大人食堂

数日前子ども食堂のことをアナウンスしたが、今日市役所のチラシ置き場をみたら、東久留米こどもプロジェクトという民間組織が、活動の一環として開く子ども食堂についてのチラシが置いてあった。一読して感じたこと。参加したい子は誰でも無条件に受け入れる、これが基本だと思った。補助金の出どころは、企業と当日参加の大人一人300円。複数の組織団体が月一食堂を開けば、子供たちはそれらを渡りあることができる。

さて、今回話題にするのは、子供でなく「大人食堂」。こちらの方が歴史的には古いようだ。一昨日の読売新聞に特集されていたが、現実に大人食堂のお陰で救われた人は多い。これは知らなかった。子ども食堂というと、多少ともまだロマンがあるが、大人食堂となると、これは根が深く深刻な問題を抱えている。

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切り抜き記事の中に出ているのは40歳女性、1999年短大卒業。就職氷河期世代だが定職につけた。しかし1年で退職に追い込まれその後は非正規職を転々、とことん行き詰まった時大人食堂に助けられた。現在も大人食堂を手助けしながら生活保護を受給して身心の治療を受けている。「先のことなんか考えられない。長生きなんかしなくていい。」の言葉が心を打つ。

このような生活のピンチに陥るきっかけはリストラ、介護離職、離婚などいろいろあるだろうが、一旦正規の職を離れるともはや元に戻るのが至難というのが日本の労働市場のガンであろう。会社は非正規にしたくて仕方がないのだから。

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待遇の差から見ても会社側の意図は一目瞭然である。

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正規非正規に拘らず、同一能力同一賃金を国の職権と監視で強力に推進してもらいたいものだと思う。

このなかで私が前から非常に気になっているのが家族介護の実情で、しばしば失敗してのっぴきならぬ状況に陥ってしまう。これは思うに日本人特有のウエットな家族意識が発端だ。国も福祉予算削減の見地からこれに乗じて最大限家族による見取り介護を推奨しているように見える。しかし、親との別居が普通となっている現状では無理な注文で、条件がそろってうまくいく場合の方が少ないのではないだろうか。その極端な場合が介護離職での失敗である。介護のためにとせっかくの正規職についていてもこれを辞してしまう。脇から見ると、今の日本の労働事情では後で悲惨な目に合うのは目に見えているのだが、それでも家族愛の方が勝るのであろう。その一つの実例が同じ新聞記事に出ていた。案の定親子共倒れ寸前だがしかし、だからといってこの選択(介護離職)が間違いだったとは他人が言う筋合いではない。ただいえるのは、クールな判断をしても(つまり家族に頼らなくても)、老人ホームなどに問題なく移行できるような公的サービスを強化してもらいたいということ。これは介護離職の失敗の事例を見聞きするたびにいつも思うことである。欧米ではこれが基本なのだが。見かけは欧米を真似ても、精神は日本的ウエットなままというアンバランスが原因の悲劇に思える。