写真と俳句

◎同じ月仰ぐ友あり西東

         RECOCA

◎写真と俳句は似ていると以前から思っていた。

今朝の朝日新聞「うたをよむ」

【俳句が一場一瞬を切り取るように、写真もまた現実の底にある真実を一点に集めた刹那を切り撮る。俳句と同様に、感性や心の襞も表現できるのだ。】

つまり、俳句も写真にも共通して言えることは、両者ともに用いる手法は情景・景色の描写だが、その奥にある「感性や心の襞」迫るものでなければ人の感動は呼ばないということなのだと思う。そこに絵画的なデフォルメが生ずる。しかしそれが高ずると理解不能な抽象に堕してしまう。名手はその塩梅を心得ているのだと思う。絵画で言えば江戸の浮世絵のごとくに。

例として、コラムは次のような句を上げている。

骨壺の子も聞け虫が鳴いている  土門拳

トランプ大統領

米国民は基本的に外交に関心がなく、指導者を選ぶのは自分たちの暮らし向きが4年間でどうよくなったか悪くなったかが中心だそうである。その点では合格だったようだ。だから、順調ならトランプ再選だったはずだ。そこに二つの大誤算が生じた。一つは新型コロナの全米大流行。それへの対処の仕方が突っ張りすぎという失策。マスク、手洗いという大衆迎合に徹するべきだった。そのようにしてもなんのマイナスも被らなかったはずだ。これは、バイデン側にとっては、棚ぼたともいえる望外の敵失。次の失策。これが致命傷。郵便投票の危険性に気付くのが遅すぎた。優秀な弁護団がいるはずなのにどうしたのか。これこそ司法に訴えてでも事前に何とかすべきだった。

いまさら何を言ってもごまめの歯ぎしりなので、バイデン下で日本はどうなる、どうするということを全身全霊で考える必要がある。自民・菅体制、大丈夫か。基本的に米国の本心は日本などどうでもよいと思う立場であることを前提に考える必要があるだろう。それと、結果的にこれからのコロナ時代、中国の一人勝ちであることが鮮明になるだろう。東シナ海に空白時代到来となれば、フィリピンから米軍が撤退した途端に南シナ海に滑走路を建設し既成事実化されたことを直視しなくてはならない。国連も国際裁判所もなすすべがないのは、強大な核軍事力大国であり、国連常任理事国のなすことだからである。日本の左派や一部の憲法学者が、いまや軍備よりも話し合いの外交力の時代と言っているが、聞く耳ゼロの相手では馬の耳に念仏の時代錯誤の意見だ。

バイデン大統領時代。オバマさんの8年間の見て見ぬふり外交が如何に対象国を利するものだったかをどれだけ反省してくれるかにかかっている。

習近平主席の国賓招待の敷居がなくなったと安堵するのかどうか。まずこれが最初の試金石になる

トランプ大統領に対する歴史的評価の一例ですが下記動画はとても説得力がある。

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