卯の花腐し(うのはなくたし)

今日で三日間雨が続いています。RECOCAは雨を好むと書きましたが程度問題。旧暦4月(現在の5月)を卯月あるいは卯の花月といいます。この頃に降り続く雨は、卯の花を腐らせるということで、卯の花腐し(うのはなくたし)といって俳句の季語です。この長雨にピッタリ。

連想するのは相変わらずの国会。個人的には左肩の痛み。整骨院に行ったら、動きの様子を見ていわゆる四十肩ではないとのご託宣。四十肩だとほとんど上にあげられないのだそうです。背中と肩回り、左胸のマッサージをゴールデンウイークの間5回行って、少し改善しましたが、今日急激に気温が下がったら元に戻った感じがします。急には治りませんね。はじめてお灸というものにも挑戦してみましたが、やってるときは温泉に入ってるみたいで気持ちがいいのですが、柔肌のせいで跡がしっかり残ってしまうのでノーサンキューということにしました。

国会の今だ卯の花腐しかな

・肩痛め無聊の卯の花腐しかな

米朝会談が近いと、マスコミが華やいでいるようですが、これって北朝鮮にうまくしてやられただけの話ですよね。

とにかく核保有国になって、時機を見て核を手放せば相応の見返りをとれる、という思惑が実現するというだけのこと。拉致被害者を人質にとって後で開放すれば見返りがえられる。

憂鬱な気分を転換するいい歌はないかと探していたら、「風」というのがありました。50年くらい前のでしょうか。端田宜彦作曲。オカリナの伴奏CDがあったので週末に完成させてユーチューブ公開します。

フランス俳人の眼

今朝は低湿度、無風、気温そこそこ絶好の五月晴れ。こういう日はめづらしくなりました。

うちの近所にある水生公園。すいれんがきれいです。

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さて、今朝の朝日新聞の記事「弾圧の歴史を忘れるな、表現は自由か」をシェアしたいと思います。ご存知のかた多いかと思いますが、戦中の弾圧時代多くの俳人も被害を被りました。自戒の意味でその記念碑が建てられました。建立を呼びかけたのはフランス人俳人マブソン氏。(長野在住)そこに至るきっかけはやはり東日本大震災原発事故が引き金だった。自身の句会で脱原発を題材に句集をつくり、SNS脱原発に関する活動を発信したりするようになった。すると、社会問題を詠むべきでないなど非難の書き込みが相次いだという。それと同時に俳句総合雑誌から月一回程度あった原稿依頼は途絶えたとのこと。「原発問題で感じた思いを素直に詠むと距離を置かれパッシングを受ける、なぜ原発を題材にしてはいけないか。」の疑問から近代俳句の歩みをたどると戦時下の俳句弾圧事件に行き当たるという。

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過去の苦い歴史から、そうならないように俳人、俳句協会が忖度自主規制しているのだとしたら、流れは本末転倒だと思います。花鳥風月にしか関心を示さない俳句は未来への発展性に乏しく、芸術としての存在意義を自ら貶めているとRECOCAは生意気にも思います。自主規制でなく思ったことを伸び伸びと表現することが許される俳句界であってほしいと思います。

今日はゴールデンウィークのせいでちょっと生意気なことを言ってみました。

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「九条俳句」

いわゆる「九条俳句」事件をご存知でしょうか。さいたまのある市民が公民館の俳句サークルで秀作とされた俳句「梅雨空に九条守れの女性デモ」が公民館便りに掲載を拒否されたて裁判になったケースです。掲載拒否の理由⇒①九条守れのフレーズは公民館の見解と誤解されるから。②公正中立であるべき役所の立場上から。これ、いまどうなっていると思います?なんと双方控訴で高裁審理が始まったところなのだそうである。我々庶民の目線では明らかに市側の敗訴とみえるが、なんと地裁は喧嘩両成敗の判決を下したのだそうである。言論の不自由がこういう形で目に見えるようになって来るとは思いもかけなかった。政治の動向には細心の注意をしてもし過ぎることはない、の好例であろう。

ところでRECOCAは郷里のある市の俳句大会に一昨日投稿した。

・梅雨空に国会の鬱極まれり

原句は「梅雨空に国会の嘘極まれり」。しかしこれは同級生の俳句の先生には評判良くなかった。しかし、どうしてもこの手の句の反応を見たかったのであえて投句した。入賞したとき、「嘘」では掲載しずらいだろうと忖度して「鬱」とトーンダウンさせている。もっとも、そんな入賞の心配するような秀句でないことは言われなくても分かっています。

続・法則

せっかくなので「引き寄せの法則」をもっと詳細に書いておきます。以下かっこ書き部分「・・・」は本の文章のままの記述です。

「宇宙を支配する強力な法則である、引き寄せの法則、でも多くの人はこの法則の使い方を知りません。本書はこの法則をうまく使っての望みを実現する方法を教えます。あなたはどんなものも所有できるしどんな人にもなれるしどんなこともできるのです。」

この類のことは疑ったら効果半減です。素直に信じること。だめもとで信じて損することはないですから。

「あなたの思考は思考を引き寄せあなたは関心を向けることで思考を引き寄せる。強力な磁石と思えばよい。豊かな話ばかりをしている人は豊かになり、健康の話をしている人は健康になり、病気の話ばかりしている人は病気になる。貧しい話ばかりしている人は貧乏になる。これが法則だ。それ以外のことは起こりえない。」

「自分が欲するものだけを引き寄せようという強い意志があれば、あなたは選択的に人生の軌道修正をすることができる。はじめのうちはまだ好ましくないものも引き寄せられてくるだろう。それは以前の思考や信念の勢いの名残があるからだ。だが、今日も快適に過ごすぞという気持ちで一日を始め、それが1,2カ月も続けば、好ましくない経験がほとんどなくなるのに気が付くだろう。お勧めは、今日は何が何でも自分が見たいと思うことを探して見るぞという強い意志を持つこと。そうすれば、「法則」によってあなたが引き寄せたいものだけが引き寄せられてくるし、見たいと思うものだけを見ることになるだろう。」

「TVは価値ある情報を沢山送ってくるかもしれないが、それよりもはるかに多くの、あなたが体験したいこととは無関係の情報を送ってくる。多くの人は、ただ座って何も考えずにTVを見る。つまり意図的な行動ではなく惰性なのだ。そのような意図のない、決意のない無防備の状態では、やってくるものの影響に無防備に身をさらしてしまう。自分が何について考えたいかというはっきりした意識を持たずに、自分が欲していない世界の出来事の思考という刺激に爆撃されると自分が選択しなかったものを沢山経験の中に取り込んでしまう。これが惰性によって創造するということだ。はっきりした意図もなしに何かに思考を向け・・それについて考え、したがってそれを引き寄せてしまうのだ。」

これは重要な指摘である。ベストはTVを見ない、捨てる、それができないなら、録画だけを見ることにしましょう。

「新聞雑誌を読んでいてネガティブな感情が湧いたらすぐに読むのをやめたほうが良い。そうしないと引き寄せの法則に従ってますます同じようなことが引き寄せられてくるからだ。あなたがたが、つい何かに引き寄せられるのは、意図をはっきり持たないからだ。自分が何を欲するかを度々明言すれば、道がしっかり敷かれるので、例えばTVや雑誌新聞に不意打ちを食らうことはないだろう。」

新聞もはじめから詳読するのでなくざっと見出しを見ることで読むべき記事を取捨選択したらよい。不快になる記事は読まないことだ。如何でしょう、試しに半分でも実行してみてはどうでしょうか。

法則

 いわゆるゴールデンウイーク、はてなの皆さんはいかがお過ごしでしょうか。RECOCAは行楽にはいきません。ふだん忙しく働いておられる方々のせっかくのご行楽のお邪魔をしたくないからです。というのは表向きの理由。本当は先立つものと遊ぶ体力が乏しいからです。両方とも考えれば考えるほど深刻だ・・、と暗い顔して金のかからない図書館に行ったら、一番目に付くところに置いてあった本。「引き寄せの法則」。まえからよく承知している内容の本だが、もう一回読んでよく反省しろといわれている気がしてしっかり再読してみた。要するに「類は類を呼ぶ」ということです。これが宇宙の法則である。三次元の物理的世界にあまねく普遍している根本法則といえば?万有引力の法則。あれと同じです。万有引力は物質を引き寄せる法則であるのに対して、「引き寄せの法則」は「思考」に働く法則。似た思考の人(波動の同じ人ともいう)は引き合うということです。人を知りたければ、その人の友人群を見よとも言われていますよね。それだけでなくこの法則の肝は、「思考」が全てを引き付ける、ということです。平たく言えば「思っていれば、思った通り」になってしまうということ。物理的3次元の世界(つまりこの世)では、物理的摩擦力が強力ですから、実現にはよほど強力な思い(=思考)が必要だし、実現にもタイムラグがある。ちなみに「あの世」では抵抗する摩擦力が何もないので思考が瞬時に実現すると言われています。ということはですよ。死ぬまでに、実現しては困るような下らない思考にとりつかれぬように訓練をしておかなければならないと言えるのではないでしょうか。それはさておき、この世の問題に絞ると、少なくともマイナス思考は排除せよというのが教訓になります。たとえば、病気のことばかり話していると病気を引き寄せてしまう。貧乏だ貧乏だと思ったり語っているとその通りになる。恐れ、不安は強烈な感情を伴うマイナス思考になります。明日ミサイルや隕石が頭上に降ってくるのでは、乗ってる飛行機が落ちるのでは、癌にかかったのではという心配等々。だからRECOCAはなるべく健診に近づかないようにしています。それらと逆の前向きの思考をしたいですね。それも自分だけ幸福になればいいや、というのはだめです。そういう自己中の願望には我々の潜在意識がブレーキを掛けます。理想は利他主義の願望ですね。それにどれだけ近いかによって、その願望実現の程度が掛かっています。

・長梅雨の国会の鬱極まりぬ

首相のお友達や側近、波動が合う類なのですね。

また週末

光陰矢の如し、月日のたつのは早いですね、また週末がやってきました。今回は特別な週末、いわゆるゴールデンウイークというやつです。あるクリニックなどは26日(木)から休んでいるところがある。11連休!毎日がゴールデンウイークの種族にとっては、TVの渋滞情報を楽しく眺めるのが日課になってうん十年といったところですが。

さて、最近のRECOCAにとっての週末は、オカリナをユーチューブにアップする時という日課が刷り込まれつつあります。おかげさまで動画の作成からユーチューブアップまでの手順、半分眠っていても手が勝手に動くようになりました。今日もアップしましたよ。今回はふるさとと竹田の子守唄。とりあえずご視聴ください。

ふるさと

 https://youtu.be/Cc-CLM8j-_4

竹田の子守唄

https://youtu.be/SpwVIDxnBO8

ふるさとはボランティア先どこでも最も人気のある曲で、この歌を歌って閉めるのが流れになっています。

竹田の子守唄、これも数ある子守唄の定番ですね。フォークグループ赤い鳥の大ヒット曲です。今でもユーチューブで聞けると思いますが、さすが最も心にしみる演奏解釈だと思います。この歌詞の中に同和関係の不都合な言葉があるということを誰かが言いだして、一時世の中から消えた時期があったようです。しかし名曲は名曲です。

●もう一つのこの時期のRECOCAの日課は俳句の句会への投稿です。春と秋の2回。春の締め切りは5月12日。投稿先は郷里愛知県のさる俳句大会です。ここ一週間くらいああでもないこうでもないと頭から離れないので、すっきりするために今朝投稿してしまいました。これで秋まで安眠できる。投稿した拙句。

・国会の病ほとほと梅雨籠り

・春愁や汝も吾も白マスク

・みちのくにお国訛りと聞く初音

なお初音とはうぐいすの鳴き始め(ホーホケキョにほど 遠い下手な鳴き声)

●話は変わりますが「ふるさと」歌詞の出だしの「うさぎ追いし」について。今でも「うさぎ美味し」と勘違いしてる人はもういないでしょうね。ちなみに、日本語変換の第一候補は「美味し」でしたが。

この「追いし」と「美味し」、俳句の上では雲泥の違いがあります。文法上前者は動詞、後者は形容詞。そして重要な違いは、「し」付きの動詞は終止形でないのに対し、「し」付きの形容詞は終止形であることです。なので動詞の「追いし」は切れ字になれない。よって俳句にならない。これに対し「し」で終わる形容詞は終止形なので切れ字として使える。よって俳句になる。代表例は「五月雨を集めて早し最上川」。

・ふるさとの兎の美味し春の山(美味しで切れるからこれは俳句。)

・ふるさとの兎を追いし春の山(「追いし」で切れないということはどこにも切れがないので、これは俳句でない)

という重要な違いが生じます。

後者で切れを入れて俳句にするには、

ふるさとに兎を追いぬ春の山

あるいは 「ふるさとに兎を追いて春の山」の形も近年許されるようです。