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小さな梅林ですが、種類は豊富。

現物を全て確認したわけではないですが、看板によると19種植わっている。

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近くに河津桜の並木があります。今、旬です。

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・セーターを腰に野駆ける弥生かな

・初音まで訛り御免のリハーサル

誕生日会/合唱団白樺

●娘の誕生日会

しっかり中年入り口なのでありきたりの会は飽き飽きしているので、うちの家族は、本人が気が向けば家族、友人を招集して何かを振舞うのが慣わしである。

きのうは両親のみ招集して夕食。メインディッシュは醤油ひき肉ラーメン。これがなかなかの美味だった。

ケーキもクリームべったりの不健康なのは食しません。なんと、カステラの切り身のまわりにセルフでイチゴをあしらって食べる。お腹に入れば同じという合理的発想か。

バースデイカードは立体になっていて凝っている。PUSHというところを押すと小鳥が啼きだしてハッピバースデイのメロディ。小鳥が踊りだすと尚良かったが。となりの花束は旦那のプレゼント。

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●合唱団白樺

定期公演のお知らせと切符2枚を今年も頂いた。大学の同級生が現在もテノールソリストで活躍しているからである。昔大学の男声合唱団でいっしょのパートで歌った仲間だが、彼は東京で就職と同時に合唱団白樺の花形ソリストになった。70過ぎの現在も3000人収容の新宿文化センターの隅々に声を行き渡らせる異常な声帯の持ち主である。

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一応はアマチュアだが、入場料から分かるとおり実力は十分プロフェッショナルである。おなじみのロシア民謡はじめ、ロシア、ソ連の歌曲など研究初演に努めている。コサックダンス、バラライカアンサンブルとの共演も楽しい。ロシア関連の専門合唱団は国内で非常に珍しく希少価値がある。何度もロシア、シベリア公演で本場にも知られた存在であり、節目にはロシアから合唱団、ソリストを招いて交流するなど活動は多義にわたっている。7年前の震災復興支援も熱心に取り組むなどボランテイアにも余念がないようだ。希望者あればチケットとりおき出来ますのでどうぞ。

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https://www.youtube.com/watch?v=eh5lN3J2opA

http://g-shirakaba.net/profile/shirakaba_profile.html

・一病を守り袋に山笑ふ

 

健康には十分注意しましょう

うちのかみさんが突然特効薬ニトロを所持する身となった。なんとか狭心症(詳しくはObachanさんのブログコメント欄)の疑いで、今度胸痛があってニトロが効いたら、精密検査しましょうと言われて帰って来た。

 

爆薬のニトロも平和のために使えば多大な人類貢献になる。ニトロは診断と治療の特効薬で、爆薬が破裂するみたいに一瞬で血管を広げ血流を回復させる。この薬が世に無かった時代はさぞ深刻な病状だっただろうと思う。

もちろん使用機会がないのが一番で、Obachanさんがおっしゃるみたいに「お守り」ですむに越したことは無い。

 

さて、そこで郵送されてきた健康食品の売り込みパンフレットを見たら興味深い情報があった。

①老化の促進物質AGE(終末糖化産物)

老化の原因物質が活性酸素であることは既に良くご存知と思うが、最近AGEに注目が集まっているとか。活性酸素による酸化が「体のさび」といわれるのに対し、糖化は「体のこげ」と呼ばれ、食事から取った余分な糖質が体内のたんぱく質と結合して細胞を劣化させるのだそうである。

肌のしわ、くすみ、骨粗しょう症白内障認知症などを引き起こす。

減らす工夫は、ゆっくりかむ(30回)、野菜きのこ海藻類を最初に食べる、腹八分目、軽い運動、ストレスためない。

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②慢性炎症物質(CRP

体内でCRPという物質が多いと不健康になる。CRPは老化によって不可避的に多量になる。しかし、地中会食(魚、オリーブオイル、ナッツ、野菜)、日本食(魚、野菜、豆、海草)にCRPを押さえる効果がある。

 

注目すべきは、心のもち方にも大いに関係していること。例えば「満足度」。同じ満足度でも、快楽型、物欲、食欲、つまり自分のための満足はむしろCRPを増やす働きをする。

逆に、生きがい型、ボランティア、社会奉仕など他人のために働く満足はCRPを抑制する。つまり自己満足でいいから人のためになることをしなさいということ。

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久しぶりに花クイズです。

①健康食品パンフレットに載っていた花です。何という名でしょう。

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②今朝行ったボランテイア先にあった花。ボケボケ写真です。この状態で分かったら天才博士。

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・もう春はそこまで空と野の光り

 

 

ペットの死(磯部先生の本から)

前回書かなかったが、非常に大事なことが記されている。
ペットの死について。人の死を体験するシミュレーションだというのである。
これは、子供、青少年にとって特に重要に思える。
少し長いが転載させていただく。
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悲しみに向き合う
人は悲しみに向き合うときが必ずある。悲しみをどう処理するか。それは悲しみに向き合うしかない。

愛するものを失う。親であったり配偶者であったり子供であったら、その悲しみは大変である。愛犬の死は悲しみを乗り越えるにはよい材料である。悲しみとどう向き合うか、愛犬の死について考えてみよう。
 
小学生のころに犬を飼い始めると、大学生になったころ、老いてゆく犬の姿を見て愛するものを失う経験をする。愛犬の死がなければ悲しみを経験できない。

 

動物を飼うと死ぬからいやだという人がいる。いや、いやそれは違うと思う。死ぬからいいのだ。悲しみを経験するからである。悲しみを経験することでいたわりの心が育つ。・・中略・・

悲しみは、楽しいことを考えて忘れようとしてはいけない。悲しい、悲しいと泣いた方が良い。私も愛犬ムクとエリが死んだときは毎晩泣いていた。

悲しい時は「悲しい」と声を出した方が良い。悲しみから逃げない。悲しみを受け止める。それが生きる力になるはずだ。愛犬が死ぬ。悲しみを教えてくれるために死ぬ。死んだ生命を大切にしてほしい。
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25年前磯部病院に入院させていた猫が死んだとき、夜中にもかかわらず遺体を届けてくれた真意がやっとわかった。当時はただ親切な獣医がいるものだと思っただけ。恥ずかしながら、50歳にしていまだ人間ができていなかった。


●俳句
俳句の国際化は今や多数の国に及んでいる。特に詩の国フランス。百年前からだそうである。フランスでは俳人のことを「ハイキスト」というらしい。5000人いるという。

 

俳句はダダイズムシュールレアリズムなど多くの詩人にえいきょうをあたえ、ポール・エリュアール、やリルケなども句作を試みたといわれている。

驚くことにピカソも非常に俳句に魅了されていたそうだ。作曲家のストラビンスキーも和歌、俳句を歌詞とした歌曲を作っている。(引き算の美学・黛まどか
・雪よりも白き花弁や水仙
雪が一見季重なりだが、単なる比喩で主体は明らかに水仙なので、季重なりとは言わないのではないかと思うのだが分からない。

動物病院院長の本

東久留米市のうちの近くに動物病院がある。このほどそこの院長先生が本を出版された。

「動物病院を訪れた小さな命が教えてくれたこと」

磯部芳郎 現代書林 2016年10月

動物に寄り添った愛情深い診療をすることで知られた先生である。最近の動物病院の診療費が異常に高いことを著書の中で憤っておられる。

 

無駄な延命治療や高額な手術。1件80万円の手術費を請求される例も珍しくないそうだ。高々、5万円程度で本当は済むのに。一度そのことを新聞に投書したら、学会の半数は良く書いたと賛意を示したが、半数は無視か余計なことをして・・、という反応だったそうだ。

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磯部動物病院にはちょっとした思い出がある。もう25年も前のことだが、重病で入院させていた飼い猫が夜死んでしまったとき、夜中にもかかわらずわざわざ車で遺骸を届けに来てくれたのである。どこの病院も同じかどうかわからないが、ずいぶんと丁寧なお医者さんだなと思った記憶がある。

さて、本書に中にとても示唆に富んだ一節がある。

「いそべ式犬との共存ルール

①生き物に深い愛情をもち、常に安定した心で接すること。

②好ましい状態で接すると動物から信頼を受ける。

③動物が信頼している飼い主から叱られたときだけ動物は反省する。

④信頼関係の中で動物を自分勝手なことをさせず強く叱ること。体罰も仕方ない。

⑤信頼を寄せていない人に叱られると、なおさら反抗的な悪い性質になる。

もし、その犬が悪い犬になったら、犬に問題があるのではなく、人間側に、つまり飼い主に問題がある。」

さて、① 生き物⇒「子供」と読み替えてみましょう。

②③④ 動物⇒「子供」、「飼い主」⇒「大人」

犬⇒「子供」、飼い主⇒「大人」

ペット育ても子育ても同じみたいだ。

「後書き」のなかに素晴らしい言葉を見つけた。皆さんも探して見てください。

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ありましたか。

「高貴高齢者」です。今後密かにこの字を使うことにしよう。

・早春の水の動くやほとけどぜう

 

 

 

 

俳句考(6)

引き算の美学 黛まどか 毎日新聞社より

・季語の力

季語には長年培われた潜在的な意味が潜んでいる。(季題、本意という)俳句ではそれを最大限活用します。季語はそれだけで情趣を含んでいるから、作者がそれに付け加えて思いや感動を加える必要はないということになります。歳時記の勉強がいかに大事か分かる。

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さらに重要な記述があった。俳句は当季を詠むこと。つまり、今だったら早春、晩冬だからその季節を詠む。

自分は夏が得意だからといって、今の時期季節はずれの夏の句を詠んで発表するのは場違いでよくないということです。このことは、ユーキャン俳句講座でも指摘されています。

これは、発句の習慣の名残と思われます。俳諧の最初の句である発句では一座へのご挨拶として当季を読み込むことが義務付けられていたからです。このことは、私は全く知らなくて講座テキストを読むまでは、当季など無視して年中得意な季節の句ばかり作っていた。

日本人は手紙でも、路上の挨拶でも必ず季節の挨拶から入る。なしのときはわざわざ前文ごめん下さい、と断りを入れるくらいです。これは発句の習慣からきている。

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・切れ、と余白

前のブログで説明したが、発句には完結性が必要です。そこで用いられるのが切れ。切れを明らかにするために切れ字を使います。切れ字は言い切る形をとる語。切れによる間によって、眼前の景に加えて現実には見えない世界を呼び出すことが出来るのです。

 

日本の芸術の真髄は余白美によって成り立っているといえます。華道では、余白の方が主役。ある日本料理のシェフの言葉、「味のアピールを半分でとめる。あとは食べる人が探ってください。・・」能もしかり。

 

俳句・・17文字に絞り込むために切り捨てられた風景、言葉の数々など、文字としては表に出ないが、句の裏側(余白)に隠され、確かに存在していることを伝え感じ取るのが俳句である。

正に、冗長な西洋詩と対極をなすものではないか。

・赤蜻蛉あの少年の日のことを

 

春一番(俳句考5)

今日は春一番の陽気で、見る見るうちに強風になってきた。

そこで春一番にちなんで、俳句講座テキストを読んで、これを会得できれば免許皆伝への一番大事な一歩と私が思ったことを書くことにします。

ユーキャン俳句講座「俳句読本」p18~

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「取り合わせ」と「一物仕立て」については前のブログ記事に書きました。取り合わせは素材の選び方組み合わせ方言葉の選び方に苦労し難しそうですが、その分だけ成功したときは大変魅力的な句になります。

 

一方「一物仕立て」の句は、一見作りやすいですが安易にやると大抵勢いのない平凡な句か、事実の報告、感動の押し付けになりやすい。

例えば、言葉の選び方の雑な一物仕立ての句

*菊白く咲かせみんなに自慢せり

 

慎重すぎて言葉がくどくなり、事実の報告、感動の押し付けになった句

*菊眺め時を忘れて震えけり

 

これに対して芭蕉の名句

*しら菊の目に立てゝ見る塵もなし

「目に立てゝ見る」=目にとまるような

(白状するとrecocaはこの句の良さが理解できてないので免許皆伝には程遠い。)

 

説明過剰句はだめ

「言い尽くしたとして、それが何になるのか」これは弟子の質問に対する芭蕉の答え。芭蕉は「言い尽くされた」という基準では作品を評価していないのです。つまり、「どれほど見たもの聞いたものへの感動を詠んでもそのことの説明に終わっている句は魅力がない。作者の一人合点に終わって今うことを戒めているわけです。

 

俳句は読者に読まれて、感動が共有されて初めて意味が生まれる。「私は感動しました」と説明されればされるほど、読者は鑑賞する手立ても気力も失ってしまうことを心にとめておいてください。」

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だそうです。じつはこの辺の頃合いが俳句の一番難しい点で、指導者について添削を受けないと会得できないのではと感じています。

習い事にはなんでもかならずこういった、ここ一番という肝があると思います。ここを突破すればあとはすいすい、というような。

いきずまったら(つまりスランプを感じたら)、肝に来たなとにんまりして耐えること。人のことだと簡単に言えるが、偽師匠には無理かも。すぐに放り出しそうだ。

いまこれを書きながら、感動の押し付けの句ができました。

・梅の香に一句閃く至福かな

演習問題「感動の押し付けと言われないように添削してください。」

ヒント、至福かな、と一人悦に入っているところが問題。