狭い日本に老いばかり

あと10年、20年後には表題のごとくになります。

古希以上の人口比がはじめて2割超になったそうです。前年より100万人増。すごいと思いません?世界で見ても日本がダントツ高齢化です。

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あと20年もしたら、若者は高齢者を支えることができなくなるだろう。ゆえに、80過ぎても働かなきゃ食えない世のなかになるかも。それでも長生きしたいですか。

新涼や雲を眺めて老い二人 RECOCA

・妄想

RECOCAは宇宙人の妄想が好きである。とりわけ、現代のホモサピエンスは古代のある時代に地球を訪れた進化した宇宙人による遺伝子注入(つまり性交)の結果である、という話。説得力を感じる。ずーっと若いころこの手の本に出合い痛く感銘を受けて、今に至るまで頭のどこかにこびりついている。本棚を探したらその本が一冊出てきた。

「高知能の宇宙の来訪者との混交ということを考慮しないと、人間が現在のような知能的肉体的進化をとげたことについて全く分からなくなってしまう。遺伝学的に見て、ある生物の種のこのような急速で大きな突然変異というものは全く例がないのである。人間は地球上の野獣に過ぎなかった。驚くべき進化を示したのはこの50万年、いや5万年間であるといえる。このようなことが人間にだけ起こったというのはいかにも奇妙である。通常の進化の過程を経てそうなったというより、交雑が行われたと考える方がずっと理にかなっていないだろうか?」

確かに、理にかなっている。

人間が道具を作り出し知能を発展させたのは猿が木から降りて二足歩行を始め、手が自由になったからと教わってきた。しかし二足歩行をした動物は他にもいる。たとえばある種の恐竜とか、カンガルーなんかどうだろう。二足歩行をする人間だけが例外というのはやはり奇妙である。

それから時々出現する天才の存在。

天才とは何でしょう。出現割合は非常にまれです。天才同士の子供が天才になることはありません。ということは普通の遺伝とはことなる仕組みで発生しているといえる。これこそが古代に植え付けられた、進化した宇宙人の遺伝子の劣性遺伝だというのです。だから普通人が天才と勝負しても絶対に勝てない。

あと面白い話は山ほどありますが、後程機会があったら。

 

 

敬老会・追伸

ライブ演奏をICレコーダーで録音した音源が入手できたので、記録のためユーチューブに載せておきます。

録音場所は、500席の最後列。録音機はパナソニックの一万円のもの。

カラオケのボリュームをかなり落としてもらったつもりだったが、録音を聞くともっと絞ってもよかった。

ライブでノーミスは難しいです。うまくいってるなとつい調子に乗ってメロディを歌わせようとして見事に音を外しました。どの箇所か発見してみてください。比較的容易にわかります。

youtu.be

敬老会

カレンダーのせいで、今日は全国一律敬老会日和なのではないかと思います。東久留米においても、市主催の敬老会が盛大に(?)開催された。

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RECOCAも当然お呼ばれする。ただし、エンタテイナーとしてだ。最近そういう例が何度も続いている。さすが紅白饅頭はじめ地元パン工場提供のお土産目当てに500人のホール満席のお客。それをめがけてオカリナを吹くというのはなかなか得難い気分だ。これが秋の文化祭と大いに異なるところ。文化祭の聴衆はせいぜい30人。お土産効果は偉大です。アトラクションはこんな感じ。

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・禅語考

今、茶席に掛ける掛け軸に記す禅語の本をみている。この本がユニークなのは、禅語の数別に言葉を分類している点だ。一語の禅語、二語の禅語、三語、四語・・という具合に。語数が一語増えるととたんに難しくなる。何とか手に負えるのは4文字禅語まで。5字以上は完全にお手上げである。

もっとも簡単な一文字禅語の例を見てみよう。

面白いのは「〇」、「-」。茶席の軸に〇とか、-とか掛かるわけである。

〇:「言葉文字による表現を越えたところにある完全性を表す。欠けたることのない円満性。絶対的真理の象徴。言葉で表せない心理を禅的に表す目的の記号」

一:相対や差別を離れた絶対なるもの。余分な要素を交えない純粋無雑なもの。すべての存在の基となる原理。唯一性の協調。

〇は「円」と同意である。してみると、「円」を通貨単位としている日本のお金の位置づけは本来崇高なものであるといえる。決して汚れた存在ではない。そのようになピュアな心でお金に接すれば、自然と懐に舞い込んでくるのではなかろうか。試してみて下さい。

ゴンドラの唄

「命短し恋せよ乙女・・」で始まる大昔の流行歌です。ゴンドラの唄、と聞いてこの歌詞とメロディが浮かぶのは何歳以上の方でしょうか。1915年発表、100年も前の流行歌です。吉井勇作詞、中山晋平作曲。当時の恋愛ご法度、見合い推奨の社会環境の中での「恋せよ乙女」とは過激な発言ですが、この詩はアンデルセンの即興詩人の一節をもとにした語とのことです。どうりで、日本人の発想ではないことに納得。現代の、乙女の命、寿命が長い時代には、どんな言葉がふさわしいでしょうか。

ところで、この唄、1952年の黒沢明監督の映画「生きる」の劇中歌として印象的に使われています。時々黒沢特集のTVで見ますが、七人の侍など特有のアクション映画と全く違う掘りの深い作品です。田舎の村役場の「何もしない」、「たらい回し」、「中央官庁からの天下り」を痛烈な風刺で描いた作品。そこに見えるのは,現代と何も変わらない日常です。何もしようとしない村役場の中の強烈な抵抗と摩擦をくぐり抜けて、住民の強く要望する仕事をついにやり終えた実直な老課長が、雪の夜公園でブランコで半生を回想しながら「命短し~」とつぶやくように歌ってそのまま亡くなるシーンがあります。私にはこれが実に印象的。このシーンを見て、命が短いのは何も乙女だけではなかったのだと気が付くのではないでしょうか。

「出来ることは今すぐやっておこう。」ゴンドラの唄と映画生きるからの我々へのメッセージです。

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では、オカリナで、ゴンドラの唄聴いてください。

この画像、とてもユニークです。江戸川乱歩の文「挿絵を旅する男」に「しきみ」という作家が挿絵を付けた絵本から借用しました。100年前の唄と現代風ランデブーの絵のミスマッチをお楽しみください。

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ブーイング

ブーイング、RECOCAははじめの頃どういう音なのか何を意味するのか全然知りませんでした。いまでこそ常識になったが、もともとは欧米の風習で日本にはなかったのでさもありなんです。

これに代わる日本の風習はなんだろう、野次?相撲で座布団投げるのは、ふがいない横綱への不満の意味が半分ありそうです。欧米では気に入らないコンサートだと普通にブーイングするというから恐ろしい。最近はTVの大リーグ中継で観客のやってるのをよく耳にします。

しかし、いくら不満だからといって、時と場所を考えずに本能のままにやっていいというものではないでしょう。
おととい、全米OPテニスのこともあろうに表彰式でブーイング!これ、RECOCAには米国が狂っていることの象徴に見えた。テニスの全米OPといえば、ウインブルドンに次ぐ100年の歴史を有する世界4大大会といわれてきたが、こんな下品な式典を許すようでは4大大会の地位はく奪に値します。大阪選手が可哀そうとか何とかいう以前の大問題です。

テニスはもともと紳士淑女のスポーツのはず、その観客もしかり。ましてや世界最高クラスの大会の観客とくれば、その国の最高の品格レベルであるはずです。それがこの程度ならその他大勢は押してしかるべきではないか、と皮肉屋で天邪鬼のRECOCAは邪推しています。指導者を見ればその国民が分かる、の名言が真実味を帯びてきます。さすがにまずいと思ったのか、ニューヨークタイムスやニューヨークポストは無作法な観客を批判する記事をのせたそうです。ひるがえって日本のTVでは、日本選手優勝のお祭り騒ぎは長時間あったが、コメンテーターの誰からも無作法な表彰式に言及した時間が一秒もなかったのはどうしてでしょう。今朝の朝日新聞にもなし。従来のマスコミだけ見ていたのでは世界の真実を見落とすことになる、とよく言われますが、この一連の出来事もそれを示唆している例ということになるのでしょうか。

オカリナで「風が運ぶもの」

・憂きことの多き国にも秋の風

・息つめて色なき秋の風の中

・秋風や釣れぬ釣り人動かざり

         RECOCA

台風、地震、憂きことの多き中にも秋風は確実に起こってくる。秋風は何をもたらし、何を持ち去るのか。

いちごさんご希望曲「風が運ぶもの」、オカリナでどうぞ。

これもフォークの先駆け1970年初頭にでた曲です。歌は、本田瑠津子。とても可憐でさわやかな印象です。オカリナでどの程度再現できたか自信はありません。本田瑠津子はフォーク歌手としての芸能界を引退後、現在は教会のゴスペル歌手として活躍中とのことです。親の代からの熱心なクリスチャンで、名前瑠津子は聖書の「ルツ記」にちなんだ命名。

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もう一曲、彼女の歌の曲「あの想い出の道」

実は、RECOCAはこの曲を全く知りません。ただ、風が運ぶものと同ページに譜面が載っていたのでついでにやってみました。伴奏カラオケもネットに出てなかったので、娘にウクレレでシャカシャカやってもらいました。オカリナは結構元気はつらつとした演奏ですが、あとで歌詞を見たらなんか物悲しい感じ。この歌の原曲を知っている方には、オカリナとのミスマッチが違和感かもしれません。が、それも楽しいではないか。

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耳を澄まして、を本当はやりたかったのですが、キーの調整をかなり必要とするので諦めました。

最後に元祖の爽やかな歌声。

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あ~あ、名古屋

北海道地震、心よりお見舞い申し上げます。居候の光さん、何事もなかったとのことでとりあえず安心しました。

ところで、この表題、別にがっかりしているわけではありません。まだ性懲りもなく都市の風評調査などというくだらんアンケート調査なんかをやっとる。そうすると日本国民に一度こびり付いたイメージは簡単には変わらないから、名古屋の堂々のダントツ「魅力なし」一位。これには、元名古屋近郊住民として一言あってしかるべきなので、コメントしておきます。ちょっと前に名古屋についてシリーズで書いておいたことの続きでもあります。まずそのアンケート結果の記事。
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まず、はっきりさせておかなければならないのは、このアンケートは名古屋以外に住む住民が名古屋に観光に訪れたいかを問う調査である。このアンケート調査のコメンテーターが、最も観光の魅力に欠ける都市=不名誉な結果、と断じているが見識不足の早計である。その証拠に、記事中で名古屋市民に結果についてのアンケートをしているが不名誉と思うどころかケロッとしている。何故でしょうか。住んでみれば分かる。街並はきれいでゆったりしてるし、家は広いし、家賃も安い、家を買うのも格安、水道水は日本一美味しい、物価は安い(今や全国に普及した格安店は名古屋から広まったくらい)、住民税もトヨタのおかげで安いでしょうね。つまり、ベッドタウンとしてこれ以上言うことない恵まれた住環境であるということです。確かに、きれいな海山があるかというとないが、住民がおっしゃっているように車で一時間も行けば隣接県にいくらでもあるからなんということはありません。港といえば名古屋港がありますが、確かにクレーンが目立つばかりで、横浜や神戸のようなエキゾチックな眺めもバックグランドもありませんから、このアンケート結果は妥当なところでしょう。再度言いますが、住民はこれを全く不名誉とも何とも思っていないでしょうね。なにしろ、観光客に来てもらわなくても名古屋は十分すぎるほど潤っているのですから。河村市長は、これはなんとかせねばと思っておられるようですが。名古屋の名誉のためにもう一つのアンケート調査をご紹介します。2000年初頭名古屋の東部の山林を切り開いて国際博覧会が開催されました。其の近郊が近代的な住宅地に整備された結果、そこが移住したい街全国一位になっています。

ところで、都市の魅力として観光資源のほかにいわゆる猥雑性というものがあるのではないでしょうか。じつはこれが決定的に欠けているのが名古屋なのです。つまり、きわめてご清潔な都市なのです。これは戦争で街が徹底的に破壊されたことに由来します。後の都市計画がことのほか順調だったということです。何しろ100m道路元祖ですし。道路が広すぎて人がたむろして猥雑になる余地が全くありません。その結果街が地下にもぐってしまった。今でこそどこの年にも地下街はあると思いますが、名古屋は大規模地下街元祖でもあります。日常のショッピングには便利ですが、怪しげな魅力というと皆無ですね。そうした人工的な清潔性に満ちた町から文化というものはなかなか生まれにくいのが実情でしょう。ですが、清潔な文化施設は東京並みに立派なものがありますよ。美術館も徳川美術館なんかは国宝級のものがわんさかあります。金のしゃちほこの城もあるし、ちょっと足を伸ばせば明治村犬山城,鵜飼い・・。

もともとが、実利一辺倒主義に似た考え方が強い風土であることも文化への関心を戒めるような結果になっているようにも思います。つまり、損得勘定が強くでるんですね。よほど得にならなければ、なんで外から観光客呼ばにゃならんの、となってしまう。だから、街の看板なんかも観光客に十分親切とは言えないのでしょう。その結果、魅力なしの風評被害がますます定着することになる。でも多くの名古屋住民は多分「名古屋はあくまで今の名古屋のままでいい」と言うと思います。