chatGPTにどう向き合うか

生産系AIであるchatGPT(以下GPTと略す)にどう向き合うべきか、日本でもようやく議論がスタートしたようです。イタリアでは使用を禁止しました。他の欧州先進国でも一定期間の禁止を含めた措置を検討中のようです。GPTの懸念は二つあります。一つは嘘が含まれる可能性があること。二つ目は機密情報の漏洩です。しかし、もはや禁止だけで対応するのは現実的ではないと思えます。GPTはPC、インターネット、スマホの登場あるいはそれ以上の変革、社会的影響を及ぼす道具(ツール)だと東京大学のある先生は仰っています。さらに次のようにも「GPTにすることはは検索ではなく相談。内容に嘘が含まれる場合があるので、人間による検証が必要。GPTにした質問は学習されるので機密情報は入力しないこと。従って発明発見の情報も避けること。」

学生のレポートについては、丸投げ作成を見抜くのは困難なので、レポートの評価はそのことを織り込んでする必要があるとしています。

利用分野として役立ちそうなのは、大臣の国会答弁のようです。西村大臣は答弁作成にいくつかGPTを使ってみてそう思われたそうです。それは大いにありうることだと思います。GPTは性質上考え得る限りの広い分野の情報を嘗め尽くした回答するので国会の質疑には最適です。このことの帰結は非常に重要です。つまり、大臣、国会議員、さらには国会答弁に要する官僚の数を大幅に減らすことが出来る、ということです。

gunosy.com

さて、今朝の朝日新聞に面白い試みが載っていました。GPTに対して、自身の登場と人間社会への影響について問うてみた結果です。

GPTへの質問

GPTの回答

序盤中盤は模範解答であり、確かにむにゃむにゃ大臣の答弁よりずっと説得力がありますが、最後の7行は意味不明です。

ここで回答されているように、GPTの限界はあらゆるネットにあふれている既存の膨大な情報をまとめることで、それ以上のことはできないことです。言い換えれば人間のような創造は出来ないということ。ですから、小説やエッセイを書かせたとすると、どこかで見たようなものになるということです。もし斬新に見えたとすれば物事の組み合わせが斬新であったということでしょう。さらに、ネット情報に嘘があれば、それも無批判に参照しますから、GPTが嘘を書くことも当然あります。

結論として、これだけの情報量の出力が瞬時に得られるわけですから、この道具は非常に貴重であり、道具として賢く利用すべきです。人間が車のはしりと競うのは無意味だし、コンピューターの計算速度と競うのもばかげています。同様に人間がGPTの出力と競うのも意味ないでしょう。あくまでも便利な道具と位置づけるべきです。