◎以前から出来たらいいなと思っていたメニユが登場した。
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それはカレー。インド、タイなどのエスニック風味でなく純粋和風カレーであるところに意味がある。

◎直近の朝日俳壇入選作からRECOCAの選
・命かけ買い物にゆく酷暑かな 我妻幸雄
・一年をかけたうな重一瞬に 佐藤茂
一句目:まさにこの通りの実感が共有できる。食品等の買い出しは100%自分の役割なので。35度を超えた環境には極力身を曝さないようにしているが、どうしても必要な時がある。それは、まさに「命かけ」の心境になる。
二句目:「一年をかけた」が言いえて妙。100%共感できる。私のもっと切実な表現語は「一年を待った」。私の好物は鰻とチョコレート。かといって最近のバカ高いうな重などしがない年金生活者などには高根の花だ。それでも年一回くらいは鰻の日に贅沢しようと満を持して待ち構えたこのうな重。まさに、待つは一年食すは一瞬である。
◎災害救助:日本の情けない現実
日本は世界に冠たる災害大国(頻発国)である。そうであるのに生き延びた国民(要するに避難民)に対する保護・支援の貧しいことと言ったら情けない限りだ。阪神淡路、能登、二度の熊本と多くの避難民を抱える地震が多発している昨近なので、それが余計目立つ。直接死を逃れた避難民の救済施設は相変わらずの、エアコン無しトイレ風呂無し雑魚寝公民館・体育館至上主義である。これに関してはこの百年一貫して進歩がない。正にG7先進国の沽券にかかわる貧困ぶりであるのに国には、「先進国としてこっぱずかしい現状」だなどという自覚が全くないようだ。察するにその理由は金をまわす余裕がないのであろう。ない、というより優先順位の問題であるのかもしれない。税金で足りなければ国債を発行してでも・・となるが、そこまでして救済保護する義務はないと考えているのであろう。
世界を見渡すと、よく比較されるのはイタリアの手厚い保護救済制度である。ご存じのようにイタリアも日本のように複数のプレート境界に位置しており、日本ほどではないが世界的地震火山国である。イタリアの建造物は歴史的建造物が多く石、レンガ造りが多く耐震不足で大きな揺れでなくても崩壊する場合が多いとのこと。イタリアの保護救済が手厚く、日本が貧困に見えるのは保護政策の位置づけが全く異なるからである。日本の思想はとにかく避難民の生命救済主義であり、その救済の内容・充実の程度については二の次三の次なのである。一方のイタリア。一言で言えば日本に比べて保護の範囲が広い。日本が最低限の生命財産保護に限定しているのに対し、イタリアの法律ではそれに加えて避難民の生活圏や環境保護まで広範囲にカバーしている。そのため避難所の条件としては少なくとも「人間らしい生活環境の維持」を備えることが大前提になる。これは1992年の法律で明記されたとのこと。さらに感銘を受けるのはその首相直轄指揮体制である。首相府直轄で発災1時間以内に州・市町村・科学コミュニティ・ボランテイア一体化システムが構築され稼働体制に入る。縦割り救済環境とは大違いの機動力だ。また、日本のように善意のボランティアという思想とは一線を画す組織的なボランティア運営も印象的である。発災とは無関係に常に訓練されたボランティアが24時間交代制で稼働体制にあり、国家の防災戦力として制度化されているという。避難所の簡易ベッド、温かい食事、清潔なトイレは避難所の標準仕様とされている。(エアコンはどうか知らないが)仮設住宅は日本の倍の広さ、家具付き入居制限なし。自立居住支援金でホテル・賃貸に自由に移れる。避難所ストレスによる関連死を最小にするため、家族に支援金を支給して避難テント村を早期に解消するのが目的。
このように日本とイタリアでは避難民救済保護の哲学思想が根本的に異なるので、イタリアを真似しろと言ってもまずできないであろう。
ゆえに、2035年ごろやってくると言われる南海巨大地震や富士山噴火を運よく逃れ生き延びたとしても、避難民になったら今と同じ悲惨な避難生活が待ち受けているのはほぼ間違いない。それを避ける一つの方法として特に10代、20代の諸君に推奨するのは地盤の安定した国へ留学して現地就職すること、つまり日本脱出である。留学先で生活が安定したら家族を呼べる。これは2035年までに、早ければ早いほど良い。







