錦絵・再度ガスミュージアム

●日野原医師が亡くなられた。生涯現役医師でエッセイスト、さらに趣味を生かした音楽では音楽療法を積極的に取り入れ、学会まで立ち上げたと聞く。驚くべきことに、100歳の挑戦として俳句をはじめられ、すぐに独自の世界を切り開いて句集まで出版、という素晴らしいバイタリティだ。「100歳はゴールではなく関所だよ」、こういう句を見ると季語のあるなしとか瑣末の問題を超越した力強さと希望を感じる。

ご自身の経験から、老人にたいしてユニークな注意を喚起されていた。「血圧の高い患者に試合の生中継は危ない。見るなら結果の分かった録画を。」日野原先生の言葉は知らなかったが私は高血圧ではないが大分以前から実践している。

●40年以上前、都心に勤務していた頃、ちょっとあやしい病気というと聖路加病院しか行かなかった時期があった。理由は分からないが、なんとなく患者に寄り添った医療を行う病院というイメージがあったからだと思う。虫歯もわざわざ聖路加歯科へいって、歯科部長に見てもらっていたのだから明らかにやりすぎで、こういう患者がいるから初診料5000円取られるようになったのだと反省している。

●錦絵inガスミュージアム

実際に掲示してあるのでなく、収蔵品をビデオに納めたものをテレビで再生して鑑賞する。この前、ごいさんと行った時は機械がこわれていて見れなかったので再度行って撮影してきた。これで、全体の半分くらい。明治期の東京の風景が面白い。

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あと次回以降に続く。

・書を積んで羊数える熱帯夜

・青空に園児らの声終戦

●この花の名教えてください。

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ウヒョー!!

九州や新潟で豪雨災害、遅ればせながらお見舞い申し上げます。

昨日は、当地東久留米界隈、都心でも池袋で2時間くらい「記録的ゲリラ豪雨」と強烈な雷、圧巻はでっかい雹(ひょう)の襲来を受けました。うちの近所もこの通りです。

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ここは、時々こうなるので有名な場所なのですが、きのうは水中で車がえんこして、JAFを呼ぶやら、警官が出動するやら大騒ぎでした。ちなみに私の車ではありません。カメラを持って出歩くと、リアルな画像に遭遇しますね。

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ウヒョー、の画像集を「シェア」します。

http://twitterism.net/archives/9080

・渋滞のテレビ肴に冷やし酒

・人気(ひとけ)なき隣家の軒に鉄風

(切れ字なしに切れている句のつもり。どうでしょう?)

しかし、2句目は定石通り、やを使うべきだと思います。

・人気なき隣家の軒や鉄風

 

 

久しぶりに俳句講座

  • 畑の小玉スイカ、赤か黄か、それが問題。

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トマトも健在

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そしてこんな花も。

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一応、花クイズにしておきます。但し、超幼稚園級の問題。

  • 俳句講座

ユーキャン俳句講座の受講は最終盤に来たが、最終課題が出来なくてここにきて足踏み状態にある。

そのことは後で記すとして、振り返ってみてこの講座を受けてみて何が一番役に立った課題だったかというと、「切れ」についてはっきり意味が分かったことである。よく知られているように、代表的な切れ字は「や」である。まず一番に注意すべきは、これは非常に強力で、やの前後を無関係にしてしまうということである。例として次の2句を参照されたい。いずれも課題提出時の拙句で、「や」の使用法を誤った句として指導を受けた句である。

・第2回提出句 菜の花やぬっと顔出す親子連れ

この句意、普通の人には分かりますよね。菜の花畑の中から親子連れが突然顔を出した、のつもり句。ですが根本的誤りがあります。なんでしょうか。

指導コメントには次のように書かれている。

「・・・中7のぬっと顔出すが切れ字のあとなので、どこからだろうと思います。・・・」つまり、菜の花のことは、やで切れているので、切れ字以降に菜の花を引きずってはいけないのである。「や」を単なる強調語と思っているとこういうミスを犯す。それでよく分かったつもりだったが、再度失敗した。

・第5回提出句 筍やしっかと掴む八十路の手

句意は、掘った筍をしっかり掴んでいる老人の手が印象的というものだが、上と同じ誤りがあります。今度はお分かりでしょうか。

筍のことは「や」で切れているので、中7の掴む対象が不明(本人は筍のつもり)

指導コメント「筍やで切れているので、八十路の手の掴むものが何か分かりません。切れ字の位置を変えてください。⇒筍をしかと抱くや八十路の手」

さて、現在困っていることは、最終課題「切れ字を使わなくて切れている句を提出しなさい。」 これについて少し解説します。

代表的切れ字は、や、かな、けりだがこれらを含めて計18文字ある。テキストに載っている使用例は次の通りである。

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これらは芭蕉の時代に既に確立された切れ字だが、明治以降にも追加されたものがある。その代表が「て」。使用例は以下の通り。

 

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てで切れていることを確認してください。

さて、ここからだが、実は切れ字なしに切る手法がある。これは比較的近代のこと。

上5+中7を主部とすると、残りを「飛躍切部」と称して主部と無関係な語を配する句である。その例を以下に示す。

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こんなの簡単だろうと思ってやってみるとあにはからんや、である。無関係にしっかり切れる語でしかも潜在的に関係のある語を見つけるのが大変だということが分かった。やを使えばなんでも切れてしまうので簡単なのである。これが、最終提出課題。切れ字の威力を徹底的に植えつけるのが出題意図のようである。確かに、この課題をやってみると、切れ字の威力がよく分かる。さすがよく考えられたカリキュラムであると感じた。

暑!

●梅雨前線直下でないと雨と涼の恩恵にあずからない。どこに行った。今日は34度、明日は35度。去年の夏の俳句を見ると、暑くて氷河期が懐かしいとかわけの分からない句を作っていたようなので、やっぱり同じような酷暑の陽気だったらしい。俳句は日記代わりになっていいです。

近作夏7句

・車椅子今朝のお伴は夏の蝶

・ジョギングの空気凉しや犬駆ける

・浜の子の背よりも高し土用波

・街の音吸い取る如し蝉時雨

・自動ドア出ずに見送る炎暑かな

・ベランダに顔揃ひけり遠花火

・夕立や忘れられたる鍬ひとつ

●自家農園近作3品

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このかぼちゃは拾った苗から育ったものらしいので、棚から落ちてきたかぼちゃ。にんにくとトマトは、市販物が高いので金目の作品といえる。

●気になったTV番組のシェア

「シェア」という言葉を使ってみたが、これも前から気になっている言葉。SNS業界の流行語で、要するに気に入った他人の投稿をなぞるということのようだが、従来の日本語で言うと、受け売りとか紹介と同義。受け売りというとなんとなく卑屈な感じだが、シェアというとかっこいい。

ふっと浮かんだが、言い換えで違ったニュアンスになる言葉でこんなのがある。道楽と趣味。

趣味というと高尚だが、昔の言葉で言えば道楽。昔は遊びは罪悪感が伴っていたので、道楽には極つぶしのような良くないイメージが付きまとっている。しかし煎じ詰めれば両者は同義。

①先週のがってん、膝痛

普通、膝痛の原因というと。膝関節の軟骨がへって上下の骨が摺れることによるものというのが通説だが、多数のレントゲン所見を集めてみるとそれに反する事例が半数近く見つかった。つまり軟骨が磨り減ってもなんら痛みの自覚症状がないし、逆に軟骨が正常でも強い痛みのある場合が多くある。その場合は、関節を包む内包筋の癒着が原因。その解消には膝伸ばし体操が有効という番組だった。痛みの原因がレントゲン所見と一致しないのは腰痛の場合で最近よく言われているので、驚きは少なかった。簡単に試せるので、膝痛で困ってるとき取りあえず試すにはいい方法に見える。

②先週の、コスミックフロントNEXT

マルチバース(多重宇宙)・・・・宇宙は無数にある。

マルチバースはユニバース(一つの宇宙)の対語。

どういうことかというと、宇宙は我々のこに宇宙だけではなく無数に存在するというにわかに信じがたい荒唐無稽のような学説。しかし、単なるお話でなく計算の裏づけがあるちゃんとした理論であることがすごい。

それでいくつの宇宙があるかというと、なんと10の500乗個。これは無限個と同義だ。この説がなぜ魅力的かというと、我々の地球、つまり高等生物の進化生存に適した惑星の存在を神様抜きに論じられるからである。

地球は奇跡的に微妙な物理乗数のバランスの上に存在している。これを自然法則で実現させる確率はゼロに等しい。ところが、母集団が10の500乗個もあるのなら話は別で、地球のような惑星の存在できる宇宙が全体のワンオブゼムで存在しても物理的不思議ではない。それで現在この説は宇宙物理学界で大注目されているわけである。ただし、これが現実に起こっていることだというわけでなく、あくまでも仮説の段階。つまり方程式から導き出されたといっても、2次方程式の虚数解みたいに実存と無関係のものかもしれない。さらにいえば、マルチバースが実存することになっても、それを含めたすべてはやんごとなきお方の計画による創造であることを否定することは出来ないのではないか、と私は思っている。

だんだん、脳みそがヒートアップしてきたので、このへんでやめます。

あまりに暑いんで雑念妄想が煮えたぎっています。

ここまで徹底した空梅雨は珍しいんでなかろうか。皆さんのところはどうですか。

●妄想句

・忖度に縁なき衆生空の梅雨

・我は未だ忖度されず空の梅雨

・忖度をされれば哀し空の梅雨

●多少ましな句

・車椅子今朝のお供は黒揚羽

・ジョギングの今朝のお供は夏の蝶

●口直し、蛍近作5句

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●畑の真ん中に忽然と現れたレストラン

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四方八方窓から見える風景

武蔵野の畑の土はどこもこんな色です。肥えている。関東ローム層

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●この花、教えてください。

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国会

TVをつけたらたまたまお辞めになった前事務次官の国会証人質疑の模様が映し出されていた。言った、言わない、文書はない、いや探せばある、の応酬だったが、視聴者はどう受け止められたであろうか。

なぜ今頃、と証人を非難される向きも多いと思われるが、私は恥を忍んで国会にまで出てこられたという行為そのものにその信憑性を感じる。

TVのあとで、改めて文芸春秋7月号に寄稿された前川前次官の記事を読み返してみたが、国会での証言と何らブレがみられない。そのことも、判断の大きな理由である。第一何を好んで、ないものをあると虚偽の証言をするために国会へ出向く必要があるのかさっぱり分からない。

それから、一連の動きに基本的な疑問がある。前川氏の記事によれば、去年の11月9日にすでに国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を認める方針が決定されたとのことである。それなら、その審議、決定の過程を詳細に吟味すれば、その決定が総理お友達論に基づく如何わしいものか否か一遍に分かるのではないか。文書のある、なし水掛け論よりよっぽど実のある質疑になると思うのだが、なぜやらないのだろうか、不思議だ。

マラソン4句(ごいさんブログに刺激を受けて)

・新涼に背中押されて初マラソン

・雲海の彼方にゴールフルマラソン

・照り返し抜けて癒しの夏木立

・ランナーの一歩先行く夏の蝶

●この花をお教えてください。(友人からの質問です。)

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忖度

●ジャムの変化球、青トマトジャム、はてな村に上陸。

・驚きのジャムの香甘し青トマト

●泥沼のごとき世界にも御仏の眼は浄土を見る。

・千年の泥沼浄め蓮開く

●忖度(そんたく)

悪い意味の流行語になりそうだが、本来は日本情緒豊かなとても上品な言葉である。そのことを茶道家元千宗屋氏のコラムで知った。(朝日新聞7月7日朝)記事によれば、茶道の振る舞いは忖度の連続だそうである。「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」これがお茶の極意であり、まさに究極の忖度である、の言葉に眼を開かれる思いがした。

それがなぜおかしなことになってしまったのか。結局ご機嫌取りの迎合に成り下がった結果であろう。とくに、一強への平目のごとき忖度が一番危ない。

森友、加計は正に進行中の弊害だが、それほど遠くない過去にも庶民が大変な被害を蒙った事例が存在することを知ってたまげた。(NHKTV、なんという番組か忘れた。)

脚気という病気をご存知だろうか。ビタミンB1欠乏症でひどいと死んでしまう。今では精米が元凶であることは誰でも知ってるが、日清、日露戦争の頃は誰も知らないなぞの病気だった。

不思議なことに、白米主食(おかずほとんどなし)の陸軍兵士は脚気でばたばた死ぬのに、パンと肉食の海軍ではほとんどゼロだった。このことに気づいた高木兼寛という学者が、陸軍も白米偏重を改めるよう提言したのだが、これに強硬に反対した学者がいた。森林太郎(鴎外)である。

彼は当時のエリート中のエリートで。陸軍医学部に鉄塔の如く君臨していた。根っからの愛国者である森は、白米だけ食していれば栄養は足りるという強固な信念を変えなかった。その結果どうなったか。日清、日露戦争の陸軍では、戦闘による死者を上回る脚気患者と死者を出してしまった。それでも尚森は方針を変えることはなかった。さすがに犠牲兵士の家族から抗議の声が上がったとのことである。

ここで不思議な疑問が起こる。当時の国家機関にもきわめて優秀な各分野の官僚がいただろうに、だれひとり、食事内容の変更の試行を進言しなかったのか、ということである。今となっては実態はわからない。一つ明らかなことは森という人は、ものすごく弁の立つ人で、論争すると相手が立ち直れないほどのダメージを与えるのが常であったことである。TVのコメンテーターも論じていたが、結局保身のために親分の機嫌を損じないように、お説ご尤も、つまりイエスマンに徹していた結果であろうことが推測される。これを忖度というかどうかは別にして、平目で黙すことがときに国家、庶民に対して甚大な被害をもたらすということを肝に銘じていなければならない。

ちなみに陸軍の食事変更は、森林太郎氏の死去でようやく実現した。

学校の歴史でもう少し近代現代史に重点を置いた教育をしてくれていたら、こういうことも習っていたかもしれない。少なくとも私は今回TVで初めて知った。

●この花の名教えてくだされ

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