未来の思い出を紡ぐ

 
   

オカリナボランティアに通っている施設スタッフ一同から、敬老の日に毎年ちょっとした手作りの贈り物とメッセージが届く。今年のメッセージカードは次のようなものだった。

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歳を重ねて未来の想い出を増やす、という発想にはこれまで思い至らなかった。想い出というものは過去のものという強い固定観念へのとらわれ。実は、未来に積み重ねるものでもあったのだ。こんな発想の柔軟性不足では満足な俳句が出来ないのも当然かもしれない。年取って出くわす出来事でもみずみずしい思い出となって積み重なる。何と素晴らしい超高齢人生だろう。そういう人になってみたいものである。

  • 23人の詩人による輪番日替わりの詩日記集「空気の日記」

これは、数日前の朝日新聞のコラム天声人語で知ったとてもユニークな企画である。23人の詩人がその日の心情を日替わり輪番で詩に綴る「空気の日記」である。コロナ自粛に伴う自己と社会とのかかわりを詩によって記録、記憶に留めようという発想でスタートした。天声人語には例として次のような詩の一部が引用されていた。

「4月12日。・・・禁制の集会に行くように、息をするのも恥じ入りながら、スーパーにこっそり出かけいく・・・」

「・・・5月6日。手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり、蛇口から流れ続ける今日という一日・・・」

「・・・7月19日。STAYとかHOMEとかGOTOとか、わたしたち犬みたいだよね・・・」原詩はそれぞれもっと長編です。

オリジナルリンクは一番下記です。詩の好きな方覗いてみてください。引き込まれますよ。

本当は俳句でこういうことをやりたいが、俳句の本では時事題材の俳句は避けたほうが良いとある。特に素人、初心者は。時事、哲学を俳句に仕上げるには達人でも難しい。それではぎりぎり短歌の字数ではで可能か。

俳句はあくまで現時点の情景の切り取り描写が基本。時間の推移とか哲学思考など込み入ったことは読み込まないのが安全である。字数の関係で舌足らずに終わる。そのことに限界を感じて俳句がつまらなくなる人もいるだろう。私も多少そんな傾向になっている。世の中いろいろ起こっているのに、花鳥風月にうつつを抜かしているばかりでいいのか。端的に言えばそういうこと。理屈っぽい人には向かないのかもしれない。でもどちらかというと俳句を好む人に理科系が多いのは事実らしい。これは、俳句においては喜怒哀楽の言葉を使わないから、ドライな文芸にみえるからだろうと思う。

空気の日記オリジナルリンク。

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https://spinner.fun/diary-all/