昭和ノスタルジー・・ほうろう看板

間もなく平成が終わる。次の世代になると昭和はどのようにイメージされるのだろうか。われわれ昭和世代が明治は遠くなりにけりと思うのと同じようにノスタルジーの対象にすぎなくなるのかもしれない。明治、大正、昭和、平成と並べてみると、戦争と平和の交互の世代だったといえる。平成の次の世代にこの法則が当てはまらないようにしたいものである。

さて、これを見れば一気にレトロな昭和ノスタルジーモードに浸れるもの、読者の皆様はそれぞれにお持ちと思うが、私はこれである。ほうろう(琺瑯)看板。明治後期に導入され、昭和中期に徐々に姿を消した広告看板である。田舎や過疎の町のレトロ感が一気に増幅される。現在はその希少価値ゆえにお宝取引の対象にもなっている。収集家も結構な数おられることだろう。昨日、それを纏めて出版された本を見つけた。2000点以上の収集看板を食品、日用品などの種類別に分類してある。その一部を紹介します。「日本ほーろー看板大図鑑」

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ネットにも無数のコレクションが画像として提供されている。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E7%90%BA%E7%91%AF%E7%9C%8B%E6%9D%BF%E3%81%A8%E3%81%AF&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=2&oq=%E7%90%BA%E7%91%AF%E7%9C%8B%E6%9D%BF&at=s&ai=nCsvfYrVQ1W8KEZHeTs4oA&ts=26473&fr=top_ga1_sa

あの頃あんな名のものが世に出回っていたな、と懐かしい気分が湧いてこないでしょうか。これらを見て思ったのですが、やっぱり看板だけよりも、それが掲げられている町とのセットで見たほうが懐かしさの感慨は数段上だと思いました。

もうすぐクリスマス

クリスマス前の1ヶ月、待降節といってキリスト教会では重要な時期です。キリストの降誕を待ち望む期間。クリスマスは一瞬ですが待降節は長い。

上とは全く関係ないが、RECOCAは有言実行の士であることを実証するためにユーチューブ次作品2点を公開します。はてな村の皆さんへの少し早いクリスマスプレゼントとして受け取ってもらえると嬉しいのですが。

1.アメージンググレース

https://www.youtube.com/watch?v=Mt1PLoKqrVA

2.聖夜(きよしこの夜)

https://www.youtube.com/watch?v=rx0GkFcVD-k

いずれも、歌:K.E(=娘)、オカリナ:RECOCA

3.おまけ

https://www.youtube.com/watch?v=heOY0B11k3c

・ジャズの人ロックの人にもクリスマス

・侘び住まい何とはなしにサンタ待つ

                  recoca

季節はずれの豚汁会

庭先に老若男女が集まっている。忘年会?、クリスマス会? いや、違うんです、季節はずれの収穫感謝祭。世に言う芋煮会もどきの豚汁会です。昨夜は雪がちらつきそうな寒空でしたが、今日は打って変わって快晴のイベント日和で大変結構でした。主催のかみさんは普段晴れ女を自認するだけあって、こういう日和を呼び寄せるのは得意中の得意みたいである。

そして私は何をしたかというと、ちょっとばかり鍋の火加減をみて大急ぎで食べて、一ヶ月ぶりに卓球に行ってくたびれ果てて夕方まで昼寝をしていました。今目覚めたところ。

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さて博士、花クイズです。まとな写真だとすぐばれてしまうので、枯れる寸前のボケ写真でご機嫌を伺います。どうでしょう。

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ついでにクイズ。

この写真はなんでしょう?

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芋煮会もどきの鍋を囲みけり

 

前向き?実は・・

ごいさんと先月横浜でお会いしました。そしてその時の印象をブログに書いてくださいました。それによると私はずいぶんと前向きに生きていると仰って下さいました。なるほど、確かにそんな風に見えるる面があるかもしれません。

というのは、最近は何かをやろうと思うとそれをなるべく口外するようにしているからです。そうすると負けず嫌いの良くない性格があるので引っ込みがつかなくなり大抵うまくいきます。それが前向きに見えるといえば見える。そのためにブログはとてもいい媒体ですね。できなくてほっておいても、あれどうなったと突っ込まれることもなく、黙って頭を掻いていればすみますから。あ、でも最近ここでお約束したことは覚えていますよ。二羽め三羽めの白いからすも、ユーチューブの次作品も近日中登場予定間違いございません。

ごいさんはお酒をたしなまれる方なので、本来なら居酒屋さんで熱燗傾けながらお話しできれば良かったのですが、私がアルコール天敵なのでファミレスで我慢していただきました。一番印象に残ったお話は、ごいさん先生の生徒さんへの温かい思い入れのあるの接し方ですね。とくに生徒を叱るときに一番気を使う、場合によっては叱る予定の前の日からその筋書を熟考するというお話には痛く感銘を受けました。そしてクラス経営の重要性とその極意。私が学生、修士課程のとき金欠で高校で非常勤の先生アルバイトをしたことがあるのですが、今思い出すと全く汗顔のいたりです。着任その日からクラス崩壊。結局学生の新米となめられたのでしょうね。クラス経営という概念もなにも知らないのですからどうしようもないです。ごいさんの話を伺って、当時の生徒には本当に申し訳ないことだったと思いました。

さて、12月も1週間が過ぎ、クリスチャン家庭はクリスマスの飾りつけモードです。今日娘の家ではすでに着々と進行していました。

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東久留米駅

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・今日の句

・幸せをブレンドしてる冬の夜

・孫も居て四方の話や猫炬燵

・話し手は専らに妻猫炬燵

・猫膝にテレビに愚痴る寒夜かな

         recoca

 

師走

とりあえず師走。理想は、のんびりとこの猫のように。

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オカリナは明日から前半の繁忙期に入ります。

明日は、特養、あさっては喫茶店、その次の次の日は教会。いずれもクリスマスバージョンで、明日とあさっては赤いとんがり帽子をかぶります。教会バージョンでは歌い手として娘を連れて行って、アメージンググレースと聖夜をオカリナとコラボでやります。一昨日試してみたらわりといい感じだったので、次作のユーチューブ候補にできるかなと思いました。

●私が冬の花を見て分かるのは山茶花(さざんか)。さざんかといえばさざんかの宿ですが、童謡にも出てくるのがあったような記憶ですがどうでしょうか。「たき火」だったかな?そこでそのまんまの句。

山茶花や昔童謡いま演歌

さざんかの宿は私の数少ないカラオケレパートリーですが、まずいことにこれしか歌わない仲間がいるので、同席する時は私が封印します。

・一芸はさざんかの宿老人会

最後にもう少しましな句。

山茶花の紅控えめにカフェの窓

山茶花のこぼれし夕べ逝きにけり

 

白いカラスその1

つい先日のブログ記事で、私はいわゆる「霊魂説」に立脚する立場であり、これは自分の中には信仰ではなく知識として定着しているものだと書きました。そして、いずれその根拠を示すと書きました。今回はその一端を示すものです。

さて、「全てのカラスは黒い」という命題があったとします。これを否定するにはどうすればよいでしょうか。白い烏が一匹存在することを示せば、この命題は偽となりますよね。同様に、「霊魂説は全て嘘である」の命題を崩すには?真である例を一つ示せば十分であり、即ちそれが白いカラスに相当します。

私は、霊魂説における白いカラスを3羽見つけていると思っています。但し自分にはその方面の能力は何もないので全て文献上での発見ですが・・。今回はその一羽目です。

2008年に著名な脳医師自身に起きた臨死体験です。この医師はバリバリの唯物主義者で、臨死体験など脳内物質分泌による幻想のたわごとに過ぎないという科学界多数意見の急先鋒でした。しかし、自身の臨死体験後ころっと変わってしまった。臨死体験をする霊魂の存在を認めたばかりか、死後世界の存在まで確信してしまった。いったい彼に何が起きたのか。一言で言えば次の二つです。①臨死体験をしている間の脳波は完全にフラットだった。この状態で脳が臨死体験を意識することは医学上不可能。これは脳学者としての自身が最も熟知していること。②臨死体験中知らない女性と親しく会話した。あとでこの人は既に他界した親族だった。

それではさらに詳しく解説してある記事を引用させていただきます。

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「アレクサンダー医師は長年、医師として働く中で、いったん心臓停止を起こした患者から、「見たこともない美しい場所へ行ってきた」とか「亡くなった親族と会話をした」など、さまざまな不思議な体験を聞かされてきました。しかし、そうした臨死体験や死後の世界について、彼は幻想だと決めつけ、まったく信じてきませんでした。アレグザンダー医師は、著書の中で「私は親切だが疑り深い、骨の髄まで医師の典型というべき人間だった」と自らを振り返っています。科学で証明できるものは受け入れるが、そうでないものは信じないという典型的な唯物主義の医師だった彼が、2008年11月に突然、重度の細菌性髄膜炎を発症し、7日間の昏睡状態に陥りました。そしてその間、彼自身が、これまで決して信じることがなかった「臨死体験」をしたのです。

細菌性髄膜炎とは、脳や髄膜に細菌が感染し、脳が破壊されていくという恐ろしい病気です。成人では1000万人に1人というきわめて稀な病気で、致死率は90%にも達します。昏睡状態が1週間を超えた場合は、回復の見込みがないとされ治療が打ち切られますが、アレグザンダー医師は7日目に奇跡的に覚醒し、まったく後遺症もなく回復しました。これは世界でも初めてのケースです。

これまでの通説「脳内発生説」を否定した画期的な見解

彼は退院後、入院中のスキャン画像や臨床検査や神経学的検査の所見など、すべてのデータを詳細に調べました。すると、昏睡状態にあった7日間、彼の脳機能は完全に停止していたことが判明しました。専門家たちは臨死体験を「死の直前に大量に分泌されるエンドルフィンの働きによる幻覚である」とか「睡眠時に見る夢と同じようなもの」などと考え、脳内現象として説明しようとします。

しかしアレグザンダー医師は、徹底した検証の結果、「自分が体験したのは、理論上ほぼ完璧なかたちでの臨死体験であり、おそらく類例の中でも最も説得力を持つものである」とし、「それ(臨死体験)を幻想だと片づけることが、医学的観点から見て絶対的に不可能である」と結論づけました。脳神経学の専門家である彼が、これまでの科学的な解釈を全面的に否定することになったのです。

さらに、彼に「死後の世界」を確信するに至らせたもう一つの出来事がありました。多くの臨死体験者は、死の淵で親族や友人に出会ったと語っています。しかし彼は、そうした身近な人ではなく見知らぬ女性と出会い、彼女の言葉によって心から慰められたことが最後まで心にひっかかっていました。退院して4か月後、その女性がすでに他界している実の妹であることを知ったのです。彼は、生まれてすぐに現在の父親に引き取られ、実の妹とは一度も会ったことがありませんでした。自分の記憶に存在しない死者と出会うことができる世界――それは「死後の世界」しかないとアレグザンダー医師は確信したのです。

従来の臨死研究が体験談を集め、それらに医学的解釈を加えるという程度のものであったのに対して、彼の臨死体験についての検証は、画期的なものと言えます。脳神経外科医ならではの科学的観点による分析と、脳科学分野の最新研究の知識から導かれた結論は、これまでの「脳内発生説」を完全に打ち砕くことになりました。アレグザンダー医師は、「臨死体験は、脳の物理的な働きから切り離された体験である」という新たな見解をもたらしたのです。さらに彼は、強烈な説得力を持った死者(実の妹)との出会いによって、死後の世界があること、人間は死んでも生き続けることを確信し、それを堂々と公言したのです。」

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さて、今回の記事が皆様にとっても貴重な「白いカラス」となることを心より祈念して筆をおきます。

今日の句

・小春日や両手に包む赤子の手

・冬めくや心にかかる花ひとつ

        recoca

人類の地球脱出プロジェクト

今日明日の衣食住は仮に満たされているとして、皆様は未来の何を心配し悩んでおられますか。空が落ちてくることを心配していたら、実際にはどぶに落ちたという逸話にあるように、杞憂ばかりしていてもばかばかしい話です。しかし、何時起こってもおかしくないと言われる地震、火山の大噴火、超異常気象・・。これらは近未来にほぼ百%の確率で起こるといわれているので真剣に心配して対策を考えるべきです。

では、人類の地球脱出についてはどうでしょう。そんな必要性が、見通せる未来に生ずるものでしょうか。私はまだまだ千年、万年のオーダーの話と思っていましたが、そうでもないかもしれません。

あのコンピューターの声でお馴染みのホーキング博士の強い警告となると、単なる御伽噺として座視するわけにはいかないでしょう。実際にホーキング博士の警告に従って必要な直接間接的技術が着々と今研究開発途上にあり、百年以内にその先人が冒険に出発するといわれているそうです。

これを聞いて読者皆様はどうお感じになるでしょうか。(NHKTVコスミックフロントネクスト)

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ホーキング博士の言葉に耳を傾けてみましょう。

「私は人類が地球を去って別の惑星に住家を構える必要があると確信している。このままでは人類は絶滅の恐れがある。彗星や小惑星が地球に衝突するかもしれない。新種のウイルス、気候変動や核戦争、人工知能の凶暴化の可能性も強い。私たちは好奇心と知性を駆使して多の星を目指さなければならない。今後100年以内に我々は最大の冒険に出発することのなるだろう。」

地球以外の星を太陽系で探すとなる火星ということになります。火星は水も少しあり薄い大気もあって、かなりいい線行くのですが、最後にクリアできない暗礁として残るのが必要十分な酸素の供給方法だそうです。それで結局太陽系外惑星に目を向けざるをえません。これは途方もない観測になりますが、偶然にも去年その有力な移住先候補が見つかったとのことです。それも、我々からわずか4.2光年しか離れていないお隣の星です。その太陽に相当する恒星の名は「プロキシマケンタウリ」、その周りを周回する移住先の惑星の名は「プロキシマb」。具体的な星のひとつが見つかったということで、移住プロジェクトはさらに加速することでしょう。但し、仮に環境がすべて整ったとしても、問題は移動にかかる時間です。現在の普通のロケット技術だとなんと10万年。これでは御伽噺に逆戻りかと思いきや、ホーキング博士はそれでも世代をかけて実施すべきであると。ロケット内のみで一生を終える世代がそれこそ無限にでてくる。そんなことが許されるものなのか私には分かりません。

それから、私には別の疑問というか恐れがあります。それは、移住先の星の人類が残った地球人と友好関係を永続してくれるのかどうかということです。地球に於ける人類の過去の所業を紐解くまでもなく、人類というものは争い、戦争を好む生物であることは疑う余地はありません。だとするなら、このプロジェクトの行き着く先は地球で行っている戦争を宇宙規模に広めることになるのではないか。もっとも、その前に地球人類が絶滅していればその心配はありませんが。

そう考えると、人間はそうまでして生き長らえる価値のある生物なのかということです。地球で絶滅するのならそれに任せればいいのではないか私は思っています。

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口笛のスキップ行くや秋の空

静かさや時刻むごと鹿おどし

庭の片隅

・さざんか

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ラズベリーの残骸

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・畑に実るみかん

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