◎酷暑!
きのうは暑かった。連日暑いのだが昨日は特にすごかった。しかし、東久留米の最高気温を調べると34.8度、猛暑日ではなくさほどでもない。それでも死にそうに熱く感じたのは体調のせいだったのだろう。ちなみに全国の最高気温は、京都福知山市と福島県伊達市の39.3度だそうである。これは今年の全国最高気温。35度で死にそうなのに39度とは!もはや干からびてミイラである。
間もなくくそ暑い7月が終わり、さらにくそ暑いであろう地獄の8月を迎える。8月は旧盆ということで、自然に「死」にまつわることを想起する。そのうちの一つは、人間とAIの本質の違いについてである。これは雑誌文芸春秋に書かれた数学者藤原正彦氏のコラムから。人間は死することが宿命である。対して人工知能(AI)は決して死なない。というよりも死を意識できない、というのが正確か。この相違は両者の能力の性質を仕分ける決定的違いであるという。人間は根底に常に死を意識するゆえにもののあわれを解しそれをベースとする文芸作品を創作する。しかし、AIにその創作能力はない。それと、重要なのは数学を含む理系の発見創造能力においても、もののあわれを理解する情緒がなければ発達しないということである。これは昔の著名な数学者岡潔氏も有名なエッセイ集で繰り返し強調されていたことである。ゆえに、AIの創作能力が人間を凌駕することはない。私にこのことの正誤を評価する能力はないが、人は宿命として有限であることを意識するかしないかでその後の生き方が全く違ってくるのは確かだろうと思う。
そのことに関連して私が想起するのは、ラテン語のmementomoriという言葉である。日本語では「死を忘れるなかれ」という警句を意味する。私がこのラテン語を知ったのは、15年前亡くなった私たちのリコーダーの先生の遺作CDケースにさりげなくこの一文が残されていたことによる。はじめは、特別に私たちのために先生が創作されたものかと思ったがそうではなく、古からヨーロッパで伝えられた有名な警句であることを知った。人が有限であることを意識することの重要性は洋の東西を問わず同じだ。それが日本では「もののあわれ」となって全ての文芸、芸術の基本となっている。では私たち凡人がこの警句を強く意識したとき、どうするべきか。リコーダーの先生が日頃怠惰で進歩のなかった我々生徒に残された究極の遺言ではなかったかと今更ながらにして思い起こす次第である。
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mementomori
その歴史
・古代ローマでは凱旋する将軍の後ろで奴隷が将軍に向かってこの言葉をつぶやいた。
・中世ヨーロッパのペストなどで死が身近の時代に「死の舞踏」などの芸術作品のテーマとして広まった。
・芸術や文学では、骸骨や砂時計を描いたヴァニス(虚しさ)の象徴とされることもある。
・現代では、今の時間を大切に生きよという人生の指針として使われることが多い。
スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式でこの警句が人生の選択に最も役に立つと語ったそうである。