日本人の民度:コロナ自粛に関連して

新聞報道によると、日本で新型コロナによる死者が少ないことに関して麻生財務大臣が日本人は民度が高いからだ、と発言して例によって朝日新聞で批判されている。しかし、いいではないか、戦後の左翼偏向教育の、日本人はだめだという自虐教育のせいで、日本人だめと言ってさえいれば教養人に見られる世の中になってしまった。だからたまには、日本、捨てたものでないと自信を持つことは非常に大事なことだと思う。

但し、この民度という言葉はきちんと定義して使わないと人によって同床異夢になってしまうから要注意である。つまり麻生大臣が民度をどのような意味で使っているかが問題だ。「強制力なくみんなで自主的にやったところがすごい。要請しただけで国民が賛同し頑張った。国民として極めてクオリティが高い。」と発言している。これは三つの場合に解釈できる。①国の要請がリーズナブルであることを了解して自主的にやった。②単にお上の言うことに従順だから文句言わずに従った。③お上(多数)に従わないと世間(村八分やいじめ)が怖いから従った。民度が高いとは①が大多数である場合にはそういえるであろう。実際にはどうか知る由もないが、②、③も結構な比率で含まれているのは確かであろう。国は実は②,③が多数であってほしいと思っているかもしれないが、これでは当然ながら民度が高いとは言えない。

麻生大臣の日本人高民度発言を批判して社会学者の大澤真幸氏は同じ新聞記事の中で次のように述べている。「国民が自粛に応じたのは、同調圧力が強いムラ社会のように国レベルの村八分作戦が成功したからだ。自由主義や民主主義の水準という意味ではむしろ民度は低いともいえる。」これはまた一面しか見ない偏向のコメントでびっくりした。まずこの発言を裏返すと、何が何でも国(お上)に反抗するのが民度が高い民主主義だと言っている。そのうえで国民すべてが③の理由で自粛したのだと一方的に断じている。日本人はそれほどの馬鹿ばかりではないと思う。私は①が大多数であると確信している。