つらつら考えるに・・

安倍元首相を失うことの日本にとってのインパクト、影響の大きさは米国のケネディ大統領暗殺に匹敵する大事件だと思った。その昔社会党の浅沼委員長が壇上で刃物で刺殺される大事件があったが、今や武器は日本においても銃器が主流になったようだ。

今回の武器は手製の銃だと報道されている。そういうものが簡単に作れる環境になったのだろうか。ネット情報やいわゆる3Dプリンターの普及を考えればそれを否定することはできないだろう。確かに日本では米国のように市販の銃の入手は一般人にはできない。その意味で日本は銃のない安全な国と世界からみなされ、我々自身もそうだと信じ切ってきた。しかしこの安全神話はかつての原発安全神話と同様もはや崩れ去ったものとみて対処するべきだと思う。

今回の事件で私の感じたのは至近距離へ移動しながらの発砲を何故阻止できなかったのかである。しかも実際の命中は一発の空砲のあとと言われている。だったら空砲の直後にするべきことがあったのではないか、安倍氏くらいの重要人物の警護にはそのくらい頭のまわる訓練を積んだその道のプロを配置すべきであると思う。残念ながら日本は今やそういう危機意識を持たねばならぬ国に変質してしまったのだと思う。

今朝の朝日新聞コラムには同様の事件を防止するに必要なことを識者が格調高く論じている。「・・暴力にさえぎられることなく、言いたいことをいえる権利がある、そのことをしっかり自覚することが大切・・」しかし、そういう理屈だけでは今回のような事件を起こす狂信者をゼロにはできないと思う。なぜなら、民主主義の根幹こそが狂信を含めてあらゆる主義主張を容認することだからである。狂信を言論で正常化できるのは稀だ。ゆえに、我が国の民主主義がいかに理想的に推移しようとも、狂信者による言論に対する暴力的犯行はゼロにはできないだろう。その認識の上で何をすべきか。今回のような事件は常に起こることを前提にした警備・警護体制の構築である。今回の警護は県警本部だった。しかし、県警単位では絶対に無理であろう。自衛隊クラスのSP訓練された警護組織を早急に確立して、重要人物の警護に随時提供するべきである。