わたしの原風景

故郷の原風景

筆者の原風景は知多の海、新舞子にある。ここは白砂青松、全国百名勝に選定されたこともある景勝の浜辺。歴史的にも由緒がある。ただし、例えば東洋最古の海水浴場だとか、新舞子の地名は関西の舞子の浜に引けを取らないと、この地を旅した弘法太子の感動のあまりによる命名だとか、人に言っても余り信用されない歴史であるが。

子供の頃の遊び場はもっぱらこの松林の砂浜だった。時には宿題の読書を砂浜のブランコにゆられながらしたこともある。夏には海水浴客でにぎわい、毎週末の夜、野外ステージでは映画会が催された。また、松林の中には当時東洋一と称された水族館があり、これは観光客の大きな目玉であった。この施設は東京大学の水産実験場として設けられたものだったので、設備が整った立派なものだった。

 

この愛すべき景勝の浜辺が続いたのは、915ヘクトパスカルで知多・名古屋を直撃した伊勢湾台風まで。大潮と重なった台風の高潮で5000人の犠牲と共に松林が根こそぎ全滅、砂浜もやられてしまった。この災害の後、高潮被害の再発防止のため数mの高さの防潮堤が延々と建造され、海水浴場としての浜辺と松林が戻ること二度となかった。。幸い新舞子は難を免れたものの、お隣の町の浜まで名古屋から延々と沖合までの埋め立て工事が行われ、電力会社、製鉄所など大規模工場の誘致で海が望めなくなり、産業道路の建設などでかつての景勝は見る影もなく消滅してしまった。美しい白砂清松は電力会社の巨大LNGタンクと風力発電の巨大風車に置き換わった。これがわが原風景の変わり果てた今の姿である。

 

新舞子の浜に申し訳程度に作られた人工海浜ではサーフィン族が闊歩するというおまけも。水族館の跡地はレストラン、結婚式場、ホテルなど紆余曲折を経ている。

懐かしの小、中校も統廃合ですでに校舎がない。「24の瞳」そっくりの校舎だったのに。

さて、現物のない原風景というのは年とともに美化される傾向にある。これはとても幸せなことである。

現物があると訪れる機会があるだろう。そのたびにこんなものだったのかと、夢が壊され現実に引き戻されるからである。

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