三大宗教

「いちばんやさしい三大宗教の本」を読んでみました。今回はその中から感じたこと、とくに仏教について書いてみます。

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仏教、キリスト教イスラム教をざっと眺めて一番感じたことは仏教が一番寛容で穏やかな宗教だということ。その理由は宗派間のいさかい、他宗教との関係、教理解釈の寛容さに見ることができます。仏教が日本に溶け込んだ大きな理由ではないかと思いました。キリスト教におけるカソリックプロテスタント間の争い、イスラムシーア派スンニ派の戦争に発展しかねない派閥争いに比べ、仏教の各宗派例えば天台宗真言宗、浄土宗、臨済宗等々・・は表向きかもしれませんがそれぞれのテリトリーの中で仲良くやっています。

さて、仏教が釈迦入滅以降彼の説いた原始仏教は各方面に伝わりましたが、釈迦説法の口頭から文書化の過程でいろいろ難しい問題がありました。まずインド国内では原初のバーリー語からサンスクリット語への変換、さらに中国に伝わってからのサンスクリット語から漢文への翻訳です。それで訳者の僧によってかなりの違いが生じましたが、大乗仏教は、教義や経典を自由に解釈することが許されていたので、結果的に多くの宗派(13宗派)が中国で生まれてしまったのです。それらの一部を日本からの留学僧がそれぞれに持ち帰り、自らも独自の解釈を加えて現在の日本におけるいろんな宗派を起こしました。ですから、これらは原始仏教である釈迦教からは殆ど離れた「最澄教」、「空海教」、「法然教」、「親鸞教」、「道元教」等々、これらの各人が教祖であるところの独立した宗教であると感じました。

では、釈迦が説いた原始仏教とはどんな教えだったのでしょうか。最も大きな特徴は、人間の死についてや死後のことについては一切語らなかったということです。霊や死後生の存否など死んでからのことなどだれも分からないのだからそんな無駄なことは考えるなと弟子には教えていました。これは現代の唯物論者には結構受けるのではないでしょうか。そんなことより生きている間にどう解脱、つまり悟って悩みを拭い去るかが中心テーマでした。仏(ブッダ)とは悟った人という意味ですが、生きている間にいかに悟り「仏」になれるかということです。日本では死後に仏になるという考えが一般的ですがこれは釈迦の教えからは完全にずれているといえます。

続きは次回に。

*注:小乗、大乗仏教という仏教語について。

もともとの仏教は僧となって修行することによってのみ悟りに至るというものでした。これだと僧以外の一般人は永久に悟りのブッダになることができません。釈迦入滅後、この点に改定を加え、在家者でも簡単な行為と簡単な戒律を守ることで仏になれるという宗派がいくつか起こりました。前者を小乗仏教、後者を大乗仏教といいます。救いの船に大勢乗れるという意味で大乗といいます。中国経由日本へ伝わった仏教は大乗です。ちなみに、言葉を見ると、小乗の方が劣っている印象ですがそんなことは決してないとのことです。小乗というのは、大乗仏教の人たちが付けた蔑称に過ぎませんので。