北国の春

ユーチューブにアップしました。

北国の春

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北の国から(改訂版)

音声と画像改定しました。

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北国の春は童謡「ふるさと」の歌謡曲版です。ふるさとUターンの郷愁をそそる歌。老人施設へ演奏に行ったとき、北国3部作として上記北国の春北の国からに加えて襟裳岬を演奏します。ついでにご視聴下さい。

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ところで、ユーチューブ側の記録によると、RECOCAが投稿を始めて9カ月、40曲以上がマイチャネルにストックされたらしいです。それぞれの動画には何度視聴されたかを示すインデックスがくっついていますが、中で異常にそれが多い動画があります。それは、通りゃんせの940。2位の200を大きく引き離しています。理由は分かりません。乾坤一擲これぞという動画はスルーされて、大して力を入れてないのが注目される、世の中の仕組み通りだなと思いました。一応、こんなのですから、さらに視聴回数アップに貢献くだされば有難いです。

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今朝の朝刊(朝日)から

・忘れないうちに花クイズを出題しておきます。この花の名前は?

RECOCAは難問と思うのですが、うちの奥さんはそうでもないと言っている花。

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・翁長沖縄県知事急逝

沖縄の問題の動向を論じようというのではない。そうではなくて、がん医療に思うこと。報道によると、知事のすい臓がんが発見されたのは今年4月の人間ドッグによってであった。次のように書かれている。「4月に人間ドックを受けた際に精密検査が必要と指摘された。膵臓に腫瘍が見つかり切除手術を受けた。再発を抑える抗がん剤治療を受けながら・・・」つまり、この記事のニュアンスから受ける印象は、人間ドッグ受診時にはほとんど症状がなかったことがうかがえる。それが、摘出手術後わずか4カ月足らずで急逝!RECOCAにはこの一連の推移がどうしても納得できないのである。ピンピンしていた人間がなぜ4カ月足らずで亡くなるのか。がん医学はこれをどう説明されるのか。政界やスポーツ界でいまはやりのごまかしでなく、科学者らしくきちんと説明してもらいたいと思う。そうでないと、例の近藤誠さんのオーラが一段と光り輝くばかりである。人間ドックを受けたばっかりに命を縮める結果を招いた、という説もあるくらいですから。

・日本の科学の未来は?

そんな大げさなことを論じようというのではないですが・・。

アジアで科学分野のノーベル賞受賞国は日本だけである。ノーベル賞だけが偉いわけではもちろんないが分かりやすいシンボルなので一応目安にしておく。これが将来揺らぐだろうといわれている。2,30年前から指摘されているからそろそろそうなってもおかしくない。理由は単純ではっきりしている。博士課程への進学者が激減しているらしいからである。なぜか。研究者としての就職口が狭き門だから。博士号をとっても、非常勤講師や企業の非正規雇用で食いつなぐしかないとなれば、腰を据えて学問しようとは誰も思わないであろう。結局文部行政が近視眼にすぎるからであろう。結果をすぐに求めすぎるのは何事においても諸悪の根源だ。

今朝の「折々の言葉」を見てください。

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このくらい、おおらかな気持ちで、しかも身分の心配なしに学問に没頭できる環境を提供してやらないとだめだと思う。明治150年だから、先人の知恵をしっかり導入すべきだ。

今日の新聞によると、トランプ大統領も科学予算を削りまくっているようだ。やっぱり、と納得であるが、あと数年我慢していれば、彼は退陣してすべてが正常に戻るから心配ない。しかし、日本は心配。

それと、貧乏であると大学へ行けないという環境も深刻に思える。思い返すとRECOCAの幼少の時はむしろ逆で、貧乏人が一発逆転できる道が学問であった。そのため、天下の国立大学の受験、入学、授業料は安かった。その結果優秀な人材を集める母集団が今に比べて大きかったといえる。

こう考えると、日本の科学を取り巻く環境は、大学の出口と入り口で今深刻な問題を抱えていると思う。

「挨拶」

読者の皆さん、お早うございます。お変わりありませんか。

今朝も有難いことに軽井沢状態。昨夜は布団を引っ張り出さないと寒いくらいでした。しかし、台風が過ぎるとまた35度超の再来が予報されています。次の台風の卵が14号になって来訪しそうなので、今度こそ台風一過秋の空気を呼び込んでほしいものです。

さて、カメキチさんの「禅語録」に刺激されて、「ZENGO」という本を借りてみました。禅語集で、大体の意味が記されています。ざっと眺めて思ったのですが、人のコミュニケーションに関係する禅語が結構多いということです。一ページ目から続けて3語がそれでした。すなわち、「挨拶」、「相逢不相識共語知名(あいおうてあいしらずともにかたりてなをしらず)」、「喫茶去」(きっさこ)。禅というのは座禅を組んで一人黙々と修行に励むものかと思ったのですが、修行のスタイルはそれだけではないのですね。考えてみれば、禅問答なんかは典型的なコミニュケーションといえるのかもしれません。では、順にみていきましょう。

①挨拶

これが禅語だったとは驚きです。次のように説明されています。「禅宗で、僧が問答を繰り返しやりあうこと。転じて私たちが毎日交わす会釈、受け答えの意味になった。」

「挨」も「拶」も押し迫る、迫るの意味をもつ言葉だそうです。日常挨拶を交わすとは軽いコミニュケーションの意にとらえがちですが、それをあらわす文字は圧するような迫力を持つものだということです。ですから、こんにちは、こんばんはなど日常使う挨拶の言葉には何の意味もありませんが、言葉をかける、交わすということ自体に深い意味を含んでいるといえるのかもしれません。

実際、人がいても挨拶を交わさなければ他人のまま、あるいは壁や物体と変わりません。「ひとたびこんにちはと声を掛けられた瞬間、その相手は、モノから人へ変身したように鮮やかに景色の中に浮かび上がって見える。こちらからも返事をしなければならない力を持った存在に変わる。

ところで、「こんにちは」・・など無意味な言葉を交わす挨拶など、時間の浪費だ・・」、合理主義を追求していくと、このような隘路にはまりこむ時があります。じつはRECOCAも高校くらいの子供の時、そんなことがあってしばらくぶすっとしていたことがありました。そのうち、それでは世の中渡れないと気が付いて、見かけは挨拶を欠かさないよう気を付けるようになりましたが、しかしそれは私にとってはずっと世渡りの便宜主義に過ぎないものでした。今回禅語集の教えに接してやっとその真意を理解することができた気がします。かなり遅きに失した感はありますが・・。

罪滅ぼしに今回のブログは読者へのご挨拶から始めました。気が付かれましたか?

台風

・南下してきた前線のせいで、今朝は昨夜からの雨が降り続いています。

お蔭で朝の室温25度。こういう朝を久しく経験してなかった。

軽井沢に避暑に来たようでとても新鮮です。

・ところで、今週の東日本は台風騒動になりそうです。

今度の台風も東京突撃のふりをして、突然の進路変更の予報。今のところ房総半島直前で北へ急転回。じつは、この進路早くからハワイの米軍気象気象台が指摘していた。一方日本の気象台の予報進路は伊豆半島を目指す進路でした。伊豆半島にちょっと上陸してすぐ北へ転回する経路。これは昨夜のNHKも採用していました。けさのネットを見たら両者とも房総半島に一致したようなので、これが今のところ最終案かなと思います。

・35度とか40度というのは大変だということがよく分かりましたが、世界を見るとこれはまだ可愛いものかもしれません。例えば、ポルトガルでしたか46度が続いて未曽有の山火事にに見舞われているとか。日本もそんな災害に見舞われないとも限りません。大水害に山火事。気候変動を止めることはできないから、何が起きても受け入れる覚悟で生存を続けましょう。

今朝の予報(気象庁

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米軍予報

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涼を呼ぶ落合川

・RECOCAの活動可能範囲は摂氏35度迄。これを越えたら昼寝をするだけと決めた。したがって名古屋にIターン(アイターン)はできないし、岐阜や多治見、宇都宮にも移住できない。

・近くに落合川という湧水起源の清流が流れている。結構水は冷たくて目が覚めるほどだ。夏ともなると手軽に涼を呼ぶ小川として子供にも大人にも人気のスポットである。

画像に収めてきたのでユーチューブに流しました。川堰でのせせらぎの音と蝉時雨のコラボがとても心地よい。

・川の音競ふがごとく蝉時雨

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野菜の自給自足を少々

暑さもさることながら、野菜の高騰も尋常ではない、との報道です。

東京卸売市場の1日時点の卸値を平年値と比べた場合の数字が載っていた。

はくさい、キャベツ=2.1倍、大根、ピーマン=1.57、レタス、キューリ、トマト、ナス、ネギ、ホウレンソウ=1.25

例えばキューリが暑さ負けするとこんな具合になる。(RECOCA’S農園の産物、昨日)

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しかし、まともなのもあって、

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暑さ負けのキュウリであっても、キュウリはキュウリだから、こういう時節の自給自足は特になる。

ほかに、特筆すべき収穫物はブルーベリー。間もなくジャムとして登場予定。

ちなみに、ブルーベリーを日本で最初に栽培したのは小平市である。(東久留米隣接)

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間もなくイチジクもうまくいけば収穫できる。しかし、生育が良くないそうである。

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「オリビアを聴きながら」

暑いというまいと思へど暑いこの暑さかな、とかなんとかいう句があったと思うが、正にこの通り。あんまり頭に来たので夕方(5時ごろ)温度計をもって外で測ってみたら、日陰でも35度。ちなみにここは武蔵野平野、池袋から電車で西北西へ30分、東久留米という、都市だか田舎だか判然としないところです。夜になっても30度から下がらないので、こういう時は忠告に従って寝てる間エアコンを掛けることにする。老人は寝ている間に熱中症になって、気が付いたら朝あの世で目が覚めた、ということがよくあるそうですから、電気代気になりますがエアコンを効かせて寝ましょう。

人は気温何度まで耐えられるか。昔の日とは偉かった。お医者さんで自らを人体実験して試した偉人がいたそうです。動機は人間の体温に恒常性があるか否かという当時の医学界の大論争に決着をつけるため。結果は何度まで耐えたと思います?気温127度、耐久時間7分だったそうです。その結果、外気がこんな高温にもかかわらず、体温は変わらなかったという大発見をすることになった。それが、体温計という医学道具の開発につながったということだそうです。こういう人は本当に偉いと思う。それと、自分で食べてみて、これは食べられる、これは食べられない・・と区分けした人もすごいと思う。

暑いとこういうとりとめもない妄想が頭を支配して、俳句どころではない。あと出来ることと言ったらユーチューブにオカリナをアップすること。しかし、あんまり頻繁にアップすると種が尽きる心配がありますが、昨日中北音楽研究所から知らせが来て、8月中に新規の伴奏CDを2枚リリースするから支払い準備をして待つようにと言ってきたので、安心していま貯まっているストックを吐き出します。

曲は、「オリビアを聴きながら」。実はこの歌ほとんど知らないのです。多分ニューミュージック系のはしりの時期に出た歌だと思いますが、RECOCAはこのころクラシック系、それもルネッサンスバロック音楽にはまっていた(現在もそうですが)のでフォーク、ニューミュージック、演歌はライブではほとんど触れたことがなかった。オカリナをやるようになって、これらがその重要なレパートリーになっているのでやむなくやるようになったにすぎないのです。しかし、80近い老人でも「オリビア・・」程度のニューミュージックならリズムに乗って行けることを証明しますので、よろしくご視聴下さい。歌のテーマは失恋、というか女性が男を無理にふって、夜寝る前に粋がっている様子をイメージしました。「オリビア」というのはよくわかりませんが、当該女性が好きな歌だか歌手らしいです。

では不肖RECOCAのオカリナで、オリビアを聴きながら。必死にリズムに追随しているが、時々破城している様子をお楽しみください。

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