東久留米駅今昔写真

近く北多摩の昭和と題する写真アルバムの刊行されるというチラシが新聞と一緒に舞い込んだ。そのチラシのに昔懐かしい我が東久留米駅の写真が載っていたので思わず見入ってしまいました。昭和44年というから私が愛知・知多の田舎から就職のため東久留米に居を構えた時期とほとんど一致します。写真は当時の朝の通勤時間、東久留米駅の風景です。当時、この駅の改札口はプラットホームの左側(東口)だけで、右側(西口)はまだ開発されておらず改札が無いので、ほとんど人が写っていません。

昭和44年当時の東久留米駅

すごい人ですね。ひょっとするとこの中に私もいるかも知れません。上り下り線ホームが同じなので余計込み合います。それに昭和40年代は、ベッドタウンとして東久留米には大型団地がいくつも出来て人口が急増した時期なので、街も駅も電車も何もかも中途半端の時代でした。

そして光陰矢の如し、50有余年が経過した今、この駅はどうなってるでしょうか。それが下の写真。昨日とりました。昭和44年の写真とほぼ同じ位置から同じ方角を写したものです。古い写真で、線路の右側電柱の並んでいたところに、今ではずらりと食べ物屋の長屋が並んでいます。なのでブラインドになっていますが、食べ物長屋の左側が線路とホームになっています。今では駅の両側が開発され、東西両側から便利に駅にアクセスできるようになっています。通勤時間帯の混雑は今も同じですが、電車の本数が増え、スピードも増し、車両のエアコン完備で当時に比べれば何倍も快適になっています。慣れとは恐ろしいものとつくづく思います。混雑に揉まれて実に35年間。誠にご苦労様でした。☜誰も言わないから自分で言ってみた。