第6波襲来迄の束の間の静穏期を狙うように突然手帳が埋まりだした。数週間ほど前から行きつけの高齢者ホームからそれらしい動きが察せられたので、昨日からパートナーとの合わせ練習を再開していたら丁度それに合わせるように演奏招待が来た。ついにホームの重い扉が開いた。金曜日には生徒用のオカリナ買い付けに銀座まで2年ぶりに出張らなくてはならず、子供の初めてのお使いみたいな心境になっている。加えて今月は文化祭での出演、同じく文化祭の飛び入り句会、それに女房が障子の張替え、と言い出したので、今朝起床と同時に障子にパンチを繰り出して破くという余計なプロジェクトも闖入した。とにかく束の間のコロナ静穏期を有効に活用すべきである。
多忙の反対は暇、これを抽象化すると永遠。永遠というと我々はどのくらいの時間まで想像できるだろうか。物理における一つの目安は「陽子崩壊」までの時間かもしれない。陽子とは原子核の要でその周りを電子や中性子が回っている。宇宙の万物、動植物の肉体もすべて原子核によって構成されている。ところがその万物の要の陽子はいずれ崩壊するのは確実という理論があり、観測によっても真であることが分かっている。そうするとどうなるだろうか。宇宙に何もない空(くう)になる。その前には、宇宙に存在する各星々は互いに遠ざかり、どんな高性能の望遠鏡でも何も見えない実質的空の状態になる。その次に待っているのが陽子崩壊の完全無欠の空虚状態である。それまでの時間は?「科学雑学辞典」によれば、全ての陽子崩壊は10の30乗年後!。これはどのくらい彼方のことかというと、まず10の10乗(=100億)年がおよその宇宙年齢だから、宇宙創造から今日までを100億回繰り返し、更にそれを100億回繰り返す年数ということになる。仏教の億万浄土よりはるかに長い。ところが、そのように稀な陽子崩壊現象が数回観測されているというのである。そんな先のことがなぜ現在起こるのかというと、確率の問題だからである。無限の個数存在する陽子だから、10の30乗分の一の確率で常時崩壊が起きている。つまり如何に稀な現象であっても、起きるときは起きるのである。このことから得られる教訓は、ワクチン接種の致命的副作用が如何に稀だと言われても、起きるときは誰の身にも平然と起きるのだということである。うちの長男がカナダ在住中に湖水の事故で水死した事件も稀ちゅうの稀。なぜなら、国立公園設定されて以来一件も起こっていないからである。正に陽子崩壊級の稀な出来事であった。それが平凡な市民の身の上に平然と何の予告もなく突然起こるのである。稀だから自分に無関係という思想はそれ以来完全に崩壊した。
さて上記は物質世界の永遠である。では精神世界の永遠はどうだろうか。物質の栄枯盛衰とは基本的に無関係であるはずだから、陽子が崩壊しようと何がどうなろうと精神世界の「もの」は無関係に永続しなければならない。「もの」とは例えば霊魂である。キリスト教でも「永遠の命」と事あるごとに言う。また、スピリチュアリズムにおいても霊魂不滅が原則である。こういう時の永遠とはどういうものをイメージしているのかきちんと教わる必要があると思っている。「神」も当然すべてを凌駕する永遠の世界に住んでおられるのでしょうね。