国会

TVをつけたらたまたまお辞めになった前事務次官の国会証人質疑の模様が映し出されていた。言った、言わない、文書はない、いや探せばある、の応酬だったが、視聴者はどう受け止められたであろうか。

なぜ今頃、と証人を非難される向きも多いと思われるが、私は恥を忍んで国会にまで出てこられたという行為そのものにその信憑性を感じる。

TVのあとで、改めて文芸春秋7月号に寄稿された前川前次官の記事を読み返してみたが、国会での証言と何らブレがみられない。そのことも、判断の大きな理由である。第一何を好んで、ないものをあると虚偽の証言をするために国会へ出向く必要があるのかさっぱり分からない。

それから、一連の動きに基本的な疑問がある。前川氏の記事によれば、去年の11月9日にすでに国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を認める方針が決定されたとのことである。それなら、その審議、決定の過程を詳細に吟味すれば、その決定が総理お友達論に基づく如何わしいものか否か一遍に分かるのではないか。文書のある、なし水掛け論よりよっぽど実のある質疑になると思うのだが、なぜやらないのだろうか、不思議だ。

マラソン4句(ごいさんブログに刺激を受けて)

・新涼に背中押されて初マラソン

・雲海の彼方にゴールフルマラソン

・照り返し抜けて癒しの夏木立

・ランナーの一歩先行く夏の蝶

●この花をお教えてください。(友人からの質問です。)

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