今日こそ「脱コロナ記事」

今日こそコロナから離れた記事を書こうと思っているうちに今日まで来てしまった。

というわけで、今日こそ。

①桜腐食樹木の伐採

内の住宅のすぐそばに手軽に花を楽しめる桜並木がある。

f:id:recoca1940:20200505130933j:plain

みてのとおり今は道路の上空に空が見えるが、数年前までは枝葉でおおわれており満開の時期は見事な桜並木だった。それが、周辺住民の枯れ葉散乱の苦情から枝葉が切り取られトンネルは見る影もなくなっている。さらに、最近樹木に張り紙がしてあるなと思ってよく見たら倒木の予告だった。台風で倒木するのを未然に防ぐためだそうである。

f:id:recoca1940:20200505131836j:plain

そのあとはどうするつもりであろうか。この桜並木の延長は花水木並木になっているのでそれに統一するつもりかもしれない。目の前の桜の場所が一つ消えるのはさみしい気がする。

日本画家 千住博氏のエッセイから

何十年か前に新聞販売店からのおまけでもらった同氏の日本画プリントに書かれてあったものです。

「他人から見て落書きにしか見えない絵や文章でも夢中になって描く、なんて格好いいのでしょう。舞台俳優の演技に心打たれるのは何か取りつかれたように夢中になっている姿があるから。歌手の歌を聞いてのめりこんでいくのは夢中になって何かを表現している姿に感動するから。夢中は一生懸命とは大きく違います。一生懸命詠っているからと言って他人を感動させることができるでしょうか。夢中で愛しているといわれたらぐっとくることがあっても一生懸命愛しているといわれてしまったら。義務のようでつらいですね。夢中になれるっていうことが素晴らしい人生、そう私には思えるのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夢中と一生懸命、確かに両者は魂の入り方が違う。オカリナで一生懸命演奏するとは、例えば音程を外さないように注意深く奏でるということ。それに対して夢中とは奏者の歌心が表に出るということである。これを豊かな音楽性ともいう。そのためには運指、音程が克服され、一生懸命の段階を過ぎていなければならない。そうすれば、多少音が外れても、音楽性豊かならそのほうが感動を呼ぶだろう。劇場ライブの魅力である。CDよりはるかに面白いと思う。