秋はオセンチになる、なんちゃって。

過去記事の振り返り。

当時PV≒ゼロだったので、そのリベンジで採録しています。

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①  秋の詩 2015年11月25日。

秋は足早やに去ってゆく。

最近はカレンダーの枚数が気になって、せっかくの秋なのに下記のような透明な気分とは程遠いのが残念だ。

秋来る (竹内てるよ 詩文集より)

空につばさの白いわたりどりが 

ひっそりとわたってゆくころとなった
日にまし 冷たい風に 犬たでの花が 咲いてゆれる

亡き祖母の形見の花筒を出して 

一人静かに桔梗の花をいけていると 

暗い部屋の中に濃いむらさきの花は
歴史が残した数々の女性のように深い

ああ 今年もまた静かに秋が来る
私は 何一つしてはいないけれども
心だけは 清くこの一年を生きた

空が美しく晴れた日が続く 

とおい地平線のうろこ雲
すすきの銀 かやのみどり

黒髪を解き ひとりたそがれの部屋にいると
月は東方の森に明るい その深くうるわしい光には
永久の物語がある

ああ 今年もまたしずかに秋が来る
私は 何一つできないけれど
心だけは 乱さず生きようと思う

2015年11月7日掲載記事

秋の好日

編集

1.オカリナにふさわしい爽やかな好天が続いている。ただし明日は雨らしいが。

宗次郎さんのオカリナ、いつ聞いてもいい響き。これまでに1万本以上御自身で製作され、演奏に耐える楽器がわずか10本以下ということで、文字通り選りすぐりの音色であるわけだ。

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2.オカリナ用の伴奏曲の新作。

なつかしい1970年代のフォークの名作、花嫁と風が中北氏のピアノでカラオケとして登場した。これも秋の好日にふさわしい知らせ。

www.youtube.com

3.東北大震災にまつわる霊現象はNHKの番組でも取り上げられている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151107-00000009-khks-soci

 

お気に入りの秋の歌

何時の頃だったかネットを徘徊中に見つけた曲に心ひかれたことがある。砂山という曲は有名だが、これは秋の砂山。若き頃の倍賞千恵子さんの歌唱の影響もあるのだろうが実に情緒豊かな曲想である。今回過去の自分の投稿記事を紐解いていたら、そのことを記事に書いていた。2015年1月のこと。

ちょっと気になった歌 - recoca1940のブログ (hatenablog.com)期の砂山

秋の砂山

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MLBで大谷君四球の洗礼

余りにホームランを打つものだから、大リーグの投手は勝負を避けて故意四球の連続だそうである。それもあってか後半戦急激に打撃の調子を崩してホームランがほとんど打てなくなってしまった。大リーグは世界最高レベルと威張ったいるけれど意気地がないものだ。自分より強いものに真っ向勝負を挑む、日本の剣客の武士道精神に比べると本当に情けない限りである。もっとも日本はその精神が災いして、本当は強い米国に戦争仕掛けて負けてしまったが。

◎総裁選。活気づいているようである。一方、首相は外遊の高みの見物。なぜだか分からないうちに日本のコロナも減ったし、今が一番清々して心安らかなときだろうと思う。

今朝の新聞に出ていたが、それぞれの総裁候補が、自分が当選したら省庁再編すると意気込んでいた。河野候補厚労省分割、岸田候補健康危機管理庁、高市候補環境エネルギー庁、野田候補子供庁。しかし選挙公報と同じで全く絵に描いた餅に過ぎない。選挙演説にしろ広報の発行にしろ無駄もいいとこ、経費の浪費。私はこれで一票を投じて損をした苦い経験がある。直近東京都知事選のとき、小池候補の選挙公報に日本版CDC(疾病予防センター)を東京都に創設するとデカデカと書いてあった。これを見て即投票したが、まだ何の動きもない。多分言ってみただけなのだろう。風見鶏百合子。

過去記事採録(3)

過去の記事で気に入ったものを採録しています。今回はその3。2015年1月23日の投稿記事。例によってPVは殆どゼロでした。RECOCAがなぜこの記事を気に入っているかというと、出てくる話の展開に意外性があるからです。記事の中で言及していることは二つあります。A=医療に満足している。すなわち医者によくかかる。、B=そういう患者は不利益を被る。常識的には、B=利益がある。ですよね。それが真逆の意外性。これはまさに良い俳句の重要な条件です。俳句では、5・7・5のなかに二つのことA,Bを取り合わせます。その場合、AとBに論理的あるいは常識的な関連がないことが良い句になります。そういうA,Bを見つけることを俗にひねりといいます。ですから、こういう話の展開を面白いと感じる方は俳句のセンスがありますから、やればそこそこ上達すると思います。

医療の逆説(1)

編集

近藤誠先生の本から。

「医療に満足すると死亡率が26%高い。

アメリカ医師会が出している有名な雑誌に2012年、「満足の代償」と言う記事が載って大きな反響を呼びました。医療保険に入っている米国人5万人以上の医療費と健康の関係を5年がかりで追跡調査したら驚きの結果が出たんです。各人が病院へ行って受けた医療の満足度を項目別に各自評価してもらい4つのランクに分けました。当然ながら、親切な病院や医者に恵まれ、ていねいな医療を受けているほど満足度は高まります。医療に満足しているグループの人は転ばぬ先の杖で、体の異変があるとすぐに医者に診てもらい、よく薬を飲み、早めに入院する傾向が強い。ところが、4,5年追跡調査したら、一番医療に満足しているグループは、一番低いグループ(つまりあまり医者に行かない、薬も飲まない)に比べて死亡率が26%も高かった。」

こういう落語のようなお話が近藤先生の本にはいくつも出てきて実に楽しい。

医療の逆説(2)

近藤誠氏の本から、さらに落語チックなエピソードを紹介する。

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医者がストライキすると死亡率が減る。

1976年、コロンビアで医者が52日間ストをやり救急以外全てストップした。その奇妙な副作用として「死亡率が35%も下がった。」と言うニュース。「偶然かもしれないが事実は事実である。」と国営葬儀協会がコメントした。

 

同年、ロサンゼルスでも医者のストがあり、17の病院で手術件数が6割減った。すると全体の死亡率が18%低下した。ストが終わると死亡率は前の水準に戻った。

 

イスラエルでも1973年に医者のストが決行された。診察患者数が1日6万5千人から7千人に減った。するとどうなったか。エルサレム埋葬協会は「死亡率が半減した。」と発表。

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これは何を意味しているのでしょうね。いかに多くの人が不利益を蒙る医療を受けているということかな?

人類のウイルスとの付き合いは長い

◎昨日は春分の日の休日だったんですね。また休日かという感じがしませんか。経済格差と同時に休日格差が気になります。カレンダー通りの休日を享受できるのは、公務員、医者、銀行、大会社・・。国民のなん%のための祝日だろう。

◎医者といえば算術医者の程度がすごいですね。「コロナ病床が空いてる不思議」という新聞投稿で知りました。重症患者用病床にベッド一床につき最大約2千万円の補助金が出てるのだそうです。そういう金を受け取りながらコロナ患者の受け入れを拒否しているからこうなっている(コロナ病床の空き)という指摘です。時々飲食店などが虚偽申請で摘発される例が報道されますが、額の程度が違います。国は医師会に物おじしないで、巨悪こそ積極的に摘発してもらいたいです。

◎友人から新米の玄米を頂きました。試しにそのまま食べてみたらコクのある複雑な味ですこぶる美味でした。私は胃が弱いのでダメかと思いましたが、よく噛むのでかえってOKのようです。とにかく便通がよくなる。玄米食にはまった感じです。

◎ウイルスとの付き合いは農耕、家畜との共存が始まって以来

人類が定住を始めて農耕を開始したのは約1万年前といわれています。農耕と並行して野生動物の家畜化が始まりました。ちなみに最も早く家畜化されたのは犬だそうです。遅くとも3万年前には家畜になっていたようです。紀元前八千年頃には羊、山羊。同七千年には豚、紀元前六千年頃には牛等々です。

人類が家畜を飼うようになると思わぬものとの共存を余儀なくされました。ウイルスや病原菌です。天然痘、はしか、インフルエンザ・・。人類は家畜による生活向上を得る代価として、病原ウイルスや細菌への対応を迫られることになったといえるようです。ですからウイルスを特別視することなく、淡々と普通に付き合っていくことがとても重要だと思います。なぜなら、これまでの長い共存の歴史を有するウイルスとの付き合いは、人類が存続するこれからも長く続くのですから。

余談ですが、UFOで来ているかもしれない宇宙人。もし本当にいても容易に地上に降り立てないはずです。地上のウイルス、細菌を防御する術を保有済みなら問題ないですけれど。同様に将来人類が他の惑星に入植しようとするときも最大の難関が、こうした目に見えない敵との対決でしょうね。

過去記事レビュー(2)。奇跡は存在するか⇒大学者の答え

2015年1月6~数日間の投稿。この時の読者もほとんどゼロだったので改めてここにコピーして読んでいただこうという次第です。こういうテーマはRECOCAの大のお気に入りです。

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2015年1月6日から数日のRECOCA過去記事

「奇跡は存在するか」

1873年フランス。ノーベル医学・生理学賞受賞。1937年の名著「人間・この未知なるもの」訳・渡部昇一

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昨夜民放テレビで透視捜査について放映していた。驚いたのは、一昔前の番組のように靴を履いて痒い足を搔くような透視ではなく、まさにピンポイントの透視が行われていることで、これには深い感銘を受けた。

ただ、番組はCMに寸断される作りのひどいもので、もっといけないのは素人の何も知らない俳優と科学教に犯されたタレント識者をコメンテーターに出していたこと。雑音なしに事実を淡々と伝えれば素晴らしい番組だったのに、民放の超えがたい限界を見た。素材が超一級品だっただけにかえすがえすも惜しかった。

 

 

さて、本論に入って表題の名著。じつはカレルが素晴らしいのは唯物論全盛の当時(1937年)、その思想は間違いであることを著書の中で明言していることである。いわゆる物質科学しか信じない人を、新興宗教にたとえて科学教信者と揶揄している。

 

カレルの言葉に耳を傾けてみよう。

「物質と精神を異質のもの、ふたつの異なったものと考えるデカルト二元論は間違っている。したがって、物質重視の科学は間違いである。」

「透視とテレパシーは重要な科学的観察対象である。超能力、心霊学の研究も、同じことである。科学者は、それが正統的でないかたちをとるからといって、驚いてしり込みしてはいけない。」・・

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ー奇跡は存在するかー

1.カレル博士の答え

「奇跡は存在する。」

例としてルルドの泉での多くの難病治癒例を挙げている。ここではどんな医者でもそのありのままの記録をルルドの医学事務局で閲覧することが出来る。

 

あまりの評判に米国から調査団が派遣されることになった。ところが時は19世紀、当時の科学界の猛反発、つまり「奇跡など存在するはずがない」という唯物思想におされて実現しなかった。そして、それ以降は科学界の反発を恐れる世の中から徐々に忘れ去られる存在となってしまったと記されている。

 

しかしカレル博士曰く「過去50年間研究した事実からすると、この世の中の態度は支持できない。多くの奇跡による治癒例がルルドの医学事務局によって報告、保管されているからである。

腹膜結核、寒性腫瘍、骨炎、化膿症、癌などの重要な治癒症例である。

 

治癒の経過はほとんど同じだ。鋭い痛みの後、突然治ったという感じをもち、2,3秒、2,3分、遅くとも2,3時間以内に機能的、物理的症状が消え、食欲が出てくる。

この現象が起こるには条件がある。それは祈り。ただし、患者本人が祈る必要はなく、周りの誰かが祈りの境地に至ればよい。

 

この事実には深い意味が潜んでいる。すなわち、心理的な働きと肉体の働きには、まだ本質的にはよく分からないある関係が現実に存在しているということである。」

これは、精神と肉体を無関係とする2元論の誤りの実例といえるだろう。

参照書籍カレル著「人間、この未知なるもの」渡部昇一

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奇跡は存在するか

J.Jシャルボニエ博士(フランス蘇生・麻酔医)の答え。2013年発行の訳書から。

ー存在する。ー

「この問にわたしは肯定的です。なぜなら証拠が存在するからです。例えば、ピオ神父のケース。イタリア人の神父1968年亡くなり、後に聖人に列せられました。

故あって2008年に彼の遺体を掘り起こしたら、保存処置を何も施してないにもかかわず、遺体は完璧の状態で、芳しい芳香さえ放っていました。同様の現象は他にも存在します。このような例は聖人で起きるといわれています(例えばチベットの高僧ドゥジェム・リンボチェなど。彼の場合は、瞑想中の姿勢を保ったままのまま無傷で残っている。)」

 

アインシュタインの答え。

「偶然(即ち奇跡)とは、神がこっそりと旅をした足跡のことである。」

過去記事のピックアップ(1)

おとといの拙記事でRECOCAの過去記事のなかで残しておく価値があるものがあるか調べる決心をしたと書いたので、忘れないうちに始めようと思う。価値の有無は置いておいて、自分で面白いと直感で感じた記事を選ぶことにして、ここに採録するのでよろしければご覧ください。はてなに移って最初の記事を書いたのは2014年9月。12月まで数日おきに何かしら書いているがコメントはおろか、☆も完全ゼロ。これが普通だと思っていたので何の不思議も感じなかった。だってそうでしょう。素人の書く文章なんかわざわざ見に来る奇特な人がそうそう居るとは思わなかったから。第一回は下記。この時のことはよく覚えている。本当に超能力で動作する家電の時代が直ぐに来ると思った。

2014年12月16日の記事

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念ずればTVがつく

編集

ヤフーニュースにこんな記事があった。

日本の国際電気通信基礎技術研究所(ATR)がこのほど、脳波や脳の血流の動きで家電製品を遠隔操作できる技術を改良したと発表した。「スイッチを入れたい」と“念じる”だけで家電を操作できるというもので、これまでは使用者が操作をするために暗算などをして集中する必要があったが、改良によって通常の脳の状態で操作が可能になった。操作の成功率も以前の70~80%から84%まで上がったという。

これは驚くべき記事だ。いずれリモコンもいらない家電製品の世の中が来る。念じるだけで目的を達するパソコンなんてのが出来ると最高だね。

 

実はこの技術、そんな低次元の話では終わらない。この先には豊かな精神世界の領域が広がっている。

 

まずニュートンに端を発する近代物理学の根幹は?それは物理現象と人間の精神活動とは無関係(因果関係をもたない)ということである。つまり唯物論に根ざしている。

 

ところが今回の記事のように、「スイッチを入れよとの念」に器機が反応するということは、精神の働きを考慮しない唯物的な物理学はマクロの世界でももはや時代遅れだということを示している。

 

さらにこの記事は、明治の後期、念写を世界で初めて発見した東京大学福来友吉助教授のことを思い起こさせる。念写とは頭に思い描いた映像をカメラの乾板に焼き付ける超能力のことである。

 

当時こういう特殊な能力を有する日本人がいることを研究して世に発表したが、残念ながら唯物万能の時代背景が災いして、他の学者のひんしゅくを買い、職を追われることになってしまった。

 

さて上の記事で、家電機器をカメラに置き換えてみよう。精神活動に反応する家電製品が実現可能なら、カメラにだって原理的に可能だ。ということは、カメラが十分進化すれば、超能力者でなくても普通の人が念写出来る時代が来るのではないか。

さらに妄想をたくましくしてみる。

 

精神活動の受け手が家電製品でなく同じ人間だとしたら・・。それはテレパシーだ。念写、テレパシーなどいわゆる超能力の世界が物理学とドッキングするというのも絵空事ではなくなる。大槻教授敗れたり、てなことになる公算大だと思っているのですが、はたしてどうなるか楽しみです。

 

この延長でさらに興味あるのは、祈りというものの効果。もはや気休めなどといって済まされない現実の効果が合理的に推論される。ここで注意すべきは、ネガティブな祈り、つまり呪いの効果も同様だということである。」

 

♬マスカーニのアヴェ・マリア

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昨日は休日、それも敬老の日だったのですね。リコーダーの先生からお菓子が郵送されてきて、何だろうと思ったら敬老のお祝いでした。まさにサプライズ。それではじめて知った次第というお粗末でした。先生とはコロナ以降2年間交流がないが、覚えていてくださったとは感激雨あられ。夕方には近所に住む娘が敬老のチョコレート菓子と大福もちを持ってきてくれた。

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クラシック音楽のジャンルの曲です。

マスカーニ作曲のアヴェ・マリア。こういうニュアンスの豊かな曲をオカリナでやるのは非常にハードルが高いのですが敢えてやってみました、というところですかね。あんまり期待しないで聴いてください。あとで正調を乗せておきますので口直し(耳直し)はそちらで。

マスカーニ(1863~1945)はイタリアのオペラ作曲家、指揮者です。彼のオペラでダントツ有名なのはカヴァレリア・ルスティカーナ。その幕間で奏される間奏曲が美しくとくに有名で単独でよく演奏されtうけ。実はここで紹介するアヴェ・マリアはその間奏曲に曲をすこし付け加えて歌詞をあてはめたものです。間奏曲があまりの人気なので、アヴェ・マリアとして再利用したということでしょう。

まずRECOCAのオカリナ。相変わらずユーチューブの音量が低いので音量を上げて聞いてください。

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ソプラノによる歌唱

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原曲であるカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲。こういう感じでオペラの幕間に演奏されます。このオペラは愛憎の果ての決闘死という凄惨な内容なので、幕間にきれいな曲で一服してもらうということでしょう。

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