エデン・フグのご案内/徒然草⑤/♬ケセラセラ

〇エデンの早春は待望のふぐコース。少し値は張りますが、勉強してますから他店よりはお値打ちと思います。開始日2月1日。この日はフグのテイクアウトができます。ご自宅でフグ鍋としゃれこむのも一興かと。ただし、受け渡し場所はエデン店頭(東久留米駅西口30秒)

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徒然草

今回ご紹介する段がメインの一つかと思います。大体の趣旨は下記のとおりです。

人の寿命は他の動物に比べれば長い。それを短いといって嘆いている人は、寿命が例え千年あっても足りないといってぼやくだろう。不老長寿にうつつを抜かしてるようでは時間の無駄使いだ。ほかにやるべき大事なことがあるだろう。永遠なんてないんだから、今のこの一瞬を生ききる覚悟で行くべきだ。人生、タイムマネージメントが大事だ。

さて、前回いちごさんにに、徒然草各段にふさわしい曲をオカリナでアップしたらどうかという提案をいただきました。今回の、人生の儚さをテーマにした歌や曲は直球で考えると一杯あって平凡なのでやめて、ひねりを加えた変化球で兼好さんのご機嫌を伺うことにしました。その曲は「ケセラセラ」⇒Que Sera Sera=Whatever will be,will be=なるようになるさ。1956年、映画知りすぎていた男の主題歌、ドリス・デイの歌でした。兼好さんへ一言。人生タイムマネージメントなんて七面倒なこと言わないで、キリギリスの生き方だって素敵ですよ、ケセラセラでも歌って人生楽しくね。

RECOCAのオカリナで、ケセラセラ

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徒然草原文の現代語訳。引用元は昨日の当記事に記載済。

人間ほど長生きするものは無い。かげろうは夕方には死んでしまい、蝉の命もたったひと夏である。それに比べたら、人の暮らしがどれほどゆったりしていることか。それでも人間の寿命は短いと嘆く人は、千年生きたとしても同じことだろう。長生きしても、老いて醜い姿をさらすだけだ。死ぬにも恥をかかない頃合いというものがある。しかしその時期を過ぎてしまうと恥じる心さえもなくなり、子や孫の将来まで見届けたいとばかり強くなる。もののあはれも分からないなんてみっともないことだ。

人生タイムマネージメント

年をとったら仏道修行しようなんてそんな考えではいけない。古いお墓の多くは若くして亡くなった人のものなのだから、思いがけず病にかかり、残りの命もあと僅かという時になって、人間は初めて過去の過ちに気付くのである。すなわち、今すべきことを後回しにし、どうでもよいことばかり優先してきたことを反省するのだ。しかし、後悔したときには遅い。だから、自分もいつ死ぬか分からないということを忘れてはならない。そうすれば、仏道修行も年を取ってからなんて思わないはずである。

世間の人は蟻のように集まっては東西に急ぎ南北に走る。老若男女、身分も様々、それぞれに行く先があり、帰る家がある。夜には寝て朝には起きる。しかし、人間は何のためにせっせと働くのだろうか。人は生きることに執着し、利益を求めて留まることがないのである。老いと死は着実に迫ってくる。しかし、名誉や利益に目がくらんでいる人は近づく死期に気付かない。また愚かな人は老いと死に無駄な抵抗をする。永遠なんてないことを知らないのである。

殆どの話は無駄話

人は顔を合わせるとわずかな時間も黙っていることがない。きっと何かを話す。陰口、無駄口、差しで口、そのほとんどは無益な話である。そのうえ、無駄な話だという認識もない。嘆かわしいことだ。