合唱団白樺公演

恒例の合唱団白樺公演に足を運んだ。(3月20日)

新宿文化センター大ホール1800人の会場が満席になるので、無料招待券の客はかなり時間の余裕を見て入場しなければならないが、今回もやっぱり3階最後部。でもゆったりと鑑賞できてよかった。

 

今回は開演早々からコサックダンスで度肝を抜く趣向で、お客を楽しませる演出満載。15年くらい聞き続けているが、ひところに比べて格段に4声のバランスが良くなりパワフルになったのを感じる。心境著しいのがバス。ソリスト級も増え、本場のロシア合唱特有の重厚な響きになってきた。

チケットをくれるテノールの友人は70過ぎだが声量といい声の色艶といい、いまだ合唱団を代表する存在。流行歌手で懐メロに出る歌手の多くが声の衰えで聞くに堪えないのと大違いだ。天性の声帯なのか、特別の訓練法でもあるのか聞いてみたい。

 

この合唱団は非常にメッセージ性に富んだ活動が特徴。6年前の震災後は、仙台を拠点に被災地激励公演を精力的にこなしている。福島原発事故チェルノブイリ原発事故を教訓とする「原発の無い世界を願う」のメッセージを底流に秘めたコンサートであった。

それでいて音楽の質は抜群にプロ級であることがすごい。現役社会生活と合唱をどうやって両立させているのかにはいつも驚かされる。

 

今回も日本でほとんど知られていない、ショスタコビッチ編曲という珍しいロシア民謡日本初演10曲は非常に意欲的で印象深かった。しかも全曲合唱団自らの訳詩(露語⇒日本語)。2時間半の公演全て暗譜で通す精力ぶりはすごかった。関東在住の方は、1泊してでも聞きに来られて損の無い合唱団であることを保障する。

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3階の最後部から。このあと瞬く間に満席。

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とても珍しい民族楽器バラライカバラライカ合奏団との共演もあった。

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話が突然変わるが、新宿文化センターと地下鉄東新宿駅間のおしゃれなレストラン街に名古屋飯の店があってびっくりした。ので帰りに味噌うどん定食で身も心も満腹。

・コンサート終えて朧の月仰ぐ

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ウラジオストックツアーが意外と人気です。

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豊洲

地下水からベンゼンは基準値の100倍、シアン、ヒ素も出現。地下水を飲むわけでないから安全だそうである。そのくらいのことは、わざわざ「科学的に安全」などと勿体ぶらなくても猿でも分かる。

でもね、食事というのは理性でするものではないんですよ。毒の上に卓袱台置いて食べるごはん、どのくらい美味しく頂けるものなんでしょうか。
第一、地下水はどうなっていても地上に影響ないなら、なんで測定するの?
築地がそんなに危ないなら、築地も測定して豊洲と比べないと「科学的」比較がされたことにならないと、なんちゃって科学者もどきは考えるのですが、どんなもんでしょうか。
もっと不思議なのは、移転派がいうようにコンクリートで蓋をしてしてしまえば問題ないというなら、毒入り表土を除去する必要などそもそもないのでは? 専門家集団も本当は内心不安なんでしょう。なにしろ、「想定外」という強敵がいますから。

なんか、原発と似てきたな~。放射性廃棄物、地下に埋めてしまえばいい?地殻変動という想定外は起こっても自分たちの死んだ後だから知ったことじゃない?豊洲のコンクリートがひび割れする「想定外」も未来に丸投げですか。
第3の候補地を探すことしか「安心」はないと思うのですが、おじいさんの杞憂でしょうか。

新聞に昨日面白い川柳が載っていた。

「線量」も「豊洲」も直ちに影響ない

福島原発事故の直後、当時の民主党官房長官が呪文のごとく唱えていた言葉覚えてますか。「健康には直ちに影響ありません。」これには、長期的には、知らないけどね、という意味が言外にある。これを俳句の余白を読む、といいます。俳句をやると疑り深くなるようです。ヒ素だって少量じわじわ食べれば原因不明で死んでしまうのだから、長期的にはどうだか知れたものではない、という川柳でした。

気分転換の俳句

・春雨の相合傘の夜景かな

・震災の万の墓標や花ミモザ

・天保の墓標にやさし春の風

花クイズです。霊園にありました。

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想定内・外

今日は久しぶりに風もなく春です。春めく、暖か、麗か・・のような、眠気を催すような陽気を久しぶりに感じました。

 

眠気を追っ払って、朝刊を見ると「津波予見可能と認定、国・東電に賠償命令」

当たり前の結論を出すのに6年の慎重審議とは恐れ入りますが、常識的判断でしょう。

古文書や地質を見れば大地震の痕跡が分かるし、計算で津波の規模がある程度予測できるから、備えを怠ったといわれるのは仕方ないと思われます。

仮にこれをクリアしていて、6年前の津波ではセーフだったとしても、ほかに「想定外」のことは山ほどあるはずです。だから、想定外なのですから。一旦。そういうものの洗礼を受ければどうなるかを福島原発は教えてくれているのですから、なぜ教訓にしないで平気で再稼動なのでしょうね。

 

ところで我が家のささやかなる想定外といえば、かみさんの血圧が160よりかなり上と一般常識から見ると高いということが突然分かったこと。数年前まで、むしろ低いということになっていたのに70過ぎたら突然高血圧??しかしこういうことはよくあるようだ。

 

あわててヤマダデンキで格安血圧計を買ってきて計りはじめた。そのことで主治医のところへ行ったら、血圧計なんか買ったんですか、と憮然たる表情で、過去の検診記録を仔細に調べ、「あなたのような人は心臓疾患、血管の病気、がんでは死にません。」と言われて意気揚々と引き上げてきた。

 

どういうことだろうと、ネットで「良心的」な専門家の見解を調べたら、どうもこういうことらしいですね。一般に、健康人の血圧には非常に大きな個人差がある。日本で何万人という健康人の血圧の頻度分布を調査した研究があるそうですが、130~180の間きれい正規分布をしている。つまり、130でも180でもその人は健康であるわけです。その正規分布の平均値(中央値)が150だった。

 

なので、数年前高血圧学会だったかが、正常血圧が150以下と発表しました。ところが、検診ではなぜか相変わらず140を境界線としている。これを越えれば、機械的にお薬・・。製薬会社とつるんでいるのでは、と疑われても仕方が無いです。

 

さらにいえば、中央値150も全く意味がありません。130でも180でも健康な人は健康なのですから、150で切る意味が全く無い。さらにいえば、無理無理薬で降圧して寿命が延びたという研究結果は無いそうです。逆はある。

なぜかというと、血圧を下げて血流を悪くするとそのためのデメリットが生ずる。典型的なのが、認知症、ガン。心臓が最適と判断して送り出しているのがその人の血圧であるということをよくよく認識すべきだ、ということのようですよ。

むしろ考えるべきは、むりむり降圧するんじゃなくて、血管の老化対策、若返り法でしょうね。これは大いに意味がある。

次のYOU TUBEでじっくりお聞き下さい。

・さえずりや懐手して縁の先

https://www.youtube.com/watch?v=SM6oo1msuxE

https://www.youtube.com/watch?v=krNjtuVBm40

花クイズです。スーパーの植え込みにありました。

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俳句(8)季語

俳句には季語が必要です。
何故かというと、俳句は俳諧の発句が独立したものだからです。

俳諧は何人かの人が一座に集まって順繰りに句を詠んでいく文芸です。発句はその幕開き、いわば乾杯の音頭に相当するもので、それを任されるのが一座の長老、主客です。ですから一座への時候のご挨拶がどうしても必要になるわけです。しかもその季節、座敷、庭、の風景を当意即妙に詠みこむことが要求されました。それが現代の俳句に継承されていますから、正に今の時候にあった季語(当季という)でないと読者の方が白けてしまうというわけです。(私は別にそんなことないですけど、一般的にはそうだそうです。)

ですから自分の好みの季語ばかりにこだわっていてはいけない。私は今までその傾向があったのですが、ユーキャン講座で厳しく戒められています。

今テキスト2巻目に入りました。今後は作成日時付きで課題提出が義務づけられているので、当季に合わないと「不可」の評価になりそうです。

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季語は単なる時候のご挨拶という意味以上に、季語の持っている意味を通して作者と読者が感動を共有するという重要な役目があります。(これを季語の本意という。季語の持っている美的イメージのこと。)

ですから、常に歳時記で本意を確認して使わなければなりません。
さて、季語には3種類あるということを今回の講座で初めて知りました。この分類は江戸、芭蕉の時代に認識されていたそうです。
平安時代の和歌以来の季語⇒縦題季語
和歌、連歌俳諧へと時代を貫いて受け継がれてきた伝統的な季語のこと。だから、縦型と呼ぶ。
例。花、鶯、紅葉、月、雪、春雨、春風・・・・
②江戸時代、俳諧の発句に取り入れられた俗言(=日常語)⇒横題季語
俳人の横のつながりで共有されているという意味で横題という。)
例。大根引き、寒菊、山茶花、相撲・・・
③明治の正岡子規以降に取り入れられた季語⇒新季語
ここで注意すべきことは縦型季語の本意。伝統ある季語なので厳密な本意がある。例えば「春雨」=春に、しとしとと降る雨、「春風」=春にそよそよと吹く風
現在、大歳時記によれば季語は2万3千ある。

江戸の時期には、縦型季語は600個、横題季語はわずか1000語ですから明治以降の新季語は膨大な数です。

・宙返り空どこまでも春の色

花クイズです。

路傍に咲いていました。

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レジリエンス

朝日新聞付録の雑誌「スタイルアサヒ」に「レジリエンス」という題名の連載が載っている。レジリエンスとは、要するに逆境に対する身体や心の抵抗力、回復力のことで、米国では知識や能力よりはるかに重要視されているようである。

政治家や経営者が謝罪会見で感情をあらわにすることなどは、レジリエンス欠如とみなされる。

同雑誌3月号(帝京大学医学部・新見正則氏)から

レジリエンスはちょっとした挑戦の連続で鍛えられます。日々の鍛錬がレジリエンスの向上につながるのです。」

体のレジリエンスは、例えば散歩、体操、ランニングなどの運動習慣、知能は数独などクイズ、俳句を最低一日一句など、メンタル的には逆境に耐える精神作り(後述)で向上する。

「逆境に強い身体や心は一朝一夕には作れません。心の病、感染症熱中症、冷え症、空腹、がんなどレジリエンス的思考でいくと合点が行きます。

平穏無事が未来永劫続くのであれば、レジリエンスを鍛える必要はありません。しかし、多くの場合必ず逆境は訪れます。それを、たいした障害と思わずに乗り越えられるか、とんでもない障害と感じるかかは、日頃からちょっとした挑戦をしているかどうかにかかっています。以下略」

メンタルトレーニング(大阪体育大学土屋裕睦氏)

家族、職場の人間関係の悩み、試験や習い事の発表会、披露宴スピーチでのプレッシャー、スポーツ選手の緊張など、の克服を目的とするメンタルトレーニングはレジリエンスの向上に大いに役立つものと思う。

「Ⅰ.リラクゼーション

まずは、緊張や「あがり」など自律神経によって支配される心を自分自身でコントロールできるように訓練する。

①漸進的弛緩法

意識して筋肉に力を入れた後緩めるという動作を繰り返す。

両肩上げ⇒ストンと落とす。目をぎゅっと瞑って真ん中に寄せ弛緩。手をぎゅっと握って緩める。

②深呼吸

1,2,3で吸う。息を止める。4~10で吐く。

自律訓練法

目を閉じて膝に両手を置き、膝の熱を感じる。心が落ち着いてゆく感じを味わう。そのままⅡへ移行する。

Ⅱ.イメージトレーニング

本番の様子を繰り返しイメージする。自分が行っているイメージ(内的イメージ)は実力をつけるのに役立つ。自分が行ってるのを観客の視点で見ているイメージ(外的イメージ)は実力発揮の効果がある。」

試してみてください。

・庭越しに讃美歌聞くや沈丁花

・水汲んで山路の春を疑わず

 

 

いつも行くショッピングモールのペットショップを何カ月ぶりかで覗いてみました。なんと、子猫の売値64万と52万!!!数か月前に、40万の値札を見てたまげたたまげたと騒いだばかりなのに。

こんな小話を思い出しました。

亭主「俺と犬と一緒にはできないだろう。」

女房「そりゃできやしないさ。」

亭主「そうだろう。」

女房「犬は高く売れるもの。~」

かみさんに、私と猫とどっちが大事?と聞かれたら返答は熟慮を要する。

「もちろんおまえだ。」などと手拍子で答えようものなら65万円のネックレスをねだられる羽目になるかもしれないし、猫と答えようものなら今夜から野良猫になる。

花クイズです。かみさんが買ってきた鉢植えですが、私は名前を知りませんのでよろしくご教示くだされ。

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・もう春はそこまで空と野の光

・早春のせせらぎ響く散歩道

3.11・・・

3.11に黙祷を捧げる。

さらに、次の新聞投稿をシェアしたい。

朝日新聞3月11日「声」 49歳男性

「次の原発事故が不安でならない

ー略ー、忘れてならないのは、福島の事故は「想定外」の自然災害が引き金になり、人間による制御が出来なくなったことである。

日本は災害大国である原子力規制委員会がどんなに規制を厳しくしても、原発事故が飽きない保証はない。ひとたび原発事故が起きれば、制御が非常に困難になるという潜在的リスクを常に抱えているのだ。はたして、次の大災害で本当に原発事故は起きないのか。

ー中略ー次の原発事故へのカウントダウンが始まっているような気がして不安でならない。」

この投稿で指摘されている通り、原発事故は想定外であり、制御不能であるということである。そして起こってしまうとその地域は半永久的に居住者不在の不毛地帯になる。いくら国が帰宅解除の号令を掛けても、人はその危うさを見抜き従う人は少ない。

3.11クラスの大災害は過去の日本人は何度も経験してきた。そして、何事もなかったかのごとく復興して現在の文化文明を築いている。だから今後起こる大災害に際しても、一時的な人的物的損害は莫大だろうが、必ず復興する。

問題は付随する原発事故だ。勿論、平常時でもチェルノブイリの如く大事故は起こりうる。これらが、事故当事者の目の黒いうちにうまく事後処理されて現状復帰したケースはないではないか。ということは将来の大事故の時もアウトであろう。

機械には必ず故障、事故が起こる。一般に、生起しうる事故の「想定」はあくまでも経済的合理性を失しない範囲のものだから、想定外の事象はちょっとした大事故なら簡単に起こると思っていたほうが間違い無い。

・やはらかき風の野に伏す弥生かな

・いち早く光届きし蕗のとう

・行く道や朧の風に吹かれおり(合作with志月様)