RECOCAの健診結果

市補助の恒例「特定検診」を掛かり付け医のところで聞いてきた。

一項目だけ基準値を外れていた。去年までは二項目だったのに一つ減った。ただし、この基準値というのが曲者なので実はこの中に入っていようが外れていようが自覚症状がなければ気にする必要はない。だったら検診なんか不要じゃないか。その通り。日本以外でやってる国はない。欧米のお医者さんのアンケートでは血液検査と尿検査くらいは状態を知る意味で意味あるかも、とのことなので私もその範囲に限定して受診している。レントゲンは一切やめ。子供の頃初期結核もどきでさんざん放射線を受けた蓄積があるので。もう一つ心に決めていることがある。それは、検診はあくまで自分の状態を知るためであるから、①結果についての医師のコメントはただ聞き流すこと②仮に健診結果で投薬進められても一切無視すること。

さて、基準を外れた一項目とはLDL、いわゆる悪玉コレステロールと呼ばれているもの。去年までは血圧も130超えて基準外だったが今年は128になり一項目「異常」が減った。しかし後で述べるが血圧基準値130こそ製薬会社の陰謀の権化なので気を付けたほうが良い。

私のLDLは149。対して基準値は60~119。

ここからは次の参考図書に準拠して述べる。この著者は東海大学医学部教授。都心から外れているので製薬会社や医学会に忖度することなく自由に論述されていると思うので信用できるだろう。

f:id:recoca1940:20190714094113j:plain

この本の扉の記述、この4月とは2008年4月。

f:id:recoca1940:20190714094207j:plain

この本を見ていてびっくりしたこと。この年のLDLは140まで正常値だだった。なんか10年の間にいつのまにか119に!血圧正常値が無理やり下げられたことと符合する気がする。(血圧正常値、昔は年齢+90だった。現在もこのくらいに考えておいたほうが良い。高齢者に130は無茶苦茶。)

さて、このの本に述べてあるLDLに関するエッセンスの図表を載せておく。この図がすべてを物語っていますのでよく見てください。

・LDLレベルと原因別死亡率の関係(男性)

f:id:recoca1940:20190714095507j:plain

この図は二つのことを述べている。男性の場合、

①LDLは100以下の低値だと罹病死亡の危険大。

②100以上だったら、いくつであろうと罹病死亡率無関係

つまり100以上なら気にする必要なし、ということ。

次に女性の場合、

f:id:recoca1940:20190714100045j:plain

よく見てください。女性の場合はLDL値なんか病気と何にも関係ないのです。だから女性にコレステロール検査なんか不要。これは海外では常識です。コレステロールの薬を一生懸命飲まされている女性がいるのは日本だけであることは、医師製薬会社でない我々のほうが知識をもって自衛しなくてはならない。あ~ぁ、哀しいかなこれが現実。

さらに、LDLが登場する前に指標だった総コレステロールと死亡率についても見ておきます。なおLDLと総コレステロール値は正確に正の比例関係にある。

f:id:recoca1940:20190714100829j:plain

コレステロールがいかに危険かを示している。

コレステロール値と個別病による死亡率の関係

f:id:recoca1940:20190714101052j:plain

 

f:id:recoca1940:20190714101145j:plain

f:id:recoca1940:20190714101210j:plain

著者大櫛氏は、コレステロールに悪玉も善玉もないと強調しておられる。

最後に血圧についての図。文芸春秋の記事から。

80歳の人の最高血圧と5年生存率

f:id:recoca1940:20190714101435j:plain

血圧なんかも80歳にもなればどうでもよいことがお判りでしょう。

♬あの日に帰りたい

〇再度ユーミンです。

初期のころの作品でしょうか。この人は詞も曲もセンスがあると思いました。シンガーソングライターでなかなかこういう人は他にいるかどうか。

まず曲ですが、短調なのにとても軽やか。まるで爽やかな風が駆け抜けるような感じで何ら悲壮感がない。そのことにまず惹かれました。

帰りたいあの日とは、青春時代。多分、大人になって付いた手垢を振り払って清純な青春時代の姿で「今のあなた」に会いたい、ということでしょうか。

歌詞は以下の通りです。

あの日に帰りたい
荒井由実 作詞・曲
泣きながらちぎった写真を
手のひらにつなげてみるの
悩みなききのうのほほえみ
わけもなくにくらしいのよ
青春の後姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃の私の戻って
あなたに会いたい

暮れかかる都会の空を
想い出はさすらっていくの
光る風草の波間を
かけぬける私が見える
青春の後姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃の私に戻って
あなたに会いたい
今愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけれど
少しだけにじんだアドレス
扉に挟んで帰るわあの日に

〇RECOCAのリコーダー

youtu.be

〇元歌

youtu.be

 

 

雑記事

〇ご近所の玄関先

普段から水を入れた甕(かめ)がいくつもおいてあり何だろうと思っていたら蓮の花だった。個別の種別に甕がある。

f:id:recoca1940:20190711092209j:plain

f:id:recoca1940:20190711092235j:plain

f:id:recoca1940:20190711092257j:plain

f:id:recoca1940:20190711092343j:plain

〇今年も豊作らしい(自宅の庭)

f:id:recoca1940:20190711093022j:plain

f:id:recoca1940:20190711093048j:plain

イチジク

f:id:recoca1940:20190711093120j:plain

〇花クイズ

花の名は?

f:id:recoca1940:20190711093244j:plain

f:id:recoca1940:20190711093328j:plain

f:id:recoca1940:20190711093414j:plain

f:id:recoca1940:20190711093450j:plain

〇カミングアウト

最近カミングアウトという言葉をよく見かける。これは単に「公表」という意味だけの語ではない。少数派であり社会的偏見の状況にある、自らの病状、性的指向、出生、さらには自身の価値観などについて公表することを意味する。なかでも、自分のせいでなったのではない事柄について表ざたにできない偏見にさらされることは実に理不尽でつらいものがある。ハンセン氏病などはその最たるものだろう。50年前私が学生の時、すでに医学的に問題ない病とされ、ワークキャンプハンセン氏病施設へ何度も作業に出向いたことがある。今回の裁判で、本人はおろか家族もカミングアウトできない状況は今もって当時と同じであることに驚かされた。薬害HIVとか被爆もそうであろう。今の朝ドラを見ていて、戦災孤児がカミングアウトに悩む対象であったことにも驚かされた。戦災孤児は家庭のしつけがダメだからいいところに嫁にも行けないなどの偏見が普通だったか。

これから考えなくてはならないのが「認知症」。カミングアウトに悩む必要のない症状であることを広く認知させていく必要がある。本人も家族もそうでないとハッピーでない。1970年代は家族に認知症(当時はボケるといった)が出るとひたすら隠しひどいのは座敷牢状態だったそうである。それに比べれば大分改善したがまだまだ偏見の対象。きのう、認知症カフェで聞いた話では、老化の一症状だから長く生きれば早晩誰もがそうなる。顔がしわくちゃになるのと同じ。往時は美人だったのにと嘆いても仕方ないのである。90になれば皆認知症になるそうだ。その年でピカピカしているのは稀だと思いなさい、と一括されて帰ってきた。

雑・新聞から

〇選挙

野党:有権者、党名で混乱しませんか。

民主党には、立憲民主と国民民主の二党あること知ってましたか。そしてどちらがどう違うのかも。投票の時フルネームで書けば問題ないのですが、単に「民主党」と書くと、国民民主党の票になるから気をつけろとのことです。一方の立憲民主党は「りっけん」で届け出ているので、略称はこの通り書かないとダメ。安倍首相が選挙の演説で「民主党の枝野さん」と言って、枝野さんから「選挙妨害だ」とクレームをつけられたとか。このクレームの意味分かりますか?私は見出しだけでは分からなかった。それだけ「民主」は混乱しているのでは?

選挙はとにかくシンプルイズベストだから、入り口で野党がこんなにややこしいのでは戦わずして不利に思えます。

ついでに共産党。この党はなんでこの党名に拘るのか私は大昔から七不思議に思っています。ひょっとして、党の目標とするところがソ連や中国の共産党一党独裁なのかと思える。この疑問を払しょくしない限り永久に今の位置から上昇できないでしょう。

〇脱日本型雇用の波

日本型雇用とは①新卒しか採用しない②終身雇用③年功序列賃金体系、ですがこの崩壊がさらに加速のきざしの記事。初任給「外資並み」、早期希望退職増加ということですね。伝統的な日本型雇用では、何も知らない新卒を入れて自社でジェネラリストに教育する、という方式ですが、ジェネラリストは専門性がないから今の時代直ぐ役に立たなくなります。だから、初めから高給で専門に長けた者を採用して、役に立たなくなったらすぐ首にする方式にしようというわけ。

まぁ、それはそれでいいのですが、同時に改めてもらいたいのは新卒重視でなく、欧米みたいに途中入社の門戸を自由に広くしてもらいたいこと。現状は、いったん首になると次がなくて大変な状況です。もっと労働市場を流動化しないと、喜んで希望退職に応じられないでしょう。

自治会(特に地方の)

入会金があるということにまず驚き。それも半端でない。たとえば、12万円。なぜこういうことになっているかというと、公民館などは市町村の補助金プラス自治会の自助などとなっているから。公民館建設後の入会者に対しても公平性の原理から12万円からあまり大幅に安くするわけにいかない。自治会加入は建前上自由だが、入らないといろいろ後で不利益を被るかもしれないですね。それに加えて自治会維持費が年1~2万円。地方への移住希望者はこういうことも考慮して決めないと、こんなはずではなかった、となるから気を付けましょうという記事でした。

私の住んでいる地域では、自治会というものの存在いまだかつて聞いたことがないので、こういう苦労は全く知りません。自治会で草取りとかなにか日を決められると煩わしくて仕方がないでしょうね。この手のことは役場が、例えばシルバー人材でも雇って住民税でやればいい話だし、この辺の市にも公民館はいっぱいあるが、それらはすべて税金の公費で賄うものだと思っているので、自治会費を加味して建てるという記事を見てそれこそ青天の霹靂でした。

寒!

明け方、思わずブルっときてカーデガンを羽織りました。

長らくの梅雨の雨と低温傾向、空の星がそろそろ懐かしくなるころではないかと思います。それで「昴」を再掲。

youtu.be

ところで、50年前、私が就職で初めて東京、東久留米に住み始めたころを回想してみると、7月の涼しさはそんなに珍しいことではなかったように思います。東京で初めて夏を迎えたとき感想は、なんという素晴らしい天国!。これは、当時でも35度の名古屋から移り住んだ者とっての偽らざる思いでした。何しろ雨戸を閉めて寝れたのですから。梅雨が終わるのが7月下旬、8月になってやっと30度の声を聴くのが普通でした。ですから酷暑はひと月くらい我慢しておればよかった。それが明確に異変を感じたのは1990年になってから。そのころのある年、突然背広ネクタイで歩けない6月がやって来ました。随分異常気象の年と騒がれましたが、その年以降6月の30度は珍しくなくなってしまいました。そして今や世の中40度も覚悟せねばならないことに。実際この時期ヨーロッパは45度、インドは50度です。

これは人間活動の影響も大きいでしょうが、太陽活動の盛衰との複合作用とみたほうが正しいのではないでしょうか。仮に二酸化炭素を排出しない文明であったとしてもこうなっていたのではないか想像します。気候をコントロールする能力は人類にないし、その権利も与えられていないと思うので、気候変動にはひたすら耐えるしかない、そう思います。

昨日の今日の言行不一致ですが、俳句。

・梅雨寒や少年の日の日記帳

・突然の病む頼り来て走り梅雨

雑念

俳句を始めてから4年半がたったのでそろそろ打ち止めにしようと思って、数日前に今日から俳句をやめた、と言い聞かせたら面白いものでぴったりと575の言葉が浮かんでこなくなった。逆に言うとやる気を起こさせるプラスの言葉で心に言い聞かせることは極めて効果的であることを身をもって体験したのではないかと思っている。
なぜそう思ったからというと二刀流ではオカリナの難しい指使いがどうしても克服できそうにないからである。オカリナの演奏といいながら時々リコーダーを加えているのは、自分のオカリナの技術(指回し)では曲にならないから便宜上自分の手に負える楽器に逃げているだけである。今用意している2曲もそうだ。そこで、この半年の課題としてこれを克服しようと思った。
俳句は脇に置いたので、詩の本をちょっと覗いてみた
「詩と出会う、詩と生きる 若松英輔 NHKカルチャーラジオ」
なるほど、詩は比喩の程度が俳句とは比べて段違いに広い。一方俳句は座の文学なので万人に理解できる表現が求められる。その範囲で詩性が求められ、しかも独創性が求められるので早晩行きどまりそうに思える。なので、これからまた前衛俳句が台頭してくるのではないかとちょっと思った。
さて、上記詩の本で例題に上がっている詩。
石と霧のあいだで、ぼくは
休日を楽しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる
人生ほど、
生きる疲れをいやしてくれるものは、ない
(サバによる「ミラノ」と題する詩)
劈頭の言葉の「石と霧」。わたしがこの一節を眺めても、単に霧の深い天気の時の石畳としか思えないので、なんでこんな悪天候の時に憩うのかとしか思えないが、解説によるとこれは比喩で、もっと深い世界を表している。すなわち、ここでの石は聖者の暮らす現世界。霧は死者の国と現実界の境にあるものとして描かれている。こういう比喩は俳句では極めて前衛的だが、しかしとても魅力的に思える。こういうことが自分の解釈力で読解できれば詩の世界も手におえるのだが。
最後の2行は作者詩人の人生観を強く表している。解説では次のようになっている。
・・・・・・・
この2行は生きることの、あるいは人生の不思議を実によく表現している。人は生きていれば誰もが耐え難い悲しみを生きなくてはならない。しかし、悲しみの奥に人が探している、朽ちることのないものがあることも確かだといっているのだ。サバは悲しみを慈しむ詩人だった。サバにとっての悲しみは大いなるものから与えられた恩寵に他ならないから。それほど尊いものなのだという。悲しみを経験するとき人は同時に愛を生きている。愛するものを失ったとき人は真に悲しみを生きているといえるのではないか。
・・・・・・・・・

認知と認識

認知症のことを考えていたら、ふと認識という言葉との対比について考えていた。私の漠然とした考えでは、認知とはいわば写生であり認識とはそれを深めたものくらいにしか表現できない。写生は写真撮影と言い換えてもいいかもしれない。俳句では写生しろと言われる。しかし、自分の4年半の経験では自然をただ眺めているだけの「写生」では全然俳句として評価してもらえない、だからといって人生観とか哲学的な内容にすると観念的な句だからダメと言われる。これはたぶん具体的な写生とのかかわりが全くないからだろうと思う。ではどうすれば。?
認知と認識の違いについてNHKカルチャーラジオのテキスト(若松英輔著2018年1~3月)には次のように書かれてあった。
・・・・・・・
「認知」は社会的な事実を他者と同様に受け入れることを指す言葉です。語感や意識で世界を感じ、判断する力と定義できそうです。人は年齢を重ね身体的な機能が衰えてくると誰もが「認知」の衰えを感じます。一方「認識」はその人が今ここでただ一度だけの経験を全身で感じることを意味する言葉として用います。それは五感と意識を超え、無意識を含んだ全身全霊で行われる世界との交わりを指す表現です。詩においてーあるいは言葉の芸術である詩を含むあらゆる芸術においてーは、認知よりも認識が重んじられます。さらに言えば、認知によって始まった出来事を認識にまで深めていこうとするのが詩作だといえます。ですから認知的な出来事と認識の実感がまるで違うのは自然なことです。
・・・・・・・・・・・
だから一般的に詩においては、目に見える自然あるいは社会現象からはまるで理解不能な言葉の羅列になっていることが多いのは当然のことなのである。それは詩人の個人的あるいは無意識レベルの深い認識機能によって昇華された言葉であるからだ。
再度俳句に戻る。俳句も芸術である以上「認識」行為の産物でなければ名句といえないはずだ。ところが初心者の私の目にはどうも釈然としないことがある。
例えば、芭蕉の「閑かさや岩にしみいる蝉の声」は単なる写生=認知を超えた表現であることはわかる。(うるさい蝉の声)=認知⇒岩にしみいる⇒(閑かさ=認識)という構図。一方「菜の花や月は東に日は西に」とか「牡丹散って打ち重なりぬ二三片」などはどうか。なんでこれが名句?の気持ちが4年半経っても消えたとはいいがたい。確かに「写生」ではあるが、上記著作の言葉を借りれば「認識」行為の産物といえるのかという生意気な疑問。
さて、最後に認知症
認知症患者とは認知機能の衰えた人のことである。しかし、だからと言って認識機能もないと決めつけるのは即断すぎる。これは5年間認知症施設へオカリナボランティアに通い詰めた結果理解したことである。
認知を経ない、あるいは認知を飛び越えた「全身全霊で行われる世界との交流」がないとどうして言い切れようか。つまり、魂の深い部分では病んでいないのだ。だから、認知症の人に対する対応は尊厳を失わないようにしなければならないと思う。幼児的な言葉使いなどは厳に慎むべき。