掃除

わたしの手帳の日程欄ほぼ真っ白である。これは去年のコロナ以降同じ状態。唯一の記入事項は月一度オカリナの生徒が来る日のみである。まさに完全自由、一日することをすべて自分で決められるという天国のような生活環境だ。しかし、昔フランスの高名な実存主義者はこの状態、つまりほうっておけば何もすることがないという状態を「人は自由の刑に処せられている。」と述べて、今の私のような境遇を受刑囚に例えた。定年の時は全く感じなかったが、今回一年半コロナ自粛状態を経験してみると、確かに身近の牢獄にとらわれているようで彼の言い分には一理あると思った。「自由の刑」の刑期を終えるには、強い意志で自分を縛る目標、計画を立てひたすら脇目もふらずに実行せねばならないだろう。それで今年正月始めの数日間熟慮してひねり出したのが「掃除」に邁進すること。体の運動を兼ねたこの一石二鳥のアイデアに満足して、今日まで一日も欠かさず、ひたすら刑期の終了に邁進している。数日前の「五月雑詠」中の二句はこの間の実体験に基づいている。

・一人居のガラス磨けば聖五月

・息詰めてトイレ磨けば風光る

手帳の予定欄が埋まるには今のコロナの社会騒動が終息しなければならないだろう。これは多分、日本得意のぼちぼちやる政策では見込みないから長期戦を覚悟している。

ところでです。掃除に精を出すとお金がたまるって話聞いたことあるだろうか。その手の占いの本も結構出ているようである。実はこの話まんざらでもないということを身をもって今経験しつつあるのです。というのは、20年以上塩漬けにしている投資信託の額面が突然上向きに動き出したのである。この投資信託はバブル期に大損して売るに売れなくなっている代物で、当時頭にきて信託会社の銘柄鞍替えの進言を一切無視して塩漬けを決め込んでいるもの。どのくらい上向いたかというと8か月でうん十万円。なぜそんなことになっているかというと、米国バイデン政権のコロナ対応の巨額財政出動がまわりまわって株式市場の空前の活性化をもたらしているためである。その規模は累計で日本のGDPに匹敵する額。家計への現金給付も一人当たり約35万円に上るとみられている。そのおこぼれが日本の株式市場にも回ってきているのである。これは、コロナで火の車の実経済とは全く無関係であるところが何とも素人には不思議なところである。

ということで、そういう世の中の動きは、私の掃除プロジェクトとは当然ながら何の関係もないわけだ。しかしそれはあくまでも偶然の一致という論理的合理的な解釈であって、一方で私が注目したいのは「引き寄せ」という霊的な解釈である。どっちをとるにしろ、自分の都合の良いように考えればよいことである。例のシンクロニシティにしろ、いわゆる合理的でない解釈には捨てがたい深い意味がある魅力的思想と私は思っている。