子供の質問は素朴で、時には本質を突いて鋭い。大人が誤魔化さずにまともに答えるのはとても難しいことがある。
そういう類の質問を網羅して、当代一流の専門家が「質問した子供に理解できるように答える」という本を見た。
本の題:「世界一ときめく質問、世界一易しい答えー世界の第一人者は子供の質問にこう答えるー」
例えば自分が聞かれると困るなーというのにこんなのがあった。
「人間は何のために生きているの」
孫に聞かれたらなんと答えますか。
ある哲学者の回答
「例えば「牛乳や牛肉を得るため」に牛を飼うとか、「羊毛を取る為」に羊を育てるという意味では、人間が何かの「ために」なることはありません。けれども人間はだれでも目的や目標をもつことができます。そしてその目標を達成しようとしながら生きることで、生きる意味が生まれます。私達は何かの「ために」ほかの人を利用してはなりません。互いが相手を価値ある人間と考えて接し、相手が自分自身やほかの人にためにしている良い事を認めて尊重しなければなりません。」
しかし、この回答はなかなか手厳しい。目標を自覚できないと生きる意味がないのだろうか。今みたいに、のんべんだらりとただ生物学的に生きているだけの身としては考えてしまう。
ついでに、私の「超素朴な質問」⇒「人はなぜ人を殺してはいけないの?」
これは有名な質問だが、この本には載っていなかった。回答は回答者の数だけ種類があるだろう。
一つの回答は、上記哲学者の回答にヒントがある。
「他人の価値を認め、その人たちの目標、目的達成のための励みを阻害してはならない。」これを子供に分かりやすい言葉にするのはなかなか大変だ。
最近は、手がかかるといった些細な理由で老人をベランダから投げ殺したり、子供に対する拷問まがいの虐待の横行とか、人と物の区別が付かない成人が目立つ。もう手遅れかもしれないが、こういう成人にこそ素朴な質問の答えを真剣に考えてもらいたいものだ。
ついでに。
なるほど、人を殺してはいけないわけは分かりました。では動物はどうなんでしょうか?⇒勿論いけません。⇒けど、いけませんという本人自身が牛、豚、鶏、魚を毎日食べていますよね。ひょっとして他人が殺したものなら食べてもいいということなのでしょうか。どうして、ペットを食べてはいけなくて家畜ならいいのでしょうか。
今朝の新聞に金魚を30匹殺して娘に食べさせたという虐待の母親のニュースがあった。しかし、どうして鰯や秋刀魚はよくて金魚はだめなのでしょうか?
ひょっとして弁護士でも考え込むのでは?