徒然草④他

徒然草のエッセンスの部分、人生観、死生観に行きたいが他にも捨てがたい兼好氏の人間性躍如たる部分がある段があるのでそれを紹介したい。ご承知のように徒然草は一冊の書物としてのテーマを定めた読み物でない。そういう類のものでも書物として成り立つことを最初に示したのが徒然草だそうである。現代のPC時代の言い方をすれば、700年前の傑作ブログといえるのかもしれない。

ここでの一連の徒然草紹介は次の出版物に基づいている。

絵巻で見る・読む徒然草 朝日新聞出版

絵・江戸時代の絵師 海北友筆「徒然草絵巻」サントリー美術館所蔵

現代語訳・絵巻解説・上野友愛

監修・島内裕子

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兼好法師、というとどんなイメージが浮かびますか。禅宗の干からびたお坊さん?いえ、いえ、あっと驚く為五郎ですよ。

●恋せよ、男子

第3段

「何でもできる完ぺきな人でも、恋愛の情が分からない男は物足りない。まるで底の抜けた盃のようだ。男ならほどほどに恋愛経験があった方がよい。とはいえ、恋に溺れてしまう感じでもなく、女から軽く見られないのが理想的だ」

底の抜けた盃、とは恐れ入った。確かにこの盃では物足りない。

●友達の条件

第117段

「友達になるのにふさわしくない人には七つのタイプがある。1.身分の高い人、2.若い人、3.病気したことのない健康な人、4.酒を飲む人、5.危険を顧みない勇猛な武士、6.嘘をつく人、7.欲張りな人。一方、友達でいたい人には三つのタイプがある。1.ものをくれる人、2.医者、3.知恵ある人」

徒然草を大真面目にしかめっ面で読んでいると、思いがけず肩透かしを食う場面がある。その一つがここ。「物くれる人」が一番に好ましい友、思わず誤植ではないかと思って原文を見てしまった。兼好さんのお茶目な素顔が透けて見える。

●手紙は直筆で

第35段

「字が下手な人がそのことを気にせず手紙を一生懸命書くことは良いことだ。それに比べて自分の字が下手だからといって他人に代筆させるのは嫌味なものだ。」

これは現代でいうと、印刷オンリーの年賀状は味気ないと言い換えられるか。

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上と関係ない話で恐縮ですが、ちょっと前にアップした曲「また逢う日まで」について。阿久悠の歌詞で「~ふたりでドアをしめて、ふたりで名前消して~」というフレーズ、あまり見かけない斬新さだな、と思っていたら、ある本(紅白歌合戦と日本人)によると、これは男女の新しい別れ方を描いた阿久悠の画期的アイデアであるとのことである。それまでの別れのパターンでは、必ずどちらか一人が去っていき、一人は後に残される。残されたものが追いすがるか、恨むかである。これに対してまた逢う日までで示したパターンは、別れても未練や恨みを残さず、男女とも納得して別れを選ぶ・・。この歌は1971年。現代ではめづらしくなくなったこの別れのパターンがいつごろから定着し始めたか。まさに歌は世相の鏡である。

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RECOCAのオカリナで、また逢う日まで(再掲)

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