時代を経ても同じ

最近TVでやる昔の時代劇をよく見る。時代劇専門チャンネルというのがあって、何十年も前の時代劇ばかりしつこく放映する。うすうすその理由が分かってきた。現代に制作される時代劇は理屈先行でだめですね。それに何より致命傷は役者のスケールが小さいこと。昔の時代劇はかなりワンパターンであるが、役者のスケールと個性がそれを補っている。

だから、TVに写るものは時代劇を連想してしまう。国会中継も例外ではない。某大臣など悪代官か悪大名のストーリーそのものだ。人間のすることは永遠に同じのようだ。ゆえに、時代劇は現代を映す鏡であるとの悟りを得た。

公文書についてですが、日本のものは当たり障りのないどうでもよいことしか書かないものと思っていたが、今回のオリジナルはしっかり書きましたね~。その意味でとてもユニークな事案だ。公文書は一種の稟議みたいなものだから、これがよく上層部まで通ったものというのが感想で、全てこういう風に書いておいてくれれば、未来の歴史学者の役に立つのにと思った。

それにつけても、これを書いた担当者には自殺なんかしてほしくなかったな~。一人で何の責任を背負い込むつもりだったのだろう、とにかく気の毒で虚しい。時代劇そのものだ。

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春と共に世の中花粉症ですね。うちの家系でかかった人はまだいないのでそのつらさは想像するしかない。なのでちょっと斜に構えた句を作りました。花粉症は春の季語

・春暑しどっと繰り出す白マスク

・七難のたちまち隠る花粉症

・婚活は目元が勝負花粉症

・ナンパされしてやったりの花粉症