰東大教授は20年後に実現できると断言する。「意識とは物事を処理するときに伴う感覚体験です。喜怒哀楽のような感情も意識の一部。人の脳の行う機能の多くは機械によって実現できます。・・」ただし、現状では例えば自動運転はできるが、ドライブが楽しいという感覚は機械にはない。手法的にはどうするのか。結局開頭して脳と機械をつなぐことになる。
こうすれば肉体の死後も機械に移植された意識の存続が可能で、ある意味死後生存が実現する。渡辺教授の研究の動機は意識の死後存在の実現だったようだ。
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さて、RECOCAは機械による人間意識の保持はできないと思っている。なぜなら、これはRECOCAの思想であるが、意識の根源は、脳の電気信号ではなく、魂(霊魂)だと思っているからである。
さらに、仮に渡辺説の電気信号説が正しかったとして、機械に意識が移植出来て、そののちその個人が亡くなったとしよう。この状況は我々のイメージする死後生存(不老不死)といえるだろうか。少なくとも私にはそうは思えない。意識に基づく行動が伴わないからである。例えはよくないかもしれないが、いわば筋繊維萎縮症末期と同じもどかしさを感じているのではないかと思う。さらに飛躍するが、神の本質は「無限意識」といわれている。神は意識のみでは飽き足らずに、その具現のために人間を創造したという説があるくらい、「意識の具現」は本質的なことなのである。