核の最終処分場ほか

◎核の最終処分場の候補地。

危険でないというのならまず首都圏にしてその証拠を見せたらどうか。プラスの副作用として、首都圏から人が逃げ出し人口の一極集中が自然に解消される。これを一石二鳥という。これは、昨日女房がぶつぶつ言っていたことだが、なかなか斬新なアイデアなので、ここに採用した。

坂田藤十郎さんが亡くなった。RECOCAは歌舞伎に全く興味はないが、この方にはカナダのカルガリーで一度だけお会いしたことがあるのでよく覚えている。1987年夏ごろだから、中村扇雀の時代。どういうわけか歌舞伎の一座がカナダを訪れ、RECOCAの赴任先のカルガリーでも公演された。カルガリーなどは、日本で言うと東京、大阪の中間都市(例えば名古屋)みたいで、文化公演はバンクーバートロント、オタワとカルガリーは素通りされるのが常なのに、あれは全く奇跡的事件だった。その時、日本人会主催の御一行様ウエルカムパーティで扇千景さんともども言葉を交わしたことがある。扇雀さんは小柄な方で、舞台での存在感とはまるで違った印象だったのに驚いた記憶がある。

◎自殺は一番やってはいけないこと。勿論他殺も。

扇雀さんの当たり狂言曽根崎心中。歌舞伎には心中ものが多い。曽根崎心中の有名な最後の道行きの段の結び「未来成仏疑いなき恋の手本となりにけり。」の文句のせいか、日本人は心中ものが好きなようだが、心中を含め自殺は絶対にやってはいけない。未来成仏疑いなしとはいかず、いわゆる成仏とは真逆の境遇におかれるからである。まず、死んだ直後から非常に困った境遇におかれる。このことをあらかじめ知っておれば自殺しようなどとは思わないだろう。

先に紹介した本「もう一度会えたら」には次のように書かれている。

「~あらかじめ運命として定められている物質界での時間を完了しないことにはこの世との磁気的な絆は切れないのです。聖書に言う通り、何事にも時があるということです。ですから、人が自殺してまず気が付くのは、自分が死んでないということです。この魂は物質界と霊界の間で行き場を失います。自ら命を縮めてしまったことで罪の意識にさいなまれ苦悩し、自殺に駆り立てられるほどの特異な体験を何故しなければならなかったか、霊となってみてその理由に気づくことになります。あとに残された人々の悲しみ、怒りも分かるようになります。何より不幸なのは、天界へも行けない、物質界へも帰れないという宙ぶらりんの状態、中間領域で身動きが取れないまま、自分の自殺の行為を繰り返し思い出すのです。自分の死にざまを繰り返し繰り返し見る。まるで不快な映画のようで何処にも逃げ場はありません。」

この状態を地獄といえばいえるでしょう。地獄は閻魔様などの他人が作ったものではなく、自分の罪の意識がこしらえるものなのです。

以上が心霊主義スピリチュアリズム)が説く自殺罪悪論ですが、もちろん信ずるも信じないも個人次第。強固な唯物論者は何を言われても、どんな証拠を見せられても自説を曲げることはありません。しかし、自殺してみて自分の唯物論の方が間違っていたと青くなる確率はゼロではないでしょう。合理主義者ならそのくらいの分別はあると思いますが、その自分ではわずかかも知れないと思っている確率の方が実は真であった時に自分の被る不利益のことを考えたら、君子危うきに近寄らず(つまり、自殺だけはやめとこう)と思わないでしょうか。これは特に青少年の意識教育に必要だと思います。